特別寄稿

『リタ』②

ヨハンナ・シュピリ著
たかおまゆみ訳


 すばらしい夏の日が続きました。草原にふり注ぐ金色の光、モミの木の森にさえわたるすがすがしい風の音、岩山と雪山の上に広がる吸いこまれそうに深く蒼い空。エラとリタは数日のうちに、午後の時間を気持ちよく過ごすことのできるすてきな場所を、たくさん見つけていました。エラはモミの木のそばの柔らかいこけの上か、牧場の斜面に腰をおろし、ホールベックさんが来て、おもしろい本を読んだりお話を聞かせてくれたりするのを楽しみにしているのですが、リタはもう次の場所さがしに夢中でした。
 フェランド夫人は体が弱かったので、居間にいる夫のそばですごすか、横になっているかどちらかでした。
 さて、リタはと言うと、編み物をいれたかごを抱えてやってくるたいくつなホールベックさんといるのに、すぐ飽きてしまいました。「わたし、パパにいっぱいお話があるから、急いでパパのところに行かなくちゃ」と言うなり家にかけもどり、フェランド氏のひざに飛び乗ると、どうやって岩をよじ登ってモミの木へ近づくのとか、モミの木にのぼって遠くまで見渡してみたいとか、深い深い雑木林の中、時おりとても恐ろしく鳴く大きな鳥のところまで行きたいとか、それはそれはたくさんの提案をするのでした。
 フェランド氏は、どこまでも自由に広がる娘の提案を興味深く聞きながら、「そうだな、さしあたってもう少し手近な散歩道を選んだらどうだろうね」とアドバイスしました。リタは父親の言葉にうなずくと、エラとホールベックさんのところにもどって行くのでした。

 さて、今日はいつもとちがう新しい提案があって、リタはとても急いでいました。
「ねえパパ。ほんのちょっとのあいだ、本を読むのをやめてくれる? わたし、パパにお話ししたいことがあるの」
 フェランド氏が耳をかたむけると、リタは続けました。
「昨日もね、今日もね、向こうの家の前に小さい男の子が立っていてね、目をパッチリ開けて、いつもこちらを見ているの。わたし、一度どうしてもその子のところへ行って、どうしてそうしているのか、何ていう名前なのか聞かなくちゃいけないわ」
 フェランド氏から、いいよ、お行き、と言われて、リタはさっそく行動に移しました。一時間前と同じところにセプリはまだ立っていて、こちらを見つめていました。見知らぬ人たちが来てから、いつも何か新しいことが起きているので目がはなせないのでした。

 リタは、パパがママと重大な話をする時にするように両手を背中の後ろに回して言いました。
「いつもうちを見てるでしょ。どうして?」
「別に」セプリは答えました。
「うちにも小さい男の子がいると思ったの? その子がどんな子か見たいと思ったの?」
リタはさらに問いただしました。
「ううん」
「きっと、あなた忘れちゃったんだわ。何を見ようと思ったのか」リタは自分自身とセプリのために、話をうまくおさめてそう言いました。
「あなた、なんていう名前?」
「セプリ」
「何才?」
「わかんない」
「それは知っていなくちゃいけないわ。来て、わたしの横に立って、そう」リタはセプリの横に立って、少年を肩ごしに見ました。少年はリタよりほんの少し小さかったけれど、リタよりとてもがっしりした体つきでした。
「あなた、まだわたしより大きくないわね」リタは、おねえさんぶって言いました。
「とても小さいのよ。わかる? わたし今度七才になるわ。だって、この前六才になったんですからね、誕生日に。たくさんプレゼントをもらったんですもの、ようくおぼえてるわ。あなた多分、やっと六才になるところなのよ。だって、まだとても小さいんですもの」
 セプリはリタのいうことを疑わずに信じました。知らなかったのです。実はもうしばらく前から七才になっていて、背が伸びるよりも今はただ、横に伸びているだけだということを。

