Did you know that?

35. オレゴンの田舎町「Ashland」とシェークスピア

晩秋の美しい夕暮れ時、私は夫と2人で、ポートランドから車で5時間かかるオレゴンとカリフォルニア州との境に近い「アシュランド−Ashland」という町に出かけた。この町は「オレゴン・シェークスピア・フェスティバルの町」として全米に知られている。毎年2月から10月まで、シェークスピアやその他の劇が2−3ヶ月ずつにわたって同時期に上演される。観客は、数日間の滞在で複数の劇を鑑賞できる。夫は、 7月から上演が始まっていた「Throne of Blood」を観たいと言い続けていたので、久しぶりにアシュランドまで出かけることにした。

「Throne of Blood」とは、直訳すれば「血の王位」「血に塗られた王座」となるのだろうが、これは黒澤明監督作品「蜘蛛の巣城」の英語題名となっている。この映画は、黒澤が1957年に、シェークスピアの戯曲「マクベス-Macbeth」を日本の戦国時代を背景に置き換え、古典「能」の表現を織りまぜて映画化したものである。私はこの映画を見たことがなかったが、夫は1978年に英語字幕版で観ており、感銘を受けたと言っている。日本伝統芸能研究家となる道を辿っていた夫は、1600年代初期に書かれたシェークスピアの「マクベス」という名作を日本化した黒澤の大英断に興味をもった。「能」は7世紀頃に起源をもち戦国武将たちにも愛されたようだが、黒澤は、「マクベス」という日本とは国や時代背景の違う作品を、別の視点で観させてくれた。その卓越した想像力に加え、作品の素晴らしさが日本国内外の多くの人を魅了したのだろう。

「Throne of Blood」の演出家Ping Chong(張家平)も黒澤に魅了された一人である。Ping Chongは、1946年にカナダのトロントに生まれ、ニューヨークのチャイナタウンで育った中国系アメリカ人である。1960年代にこの映画を見て感動した彼は、その後長い間、いつかこの映画をアメリカで舞台化したいと思っていた。 彼は、1975年に「Pings Chong & Company」を設立し、東洋に関した文化や芸術、国際問題をドキュメンタリーや劇などを数多く手がけてきた。人形劇にも作品を残している。日本に関しては、1998年に、ラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)の作品を元に「怪談とお盆」と題した幽霊物語、2002年には、「お盆-Tales of Rain and Moonlight(雨月物語)」を上演している。自分の演出経歴はシェークスピアとは無縁であったが、黒沢生誕100周年の2010年、 OSF(Oregon Shakespeare Festival)のディレクターBill Rauchと合意し「Throne of Blood」をアシュランドで公演することになる。

劇場前の看板

秋の穏やかな日差しの中、劇場前で開場を待つ人々

日本では尖閣諸島問題で日中関係がギクシャクしている中、アメリカのこの田舎町では、「Throne of Blood」が、中国系アメリカ人の演出家“Ping Chong”、黒人俳優“Kevin Kenerly”と日本人女優“Ako”の主演で、7月21日から10月31日までの3ヶ月間余上演された。夫と私は、千秋楽の数日前に観にいったが、その日も600席の劇場は満席であった。

開幕間近、突然美しい日本語で場内アナウンスが始まった。

「皆様、本日のご来場誠にありがとうございます。この劇場は禁煙となっております。皆様のご協力をお願いいたします。また、上演時間は幕間なしの1時間50分です。~~~。どうぞ最後までごゆっくりご鑑賞ください」とか何とか、完全な日本の劇場内アナウンスがあった。続いて英語のアナウンスもあったが、私はなんだか状況がつかめず、

「えっ?どうして初めに日本語のアナウンスがあるの?これって日本人のためにわざわざ放送してくれたの?余り日本人はいないみたいだけど……。ひょっとして私のため~?!」

と会場を見回したが、観客はほとんどが白人であり、アジア系3、4人、日本人は私一人だったかもしれない。夫が言うには、これは劇の雰囲気を醸し出すための一つの演出だとのことだった。しかし、日本語が母国語である私には、どうしても日本の雰囲気を味わう効果のようには聞こえず、アメリカの劇場で、劇の案内と注意事項を促されているように聞こえてしまった。

開幕の拍子木が鳴り会場は静まった。

私が最も驚いたのは、演劇を観に行ったのに、突然舞台前方上部がスクリーンとなって、舞台のための映画が映しだされたことであった。上下幅2メートル、横幅8メートルぐらいのこのスクリーンに、美しい風景が、風がたなびくように流れ、次第に不穏な状況を伝える嵐に変わっていく。スクリーンの下の舞台では、 張りつめた空気の中、 甲冑に身を包んだ侍たちが威厳をもって座っている。そこに、戦場での結果を報告するための使者たちが次々に到着する。

