岩坂彰の部屋

第31回 専門分野は作れるか

 昔、占星術に凝っていたころ、射手座の自分の知識のあり方についてなるほどと思う説明にぶつかったことがあります。広く浅く知識を求めるのは双子座[注1]。一つのことだけを深く追求するのは蠍座。これに対して射手座は、深い知識を求めるけれども、興味対象は一つではなく分散する。それも双子座のようにまんべんなく分散するのではなく、知っている分野と知らない分野の差が激しい――そんな説明でした。

 「射手座だから」という因果的説明の妥当性は脇に置いておいて、ともかく私の知識の求め方はそんな感じです。表面的な情報だけでは満足できないし、かといって一つのことだけでは飽きてしまいます。大学で哲学を専攻しながら、でも哲学者にはなりきれず(ほんとうは大学院試で落とされたのですけれど)、編集者から翻訳者へと流れ、なんとか精神医学系を専門分野と呼べるようになっても、実際はそこだけに集中することができずに今に至っています。

 連載のはじめの頃にも書きましたが、〈翻訳〉という仕事は、一つのジャンルとして、〈スポーツ〉というのと同じくらいの広さがあるのですが、プロのスポーツ選手になろうというときに野球選手になるかサッカー選手になるか決めてないなんてことがありえないのとは違って、翻訳家になろうという人がどういう分野の翻訳をするか決めていないというのは珍しいことではありません。

 実際私も、翻訳学校に通っているころは、どうしたものかと思い悩んでいたものです[注2]。フィクションをやる気ははじめからなく、ノンフィクションのクラスで勉強しながら、自分は何を訳すのがいいのだろうとあれこれ考えていました。ところがこの性格です。科学系も好きですし、思想系にも惹かれます。環境問題に行こうと思ったこともあれば、占星術を原書で読んでいたことも。

専門がないという強み

 仕事を始めてからは、とりあえず何でも屋です。産業翻訳もやりました。出版翻訳でも、図鑑もの、美術書、もちろんそのころは断れる立場でもないですし、フィクション以外はほんとに何でも。

 当時考えていたのは、自分の強みは、特定の分野に詳しいということではなくて、逆に何でもできるというところにあるのではないかということです。そう思いながらも、実はそれが言い訳にすぎないことも心のどこかで意識していました。以前このコラムにもご登場いただいた青木薫さんのように物理学をほんとうにちゃんとやった人ですとか、生徒の中にいた、ともかくワインについて訳したい本があるという人ですとか、方向性のはっきりした方がうらやましいと思っていたものです。

 専門分野はあるほうがいいに決まっています。理解の正確性も、翻訳の効率も違います。ただ、現実的に仕事を受けるうえでは、ある程度幅広く対応できるというというのはたしかに強みではありました。翻訳に際しては、その分野の知識を持っているということよりも、その分野の知識を深められる基盤を持っているということのほうが大切です。幸いなことに射手座的に分散した興味は、いろいろな内容を深めていく足がかりを提供してくれました。例えば占星術の知識は、私の中では天文学への足がかりにも心理学への足がかりにもなったりしたわけです。

自然にできた専門分野

 今では、どの分野がご専門ですかと尋ねられると、精神医学~脳科学ですといちおう答えられるようになりました。現実的にはそればかりではないのですが、気持ちとしてはこのあたりが中心です。こちらの方向に来たきっかけは、正直なところ偶然でした。たまたま直接的に(翻訳会社を通さず)仕事を頂戴できるようになった編集者が心理療法系の方だったということです。

 そうこうするうちに、連れ合いがパニック障害を発症し、精神医学は文字通り他人事ではなくなってしまいました。2人でいわゆるドクターショッピングも経験し、一方で心理療法系の学会にも顔を出し、結果として、紙の上の知識にとどまらない現実感覚が身について「しまった」、というのが正直なところです。

 もしかつての私と同じように専門分野がないことで迷っている学習者がいらっしゃるとしたら、私にできるアドバイスは、自然にできる専門分野がいちばんだ、ということになるでしょうか。ある分野の本をたくさん読めば詳しくはなりますが、やはり現実を知っていないと十分ではありません。なんとか意図的に専門分野を作りたいとお考えなら、 その分野の雑誌を読み続けることをお勧めします。ウェブ上の雑誌的情報でもいいですけど、ある程度専門的な分野になると、現時点ではまだ紙の媒体には及ばないと思います。

ウェブ上の情報の活用例。私はGoogle アラートを利用して精神医学系の情報をチェックしています。たとえば「うつ病」をキーワードにするとこんな感じです。

 しかしいろいろ言っても、実際のところ、今の私の仕事はウェブ掲載の経済系の記事や科学系の記事が半分以上を占め、書籍の翻訳でも思想ものや宗教ものを引き受けてしまって(訳書リストをご覧下さい)、自分で選んだ精神医学や脳科学の書籍の翻訳が思うように進まないというのが現状です。まあ、それぞれそれなりに面白いと思ってしまうのだから仕方がないのですけれども。

 世は雑学ばやりで、広く浅く、のほうがマーケットが大きいと言えましょう。しかし、数は少なくても特定分野の深い知識を求める人はいます。あるいは、あまり目が向けられなくても、境界領域の分野に興味を感じる人だっています。送り手の側にも受け手の側にもいろいろいるから成り立っているわけで、自分に合ったやり方でやっていけばいいのだろうと、とりあえず自分を納得させているところです。

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