「あなた一日中何してるの?」
 リタが聞くと、セプリは長いこと考えていました。そして、ようやくこう言いました。
「どこに赤い花があるか知っているよ」
 燃える火の粉のように、この言葉がリタの心に火をつけました。
 リタは森の中のどこかで、燃えているような赤い花の集まりを見たことがありました。セプリの言葉を耳にしたとたん、そのすばらしい花が欲しくてたまらなくなってしまいました。
「どこ、どこ? セプリ、どこにその花あるの? すぐそこに行きましょうよ!」
 リタときたら、なんということでしょう。セプリの手をつかむと、森に向かって歩きはじめました。セプリはされるがまま、のろのろとついて行きます。

「そこ」
 セプリは雑木林の上の方を指さしました。
「まあ! あそこから森の中へ行くの?」
 リタは興奮して、セプリの手をもっと引っぱりました。
「そうさ、どんどん先だよ」
 セプリは足をはやめることもなく言いました。用心深かったし、重い木靴をはいていたからです。でもリタは、ますます強くセプリを引っぱりました。リタの目には、暗い森を通るその道の向こう、うっそうとしげる木々の後ろに、大きな赤い花がキラキラと光を放っているのが見えるかのようでした。

 フェランド氏は、小さい娘がなかなかもどってこないものですから、さがしに出たところでした。家の門を出ようとした時、リタがセプリをありったけの力で引っぱっているのが目に入りました。
 めずらしい組み合わせのふたりに向かって、フェランド氏は声をかけました。
「そら、そら! そんなにあわてないで! 新しい友達をどこへ引きずっていくんだい?」
「まあ、パパ!」
 リタは大きな声で答えました。
「セプリが赤い花のありかを知ってるのよ。つみに行くつもりなの」

 フェランド氏は、リタの手を自分の手ににぎりかえると言いました。
「それはまずいな。今からママもいっしょにみんなで散歩に行くんだよ。その子が取ってきてくれるさ。そうしたら、バタつきパンをお礼しようじゃないか」 家の中に連れもどされたリタは、まもなくするとみんなといっしょに出てきました。フェランド一家は夕方の散歩を日課にしていたのです。太陽の光輝いている谷と反対の山の小道を上って、今日も出かけて行きました。
 セプリはさっきと同じ場所に突っ立って、一行が全く見えなくなるまで目で追っていました。それからやっと向きを変えて、家の戸口へ再び帰って行きました。

おそろしい夜

   翌日、フェランド夫人は、ベッドでふたたび休まなければなりませんでした。一方、ホールベックさんは、いつものように大きなかごをかかえて、編み物をするためと読み聞かせをするために、美しい木陰にゆっくり向かいました。リタはむちゅうになって、炎のような赤い花の茂みについて、エラに話して聞かせました。話しているリタの目もだんだん大きくなり光るのがわかります。話して聞かせれば聞かせるほど、森の真ん中の道にいる気分になって、目の前に赤い花が見えてくるからでした。

 そろそろホールベックさんの読み聞かせの時間でした。
「さあ、リタ座って。今日のお話もすてきよ、静かに聞きましょうね」
 でも、リタは上の空なのです。目の前にうかぶ赤い花のことで、心がいっぱいでした。
「わたし、すごく急いでパパのところに行かなくちゃ。言うことがたくさんあるの!」
 リタはそう言うなり、家の方にかけて行ってしまいました。落ち着かないのはいつものことと言えばいつものことでしたが、今日はいつものリタよりももっとあわてていました。

