Did you know that?

39. エプロンとナプキン

「あーあ、エプロンをしておけばよかった」
エプロンをせずに台所に立ったときの私の後悔の言葉だ。主婦であるから、台所に立つ機会は多い。朝、前夜寝る前に使ったコップや湯飲み、夜食に使った皿などを流しに入れる。パッシャと水が跳ねる。せっかく着替えて朝の仕度をしようと思っていたのに、上着が汚れてしまう。「面倒でもエプロンをすればよかった」と思っても遅い。

仕事が荒っぽい私は、炊事をするときはできるだけエプロンをかけるようにしているが、アメリカには、エプロンをして料理する主婦はほとんどいない。それ故か、エプロンを売ってある店は少なく、キッチン用品専門店に行くか、インターネットで買うしかない。

しかし、スーパーなどでエプロンを売ってあるのを見かけることがある。夏の間のバーベキュー用品売り場である。どれもデニムのごわごわの生地で、印刷されたロゴや絵、フレーズの面白さに特徴がある。日本で売られているような、デザインも良く、軽くて使いやすいエプロンは、ここにはほとんど売ってない。これはバーベキューをする人向けのエプロンである。そしてアメリカでは、バーベキューの責任は、多くの家庭で男性がもつ。庭のポーチ、ベランダなどで大きな用具を使って肉や魚をバーベキューするが、これはアメリカ男性の幸せのトレードマークのようなものだ。一般的に主婦は台所でサラダやデザートなど、他の料理の準備をする。パーティであれば、主婦はお客が来るころには身奇麗にし、客との会話を楽しむ。その横でご主人は、エプロンをかけ片手にビールを持ちバーベキューに勤しむ。もちろん、男性でもエプロンをつける人は少ないが、エプロンが主婦のものである時代はアメリカではとうの昔に終わったようだ。

わが家の楽しいエプロンたち(義母からもらったハンガリーの“グヤーシュスープ(4人前)”の作り方が日本語で書いてあるエプロン、にぎり寿司模様のエプロン、ペンシルベニアに住む夫の叔母から送られてきたBBQエプロン。“masters of the grill”と書いてある)

アメリカの一般的なパーティ料理として、野菜サラダ以外に缶詰や冷凍食品を工夫して使う料理も多いが、洗浄済みレタスや既に切ってある野菜入りパックを使えば洗う必要もない(*参照 #38「生野菜」)。缶詰や冷凍食品は、中身を出してキャセロールに入れ、オーブンで焼けばできあがる。食べ終わった皿はディッシュウォッシャー(食洗器)がしてくれる。調理することによって服を汚す機会は以前に比べ激減した。料理の簡素化と台所用具の自動化とともにエプロンも消えてしまった。夕食時にも、パーティでも主婦がエプロンをつけ料理している姿にはこの20数年お目にかかったことがない。性別役割分業の象徴のようなエプロンは、アメリカの主婦にはもう無用の長物なのだろう。最近は日本でもエプロンをせずに台所に立つ人が増えたと聞く。包丁やまな板を使わない人もいるとか。そのうちアメリカ人のように小葱なんぞ鋏でチョキチョキ、なんてことになりかねないかもしれない。

Bistro Apron

Tuxedo Apron

しかし、アメリカにエプロンという言葉はまだある。エプロンは、フード・サービス(Food Service)業界、つまりレストランなどではよく使われ健在である。その種類は、ウエスト・エプロン(Waist Aprons-腰下三十センチくらいの長さのもの)、ビストロ・エプロン(Bistro Apron-居酒屋用というか、腰下の長いもの)、タキシード・エプロン(Tuxedo Aprons-タキシードのような形)、シェフ・エプロン(Chef Aprons-コックさんが着る上張りの服のような形)、ベスト・エプロン(Vest Aprons)などがある。あるものは、全くエプロンには見えず服のような形だが、ベスト・エプロンは、レストランでウエイターやウエイトレスが着ているものを言う。Disposable Apronsは使い捨てエプロン。Nail Apronsは、大工さんが釘を入れるためのもの。また、道路工事現場の作業員や交通整理係などが着ている安全のため蛍光塗料がついたベストのようなものもSafety Apronsと呼ばれている。飛行場内にはエプロンと呼ばれる区域があるらしいが、劇場の弓なりに突き出た部分は、エプロン(ステージ)と呼ばれている。エプロンの意味は広い。 

さて、日本人にとって、「エプロン」という言葉は外来語である。以前は「前掛け」と呼ばれていた。「割烹着」も、着物をきていた昭和三十年代まではよく使われていた。洗濯がしにくい着物にはエプロンは必需品に違いなかっただろう。鎌倉時代の「扇面古写経」という絵巻物には、十二単衣を着た貴族女性の横で、小袖を着て白っぽい腰布をつけた働く女性が描かれている。この腰布は、着物を汚さないための前掛けであったのだろう。エプロンや前掛けが、いつごろから使われるようになったかはっきりとわからないが、古今東西、女性は、服を家事や作業によって汚さない工夫としてエプロンのようなものをしていたのではないだろうか。

