Did you know that?

40. 私とボランティア(前半)

私がアメリカに住み始めた25年程前、日本との違いに驚いたことの一つに、ボランティア活動があった。日本で生活していた頃、私自身は社会の巷にあっただろう「ボランティア」という言葉に共感することや自分から働きかけるようなことは全くなかった。精神的にも経済的にも余裕がなく、またボランティアで何をするかという意味さえ分からなかったし、身近にボランティアをする人もいなかったので、そのような活動をしたことはなかった。 そんな私が、まさかアメリカで、これほどボランティア人生を送るとは思いもしなかった。

私が初めてボランティアらしきことをしたのは、長男が5歳で入った幼稚園でであった。この幼稚園では、親は自由に教室で参観してよいと言われたので、アメリカの幼稚園がどのようなものか、息子がここでうまくやっていけるかどうか見るために、週に1、2日数時間教室に残るようになった。すぐに先生はボ〜ッと立って見ている私に、手伝ってくれと頼むようになった。作業の遅い子供を手伝う、コピーをしにいく、季節や行事ごとに教室の飾り付けをするなど、私にもできることであった。

「えっ?ただ教室で先生に頼まれたことをするだけでボランティアって言うの?」アメリカでは、学校でのこのような活動は、最も多くの親が関わっているボランティア活動である。

さて、子どもたちが小学校に上がると私の学校におけるボランティアは、本格的になった。学校に登録し、週に1、2回他の親と2人一組で午前中か午後教室で先生を手伝う。その他、学校行事、募金集めファンドレイズィング運動、遠足など、気づいてみれば週に3日も学校でボランティアをしていることも多かった。しかし、私自身はこの時点でも、アメリカ式学校ボランティア活動の何たるかを理解するまでには至っていなかった。私が学校で手伝った(まさにボランティアというより自分ができることをするという意識の方が強かった)のは、アメリカの初等教育がどのようなものか知りたかっただけだった。しかし、この小学校でのボランティアは、息子と娘の在学期間を通し9年間に及んだ。

子供たちの描いた絵をペンキで学校中の廊下の壁に描く作業は、親のボランティアなしにはできなかった。

教室内外のこのような飾り付けや整理整頓は、親ボランティアによってされる。

その後中学、高校では、教室内でのボランティアはほとんどなくなったが、代わりに子供たちの部活や学外活動でのボランティアが増えていった。最も大変な高校でのボランティアは、娘のダンスチームであった。親は、週末にあるダンスコンペティッションについていき、一日中子供たちの食事、衣装や化粧等の手伝いをしなければならなかった。それは、遠隔地で競技会がある場合、朝5時半からスクールバスに乗り、一日中手伝い、夜中の11時ごろ帰ってくるということもしばしばあった。また娘がキャプテンであった一年間は、キャプテンの親が、チームメイトの親の総まとめをする責任があった。親のボランティアのスケジュール管理、バスの手配、子供全員のコンペ会場での食事の準備、会計までしなければならず、これはほとんど仕事といえる程の労働時間を要した。アメリカのこのような高校のクラブ活動は、殆どが市の教育予算不足のため、親のボランティアによって成り立っている。

ダンスチームのコンペティッションで、ヘアーやメイクを手伝う親たち。

ダンスコンペティッション

その後、私のボランティア活動は、子供たちが大きくなるにつれ学校だけにとどまらず地域や団体へと広がっていった。

最も時間と労力を要したのは、この地方の人形劇団“Tears of Joy Theater”の演目に「Little One Inch(一寸法師)」が上がった時だった。16歳の息子が書いた脚本が採用されることになり、50分の上演になる。衣装をどうするか……、私は劇団員の衣装係が作る日本衣装に疑問をもっていたし、劇団の方からも手伝ってほしいという要請を受けたので、「織り」を手がける友人に頼んで、一緒に手伝うことにした。これは衣装と鬘等の製作に3ヶ月近くもかかった。息子は脚本の代金をもらい、友人にはお金を支払ってもらったが、演出を手伝った夫と私は、ボランティアだった。資金繰りに苦慮している劇団からお金はもらえなかった……。夫はこの劇団の役員を長年しており、私自身も劇団を支援していたので、「一寸法師」をできるだけ立派なものに仕上げ、多くの子供たちに観てもらいたいという気持ちでいっぱいだった。

2005年3月の初演から、小さな「一寸法師」は大成功をおさめ、その後オレゴン全州はもちろん、カリフォルニア、ワシントン、アイダホ、ユタ、モンタナ州の小学校から招かれ、25万人以上の子供たちに観てもらうことができた。また、この人形劇は、遠くアトランタやウエストヴァージニア州などでも公演されてきた。息子は、“Young Writer’s Award”という賞をもらったので、私たちのボランティアの苦労は報われた気持ちだった。

人形劇団のチラシ。遠近法のため2メートルの大きさに作った鯉に乗った一寸法師が川を上っていく様子。この鯉自体は劇団で作られたが、友人と私は古着の金地の青海波模様の帯を鱗に見立て切って張りつけた。

おじいさんとおばあさんと一寸法師

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お姫様と友人のご主人が作ってくださったお姫様の遊ぶ人形の家。

アメリカには、このようにボランティアに支えられている活動が数多くある。地方の非営利団体(NPO)の“Board Members(役員)”は全員がボランティアである。役員をボランティアに頼むというのが分かりにくいかもしれないが、ほとんどのボランティア役員は、ある程度金銭的にも精神的にも余裕ある人がなる。関係者からの紹介や推薦があり、その団体に労力あるいは金銭の寄付ができるような人がなれる。月に1、2回のBoard Meeting(役員会議)があり、団体の運営から寄付依頼までする。数百人を集めるバンクエットの企画、資金援助のための寄付を募る電話やメール作戦等によって、時には数百万円の寄付を集めることもある。(つづく)

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