 しばらくしてもリタがもどってこなかったので、ホールベックさんはいらいらしてきてエラに言いつけました。
「様子を見てきてくれるかしら? おくさまを起こしていたら大変だから。お父さまだってもうお出かけのはずよ。ちょっと遠出する予定があるとおしゃっていたから」
 エラは、命じられるままに走って行きました。
 ところが、エラもなかなかもどってきません。そこで、ホールベックさんも追いかけて行くと、家の中はとても静かで、居間にも台所にもひとかげがありません。
 あわてたホールベックさんは小さい階段をあがり、子どもたちの寝室のドアを静かに開けましたが、そこももぬけのからでした。開け放たれたドアからのぞき見えた両親の部屋には、フェランド夫人がねているだけです。
 ホールベックさんがふりむくと、下からエラがあがってきたところでした。家じゅうすみからすみまで探したけれど、リタはいない。木いすの後ろの床のところまで、さらにカスパーのおくさんの小部屋まで探したけどいない、と言うのです。
 ホールベックさんは階段をかけ下りて、家畜小屋へ行きました。そこでは、カスパーのおくさんがヤギにわらをやっていました。彼女が言うには、家の中にいるのを見たには見た、でもしばらく前だ、とのことでした。
 いったい、リタはどこへ行ってしまったのでしょう? ホールベックさんとエラはもう一度家じゅうを探しまわりました。カスパーのおくさんも、ホールベックさんの顔色が変わっているのを見て、さがすのを手伝いました。けれど、リタの姿はどこにもありませんでした。
 カスパーのおくさんは、ひょっとしてだれかリタを見たかもしれないと思い、となりの家に走って行きましたが、だれもいなくて入り口にはかぎがかかっていました。そういえば、家族みんなで岩肌のそばの高いところに干草刈りに行くと言っていました。
 もどってこの話をすると、ホールベックさんはもうひどく青ざめて、ますます心配になり、うろうろしはじめました。
「ああ、あのとき、すぐにあの子の後を追っていたら!」と、おそらく百回はなげきましたが、何の役にもたたないのでした。

 いったいどうすればよいのでしょう?
 リタはひょっとして、その人たちを追いかけて岩肌の方に行ってしまったのでしょうか?
 ひょっとしてあの小さい少年、きのうリタが一緒にいた少年と?
 いろいろ考えれば考えるほど、多分そうかもしれないとホールベックさんには思えてきました。
 なんにしてもフェランド夫人をおどろかせないよう、心配させないよう話をしなければなりません。そのためには今すぐ、山の上の方に探しに、だれかに行ってもらうことが一番でしょう。仕事の終わったカスパーのおくさんが、この役目を引き受けてくれました。山の上まで往復するのは大変で時間がかかります。ホールベックさんは、お礼のお金ならいくらでもはらうと約束しました。
 カスパーのおくさんは、だいじょうぶですよ、きっとリタを連れて帰ってきますよ、とうけ合ったのですが、そうは問屋がおろしませんでした。フェランド夫人が、起きてきてしまったのです。子どもたちと散歩に出かけるつもりでしたから、リタの行方不明はすぐに知れるところとなりました。夫人は、すぐにも自分で行ってさがそうとしました。ホールベックさんは、リタがセプリの後を追って行ったにちがいないこと、カスパーのおくさんがきっとリタを連れて帰って来るだろうということを話し、フェランド夫人をなだめようと必死でした。
 フェランド夫人は、なるほどそれはそうかもしれないと思いましたが、一時も安心していられませんでした。窓辺でオロオロし、部屋を行ったり来たりして時間がいつ果てるとも知れませんでした。

 それから二時間が経ちました。
 暑さのために真っ赤になったカスパーのおくさんが、せきこみながらもどってきました。けれども、リタを連れてはいませんでした。
 マルティンは、家族全員で早朝から干し草集めをしていたが、それらしき女の子は見なかった、と言ったらしいのです。道々、カスパーのおくさんは、出会う人ごとにリタのことをたずねましたが、何の手がかりも発見できませんでした。
 この話を聞いて、フェランド夫人は、ショックと悲しみのあまりさけび声をあげました。
「どうしましょう! いったいだれにさがしてもらったらいいかしら? ああ、カスパーさん、どうしたらいいかしら? こんなときに主人が出かけているなんて!」

