ケアンズ通信

24. オーストラリア住宅事情 ~ケアンズで家を買う(後半)

銀行の事前住宅ローン審査で給与明細等を提出した私とDは、後日銀行から「二人で合計$300,000までの借り入れ可能」との結果を受け取った。それまでは自分達が住んでいたエリアで寝室が二つ以上あるアパートを中心にオープンハウス巡りをしていたが、$300,000まで借り入れ出来るのであれば、それに自分達の預金を足せば戸建ての購入も不可能ではない。不動産購入には否定的だった私も「良い物件が有れば買ってもよいかなぁ」と考えるようになり、それからは戸建てを中心に更に積極的にオープンハウス巡りをするようになった。

オープンハウス巡りを始めて三ヶ月ほどしたある日、Dが突然「不動産の値段は下がり始める。今は買う時期ではない。それよりも値段が下がる前に自分の持っているアパートを売らなくちゃ」と言い始めた。それまで買い手だった私達は、急に売り手の立場に転じたのだ。販売は私の会社でアパート売買を専門にしていた女性にお願いしたが、このDの家のセールスを身近で見たことで、その後の私の仕事に対する思い、取り組み方が大きく変わることにる。それまでは「永住権を取るための手段としての仕事」に過ぎなかった不動産営業という仕事が、「家を売りたい人」と「家を買いたい人」を結びつける、とても有意義で責任のある仕事だと認識するようになった。またこのセールを通して、売り手の気持ち、営業担当者と売り手のコミュニケーションの大切さなど、不動産営業に携わる者として実に多くのことを学んだ。Dは2006年5月に$102,000で購入したアパートを2008年1月に$163,000で売却した。部屋の中のリノベーション(改築)に約$20,000を費やしたそうだが、それでも二年間で約$40,000の利益というのは悪くない。Dの予想は的中し、この後ケアンズの不動産価格は下落し始める。Dはギリギリのところで、市場のピーク時にアパートの売却に成功した。

Dがアパートを売った直後、Dはその友人から「貸している家が空き家になって賃借人を探している。住んでくれないか?」と言われ、「一人で借りるには家が大きすぎる」という理由で、私もアパートを出てDと一緒にそのDの友人の家で暮らすことになった。Dと付き合い始めて8ヶ月ほど経っていたが、「買うための家」を探す過程や、Dの家を売る過程を共に過ごしたことで彼への信頼感も強くなっていて、Dと一緒に暮らすことにも抵抗がなくなっていた。

私達の関係に変化が有っただけでなく、Dの中でも何かが変わり始めていた。Dは当時売れない絵描きで、生活のために大工仕事をするというヒッピーな暮らしをしていたのだが、オープンハウス巡りで多くの不動産営業マンの仕事ぶりを見たり、私から不動産業界の話を聞いたりしているうちに、「不動産営業の仕事がしたい。自分は他の人たちとは違った方法で、不動産営業が出来る」と考えるようになったようだった。Dは不動産営業の資格を取るコースに通い、アサインメント(課題)を終了し、不動産営業のライセンスを取った。高校を中退して以来ずっと画家兼大工という生活をしていた当時42歳だったDは、それまで履歴書を書いた経験も無ければ、オフィスで働いた経験も皆無だった。ライセンスは取ったものの、そんなDを雇ってくれる不動産会社があるのか。私は駄目でもともとと、私が勤める不動産会社と同じフランチャイズで、ケアンズの南にあるオフィスの社長に単刀直入に当たってみることにした。

「私のボーイフレンドが不動産営業マンになりたいといってライセンスも取ったのですが、あなたのオフィスで雇ってもらえませんか?実務経験は有りませんが、不動産を見る目と、センスの良さは私が保証します」私の心配をよそに、社長は気が抜けるほど簡単に二つ返事で了承してくれた。Dは履歴書も面接もなしに、大手不動産会社に採用された。