私は、物語そのものよりも舞台がどの様に見えるかに気をとられ、兜の美しさや鎧のできに感心しながら観ていた。アメリカで日本を題材にした劇や映画が制作される場合、監督の違った解釈や自分勝手な想像、あるいはアジアをひとまとめにしたような作品が多々あることに危惧を覚えていたからだ。「自分の作品だ。どう作ろうと勝手だ」と言われればそれまでだが、日本人として観る場合、どうしても違和感を感じてしまう。 Ping Chong 監督が黒澤をどのように解釈するかに興味を持った。日本の戦国時代の舞台衣装、侍の頭、化粧、アメリカ人俳優の動きはどうか、気になるところはいくつもあった。侍の鬘はなく、俳優たちは自分の髪の毛を伸ばし丁髷(ちょんまげ)に似せて後頭部に結わえていた。月代(さかやき)のない頭は、外国人役者の顔をなかなか「古風な和」には見せてくれなかった。甲冑や裃などは工夫し作られていたが、男性の袴が角帯なしで腰、いわゆるウエストに締め着せてあるのはいただけない。折角良く作られていた袴が、ロングスカートのように見えてしまった。袴は男性の下腹にぎゅっと締めて着せなければ腰がすわらない。主役の女性 Akoの衣装は美しく、戦国期女性の雰囲気を醸し出していた。彼女の英語は日本的な訛はあったもののはっきりとわかり易く、外国で舞台女優として生き抜く凄みを感じさせられた。宝塚劇団出身の彼女は、アメリカの演劇界で少しずつ実績を残しているようだ。並々ならぬ努力の賜物だろう。

名作となった黒沢の映画をアメリカ人俳優によって舞台で演じさせるのには、リスクが伴うのも否めない。しかし、この日この劇を観た観客は感動し、出演者にスタンディン・オベーション(Standing Ovation)の喝采を送った。

日曜日のマティネ(matinee-週末の昼間に行われる公演)を観た後、紅葉の中小さな町を散歩した。町の中心街は、端から端まで車で10分程度の広さである。しかし、アメリカの田舎特有の泥臭さがなく美しく、おしゃれなかわいい町である。レストランの数も多く、いろいろなエスニック料理も楽しめる。ブティックや屋外のマーケットも人気がある。公園も整備され親子連れがたくさん遊んでいた。観光客は観劇に加えた別の楽しみも味わえる。

アメリカは広く、その広大な土地に「都会」といえる市は少ない。オレゴンも、ポートランド市が近郊を含めた人口220万人の中堅都市である以外は、10~20万人程度の都市がいくつかあるが、アシュランドのような数千人から2、3万人の町が多い。しかしこれら殆どの町は、残念ながら 観光客を魅了するほどの特徴もなく寂れている。レストランと呼べるようなものさえ少なく、このような町を旅し食事をする場合、全国チェーンのファーストフード店を選ばなければならないことも多い。

町中には、オレゴン・シェークスピア・フェスティバルの旗(banner)が道なりにず~っと掲げてある。

アパートのような建物の壁にあるシェークスピアの 肖像画。

町の西側の丘陵は、茶色い山肌も露で乾燥しきったように見える。農作物の育成に適した土壌ではないようだ。

私は歩きながら、このアシュランドがどうしてこのように発展してきたかに思いを馳せた。

オレゴン州アシュランド(Ashland,Oregon)は、ポートランド南方460Km、サンフランシスコ北方560Km、西海岸線からも離れた内陸部の言わば、「陸の孤島」といえるような地域である。町は19世紀半ばに 「金」が発掘されたことにより、入植者が移住し成長していく。しかし、サンフランシスコのようにその後湾岸の都市として発展したのとは違い、ゴールドラッシュが終わりを告げると、人々は豊かさを求めカリフォルニアに移住していく。その後製材工場や果樹園の生産物で田舎町としての産業を成り立たせていくが、居住者は増えず、現在でも、この市の人口は2万人余である。大都市から遠いこのような辺鄙な土地が「シェークスピアの町」としてなぜ発達してきたのだろうか?