 カスパーのおくさんは、流れの速い川や雑木林をさがすことになるだろう、夜になる前に、家々を回って手伝いを頼んでみる、と言いのこして出て行きました。
 そのうち、リタの身に大変なことが起こるかも知れないと気づいたエラが、ひどく泣きはじめました。
「ママ、どうなっちゃうの? もしリタが、ゴーゴーすごい勢いで流れている川に落ちたら。それかもし森の中にいて帰り道が見つからなくなっちゃったら!」しゃくりあげてしまってとまりません。「ねえ、今すぐ森に行きましょうよ。リタがきっとこわがってるわ!」
 フェランド夫人も、同じことを考えていました。エラの手を取るなり、いつもは決して急いだりしないのに、急ぎ足で雑木林の方へ向かって行きました。ホールベックさんもあわてて後を追って行きましたが、頭のなかはまっしろで、自分が何をしているかわからないような状態でした。
 それから一時間がむなしく過ぎさり、とうとう夜になってしまいました。

 フェランド夫人は、エラの手をしっかりにぎって、やぶや植えこみの中をあちこち探しましたが、もうそれ以上は無理でした。家に戻ってくるなり、夫人はくたっと座りこみ、ホールベックさんは今にもたおれそうになりながらその場に立ちつくすのでした。泣きじゃくるエラは、母親のそばを離れようとしません。

 フェランド氏が帰ってきたのは、ちょうどその時でした。何が起こったのか妻から手短に聞くと、すぐさま妻を抱きかかえて二階の寝室に連れて行きました。そして、絶対ここで静かに休んでいなさい、リタのことは自分が全力でなんとかするからと言いふくめました。ホールベックさんとエラにも休むように言い、リタを見つけたらすぐに知らせると、告げました。

 フェランド氏は、マルティンの小さな家にまず向かいました。昨日見つけた新しい友達といっしょに、リタがどこかに行ってしまった可能性が高いとふんだからです。
 マルティンも、ちょうどドアから出てきたところでした。フェランド家の下の子どもがいなくなってしまったということを耳にして、さがすのを手伝いに行こうと思っていたのです。フェランド氏にリタについて聞かれたマルティンは、こう答えました。
「朝っぱらからみんなで岩場に行っちまってましてね。ええ、そのリタさんは、見かけやしませんでしたさあね」

 フェランド氏は、リタは一人で行ってしまったのだろうと考え直しました。とすれば、行き先はおそらくどこか岩壁の上、もしくは森の奥深くのどちらかだろうと見当をつけました。毎日のように自分のひざに来ては、お出かけ場所として提案していたからです。
 フェランド氏は、マルティンに近所の男たちをすぐさま集めて連れてくるように、集まったらみんなに明るいランプを配るようにと言いつけました。
 ほどなくしてやってきた男たちを、フェランド氏は二手に分けました。一手は岩壁に向かう組、もう一手は森の奥に向かう組です。どちらの組にも、あらゆる方向をくまなく探しまわり、リタを見つけるまでさがすのを決してやめぬように言いわたしました。こうして男たちは、夜ふけに出はらって行きました。
 フェランド夫人は、一階の古い柱時計がボーンボーンと時をきざむのを聞いていました。こんなにのろのろとした時間の流れなど、これまでに経験したことがあったでしょうか。夜は音もなく耐え忍ぶようにして過ぎてゆき、夫人はまんじりともしませんでした。時折、かすかな音がするたびに飛びあがり、こう声に出して言うのでした。
「やっとみんな戻ってきたわ。リタを連れて! あの子は無事? それとも……」
 でも誰も帰って来やしませんでした。
 そっと母親の様子をうかがっているのはエラでした。母親が寝ているかどうか気になってしかたないし、自分も心配のあまり、ちっとも落ち着いていられなかったのです。エラは母親が起きているのを見るや、何度もこうお願いしました。
「ねえママ、もう一回お祈りしましょう。神さまがリタを守ってすぐうちへ連れてきて下さるように!」
 母親がうなずくと、エラはベッドのそばにひざまずき、恵み深い神様にお祈りしました。
「どうかリタを無事に守って下さい。パパがリタを見つけられますよう、どうぞみちびいてください」
 そしてエラは、自分のベッドに戻って行くのでした。

(つづく)

このサイトは翻訳学校サン・フレア アカデミーの運営です。

PAGETOP