入社一日目のDは入学式に出る小学校一年生のような緊張ぶりだった。肩まであった髪を切り、ピアスをはずし、暑いケアンズでは誰もつけていないネクタイまで締め、オフィスまでの道を何度も地図で確認して出勤していった。スタッフミーティングの時に緊張してDが震えていたと、Dのオフィスの人が後からこっそりと私に教えてくれた。仕事が終わって家に帰るなり「会社どうだった?皆とうまくやれた?仕事、楽しめそう?」矢継ぎ早に質問する私に、Dは勢い込んでこう言った。「僕達の家を見つけたよ!今から一緒に見に行って欲しい」Dが何を言っているのか全く理解できなかった。不動産価格は目に見えて落ちてきていたが、Dが仕事を変わったこともあり私達の家探しは保留になっていた。僕達の家?いったいこの人は何を言っているんだろう。今日は彼の入社一日目じゃなかったのか。事情が飲み込めない私にDが説明したところによると、Dは入社初日のオフィスで、上司から「今日はとりあえず自分が買いたい家でもインターネットで探してみて、市場を理解するところから始めてみたら」と言われ、久しぶりに「買い手」の目で不動産サーチをしていたら気に入った家を見つけたのだという。「とにかく家を見に行こう」とDに引っ張られて連れて行かれたのは・・・、

クイーンズランダーとよばれるクイーンズランド州特有の木造高床式住宅、築60数年のオンボロ住宅だった。私達は前のアパートや私のオフィスと同じエリア(ケアンズでは一番の高級住宅地と呼ばれる地域)で、ブロック作りの寝室三つ以上の家を探していたはずなのだが、このオンボロ住宅はエリアも違えば寝室だって二つしかない。私達が探していた理想の家との余りの違いにショックで言葉も出ない私にDは「Mihoが考えていることはわかる。でも自分はこの家をきれいな家にリノベーションする自信がある。エリアは自分達が思っていた所では無いけれど、シティの中心に近いから、これから発展して不動産価値はきっと上がる。家の中に入った時に、何かとっても良いものを感じたんだ」と言った。私は断る理由を探そうと家の中に入ってみた。低い天井、暗い室内、世にもおぞましい汚いお風呂、ゴキブリが一族で暮らしていそうな台所、寝室とリビングの間の壁には意味不明な窓も有り、家の中は外から見るより更にひどかった。「こんな家買いたくない!!」と拒絶する理由は簡単に100くらい羅列出来そうだった。が、不思議なことに、Dが言った通り確かに何か良いものを私も感じた。それまで仕事で豪邸と呼ばれるお宅を見る機会も有ったし、オープンハウス巡りで数十軒の家を見ていたが、それまでに感じたことが無い「何か良い感じ」だった。「天井を高くして、お風呂や台所も全部やりかえて、今は空洞になっている一階に寝室を二つ増築するんだ。庭にはパパイヤやパイナップルの木も植えよう。将来はここにプールを作って・・・」オンボロ住宅を現代的で素敵な家に変えてみせると目を輝かせて話し続けるDの隣で、私はなぜかとても穏やかな気持ちで立っていた。仕事を変えたばかりのDと住宅ローンを返済できるのか、本当にオンボロ住宅がきれいに生まれ変わるのか、今考えると不安材料は山ほど有ったはずなのに、その時は不思議とそんなことを考えなった。

オンボロ住宅の隣の家にはたまたま日本人の奥さんが住んでいて、内覧を終えて家から出てきた私達に「まさか、ここに住むんじゃないでしょ?」と言った。確かに日本人女性に好まれる家からは、一億光年くらいかけ離れていたが、私はDも私も感じた「何か良い感じ」と、Dの夢を信じてみることにした。この家の販売を担当していたのは私やDの半分くらいの年の不動産営業マンになりたての男の子で、この家の契約が彼の初めてのセールスだったのだが、私達が家を購入したいと契約書にサインをした時に、彼は自分の初めての契約に興奮すると同時に、「この二人、マジでこんなオンボロ住宅を買おうとしてるの?どうして?何考えてるの?」と思ったと、彼本人から後日告白された。住宅を購入する際には、住宅に瑕疵が無いことを確認するために買主には建物検査をする権利が与えられているのだが、Dは「古い家だから検査をしたら瑕疵が見つかるのはわかっている。問題が有る所は自分が修繕する。建物検査をしないことを条件に値段の交渉をする」と、建物検査の権利を放棄した。

2008年6月、私とDは連名で、ケアンズシティ中心部から車で三分、敷地417m2の上に建つ二階建て、築63年のオンボロ住宅を$270,000で購入した。

2008年6月に購入したクイーンズランダーと呼ばれる高床式住宅。売りに出されるまでは、同じ老夫婦が約30年間が借りて住んでいたとのこと。

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