このオレゴン・シェークスピア・フェスティバル(Oregon Shakespeare Festival-OSF)は、アシュランドにある南オレゴン大学(Southern Oregon University)で英語教師として教鞭をとっていたAngus L. Bowmerが、1935年に市政府を説得し、アメリカ独立記念日にシェークスピア劇を上演したことがきっかけとなった。その後町全体の発展となっていった。1930年代といえばアメリカ大恐慌のすぐ後である。町起こしや芸術どころか、日々の生活に困る人々も多かったことだろう。そのような経済状況の中、住民たちは、この田舎町を「シェークスピアの町」として全米に誇れるように工夫努力し、話し合いを重ねながら成長させてきた。

この町の年間の観光客数は10万人程度である。観光客の数としてはそれほど多い数ではないかもしれない。しかし、これらの観光客は、この町で開催されるシェークスピアの劇を観るために、遠路車で、あるいは飛行機でいろいろな都市から訪れる。一ヶ所の劇場(劇やシーズンによって使い分けられる3つの劇場がある)で売り上げられるチケットの数は、毎年35万枚を超える。これは、一劇場の売り上げ枚数としては全米一である。今年は、11のプロダクションにより783回の劇が上演されている。チケットの平均価格は約50ドル。滞在中に一人当たり2−4劇を観ることになる。その他夏には、「サマー・ミュージックフェスティバル」と称し、ジャズ、クラッシック、ロックコンサートが催される。シェークスピア劇の他にも、現代劇、バレエやオペラ等も観劇でき、観光客の楽しみの一つとなっている。住民の数は少ないが、町にはこれらの芸術創作のための演出家、役者、舞台や衣装関係者が長期で滞在し、また観劇するために集まる観光客が一年中町を賑わわせる。

全国から観光客を集め「シェークスピアの町」として生き残るためには、シェークスピア演劇の高い評判を得ることが大切である。また、人々がこの地を何度も訪れたいと思わせるには、芸術の質の高さも保ち続けなければならない。夫の親戚の老夫婦は、毎年このフェスティバルに行き、いくつかを鑑賞してくる。夫婦は、夫がヨーロッパのシンフォニーの指揮者であったため、ヨーロッパに30年以上住み、イギリスでも本場のシェークスピアを何度も観てきている。彼らは、アシュランドでどの劇を観ても、今までに失望したことがないと言う。一度でも失望すれば、観光客はこの地に来なくなる。宿泊費、交通費、チケット代、その他諸経費を入れると相当な金額になる。観劇のために多額の出費を厭わないと思わせるためには、一度の失敗も許されないのである。そのために、OSFは全米から優秀な演出家、俳優を招聘する。そして、彼らが満足できる給与を与える。その契約がなければ、彼らがこの地に長期間滞在することはないだろう。

町中で続く絶え間なき努力、それが75年も続いている……。

この町の宿泊施設としてはホテルもあるが、私と夫が最も気に入っているのが、「Bed & Breakfast」である。勿論シェークスピアの国イギリスの「B&B」に端をなしていると思うが、民間の住宅を改造し、それぞれの個性ある宿泊施設を提供してくれる。町のもう一つの魅力となっている。

私たちが泊まったB&Bは、築75年ほどの家であったが、室内は美しく改造され、薔薇をテーマにした部屋作りがなされていた。朝食はくるみ入り林檎の丸焼き(baked apple)、フレンチトーストやベーコンなどが出され、とてもおいしかった。B&Bの楽しみの一つは、そこの宿泊した人たちが揃って朝食をとる時だ。その朝は、私たちの他に、引退した60歳代の夫婦、妻は元教師。ポートランドの小学校で忽然といなくなり、全米で誘拐事件としてニュースになった男の子を教えたことがあるという教師、サンフランシスコから来た技術者、秘書の女性など8人がいた。私たちは、観劇の話から始まり、アシュランドの魅力、教育論から社会論まで1時間半余も議論を続けた。

宿泊した「Bed & Breakfast」。

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外からも自分の部屋に入れるようになっている。私たちの部屋の名前は「Shakespeare Garden Room」であった。

中国唐時代の詩人李白の言葉に「私の志は、古代の詩の良き伝統を受け継ぐこと。その輝きが、千年後も照らすような詩集をつくることである」というのがある。わずか数十年しか生きない人間が、自分の死後千年を見据えながら、自分が「言葉の使者の役割を果たす」という大きな展望に感嘆せずにはいられない。シェークスピアの言葉、作品も400年の時を経て、世界中で読まれ演じられている。オレゴンのこの小さな町「アシュランド」ででも。

シェークスピア劇「お気に召すまま-As you like it」の中の名言。

All the world’s a stage

And all the men and women merely players

They have their exits and their entrances

And one man in his time plays many parts

全世界は舞台だ

そこでは男たちも女たちも役者に過ぎない

舞台を出たり入ったりしながら

それぞれに割り当てられた役柄を演じているだけである

「人生ははかない」という日本語もあるように、このあくせくした世の中で生きる私たちは、シェークスピアの言う舞台上で自分の人生を演じているだけなのかもしれない。

しかし、今生きている私たちが、この「言葉」や「作品」を次世代へと伝えているのは確かなことである。

シェークスピアの創作も、世界中の素晴らしい物語や詩も、これから幾千年も輝き人々に愛されていくことだろう。

Elizabeth Theater in Ashland (elizabethantheatreashlandbigger.jpより)

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