「扇面古写経」に見られる腰布

さて、炊事をする時服を汚さないためのエプロンは風化しつつあるが、食事をするとき服を汚さない工夫はどうであろう。アメリカでは、どの家庭でも食事時にナプキンを使う。家庭では、普段白い紙ナプキンを使うが、紙にも薄くて安いものから厚手の大きめのちょっと高級な紙ナプキンもある。模様つきの紙ナプキンの種類の多さは驚く程で、季節や年中行事にあわせたもの、結婚式、子供の誕生パーティ用には男女の好みに合わせたナプキンが売ってある。また布ナプキンはテーブルクロスと隣合わせていろいろな店に売ってある。こちらも種類は多く、テーブルクロスとお揃いの模様など、見ているだけでも楽しくなる。紙ナプキンを普段に使い、来客用に素敵な模様の布ナプキンを使う家庭は多い。

その昔、ヨーロッパで、食事は手で食べていたらしい(*2参照#24「フォークと箸」)。一皿ごと食べた後、手を洗い、給仕の持ってきた布で拭いていた。フランスで800年代、イギリスで900年代にテーブルクロスを使うようになり、食事で汚れた手をテーブルクロスの裾で拭くようになってしまったそうだ。十五世紀半ば、イギリスで、この行儀の悪い習慣を改め、小さめの布で拭くようになったのがナプキンの始まりらしい。この布は一辺が50センチから1メートルで今のナプキンのサイズに比べるとずいぶん大きめだが、食事のときに膝にかける、炊事では布巾に、古くなれば雑巾に、そしてオムツや生理帯に使われた。生理用品がナプキンと呼ばれる所以である。アメリカでは生理用品は、「feminine napkin」「sanitary napkin」「sanitary towel」「sanitary pad」「menstrual pad」などと、いろいろな呼び方があったようだが、 紙ナプキンの発達した現在、一般的には「Pads(for period)」と呼ばれるようになった。

アメリカでは、レストランに行くと必ず紙ナプキンがテーブルの上においてある。それは、日本食、チャイニーズ、ベトナム、どんなエスニックレストランであっても、フォークとナイフとナプキンがセットで出される。ランチタイムには紙ナプキンをだすレストランも多いが、高級レストランでは、ランチタイムであっても真っ白い布のナプキンを使うところも多い。人々は、そのナプキンを必ず腿の上に置いて食事をする。ナプキンの習慣を持たずに育った私は、この作法になれるのにずいぶん時間がかかった。真っ白い布ナプキンに口紅のついた汚い口を拭く。「この口紅の汚れ、落ちるだろうか」ちょっとした罪悪感を感じる瞬間である。

箸を使って食べる食事は、手や口を汚しにくいのだろうか、ナプキンは必要なかったのだろうか。日本では今でもテーブルセティングにナプキンを準備する家庭は少ないのではないだろうか。濡れタオルやティッシュがおいてある家庭も多い。

ナプキンを使う習慣を持たずに育った私だが、アメリカ人と結婚し、アメリカに住んでいるので、我家では食事のたびにナプキンを出す。紙ナプキンを使うことも多いが、気分によって布ナプキンを普段使いにすることもある。しかし、食事の度に布ナプキンを変えるわけではないので、何日間か同じナプキンを使うようになる。アメリカでは、サンドイッチ、ピザ、ホットドッグやハンバーガーなど手で食べる食事も多いので、布ナプキンを使う習慣は、まだ紙がそれほど安価でなかった時代に経済的方法として使われていたのだろう。売られているテーブルクロスもプレイスマット(ランチョンマット)も布製は多い。こちらもよほど汚れが目立たない限り数日間使う。衛生上それが良いのかどうかは未だに疑問である。

来客用に使う布ナプキン。真っ白のプレイスマットとナプキンは20年程前、義母が12人分のセットを贈ってくれた。ただ、美しくて使うのを躊躇してしまう……。

わが家では、来客のディナーにはテーブルクロスをかけ、アイロンのかかった美しいナプキンをテーブルセッティングに合わせてだすことも多い。お客様が帰ると、
「さあ、テーブルクロスとナプキンをすぐに洗わなくちゃ」
と片付ける。来客用に使ったテーブルクロスや布ナプキンは、汚れていようがいまいがすぐに洗濯をする。染みを残さないためである。

この不経済な習慣は、見栄のためか、食事を立派に見せるためか、優雅さを味わうためか……。未だに謎のまま、生活を変えられないでいる。

この何でもない家庭におけるエプロンの衰退やナプキンの発達も、アメリカの資本主義経済とともに変遷してきた一つの象徴かもしれない。

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