Did you know that?

44. 日本演劇フュージョン

ここ数年、夫や私が関わった日本文化や演劇のフュージョンでつくられた演劇について紹介してみたい。演劇については、私はオレゴンやポートランドのことしか知らない。アメリカ演劇の宝庫ニューヨーク、映画、演劇を目指す人々の登竜門ロサンジェルスのこと等とんとわからない。この両都市では、日本どころか世界中の影響を受けた演劇、ダンス、映画、その他諸々の芸術文化が日夜ひしめき合っていることだろう。

私の住むオレゴン州ポートランドの人口は、近郊を含め約230万人。しかし、この街の演劇は非常に盛んで、プロによる演劇は大小取り混ぜて年間250から300程上演される。またここポートランドには演劇の他、Oregon Ballet、Portland Opera、Oregon Symphonyなどがあり、ポートランドを本拠地とし、年間を通してコンサートやパフォーマンスを興行する。これに加え大学の演劇学部、音楽学部等が公演する演劇、オペラ、ミュージカルなどを加えると、十分すぎる程のエンターテイメントを楽しむことができる。

ここ数年、これらの劇団の演出家が日本を取り混ぜた作品を作ってきている。

私のエッセイ第35回「オレゴンの『田舎町』アシュランドとシェークスピア」でも紹介したが、黒澤明監督の映画作品「蜘蛛の巣城」を舞台化した「Throne of Blood」(参照-No.35)は、特に脚光をあびニューヨーク公演まであった。

2005年にこの地方の人形劇団「Tears of Joy Theater」が公演に選んだものは「Little One Inch—『一寸法師』」(参照—No.40)であった。この作品は、その後賞をうけ、西海岸や他の州まで遠征し25万人以上の子供たちが観ることになった。

2010年4月には、夫と私が関わった三島由紀夫の歌舞伎「鰯売り」(参照—No.32 & No.33)が大学の演劇学部によって上演された。

2010年9月は、ギリシャ神話「オイディプス(エディプス)」が女性演出家によって日本様式をとりいれ、私立大学の校内にある野外劇場で3週間公演された。夫は、初めの企画からこの劇に関わり、歌舞伎化粧から振り付けまで教えた。その折の日本の影響をどれ程入れて演出されたかを明確に表す文章があるので、明記したい。

“In a blend of classical Western theater with Eastern influences, director Elizabeth Huffman has created a Japanese-styled version of the Greek classic “Oedipus, the King”. The show takes place in a Zen garden and uses the Japanese forms of Kabuki, Noh, and Butoh theatre to tell the story.”

夏の野外劇場は美しく幕間から見える池や景色は素晴らしかった。「袴は下腹につける」と言っても全く理解できず、結局ウエストにつけたスカートの感覚であった。

ギリシャ神話をなぜ日本とのフュージョンにしなければならないかは、私には理解できなかった。しかし、和風にアレンジされた舞台には、真ん中に砂紋を描いた庭があり、着物をアレンジして作った衣装、歌舞伎化粧、高下駄を履いた使用人たち等が入れ替わり立ち代わりでて来る。この舞台を観ているうちに、私には奇妙な感覚が湧いてきた。それが、古代ギリシャの物語というよりも日本かアジアの架空の小さな国で起きた出来事のように思えたからだ。

衣装も高下駄も特別に作らせたものである。

日本では、6月に浅野ゆう子主演、三島由紀夫の「黒蜥蜴」が上演されているようだ。ここポートランドでも、英語では初となる「黒蜥蜴-『Black Lizard』」が5月11日から4週間にわたって上演された。この公演については、夫が英語翻訳の編纂を手がけた三島由紀夫戯曲集「Mishima on Stage “The Black Lizard & Other plays”」の中に集録されているものの一つだ。

Jerry Mouawadは、この地方で劇場(Imago Theater)を妻のCarolと経営し、子供向け動物の擬人化パーフォーマンスを一躍有名にした。 彼の子供向けショーは、ニューヨークでも大人気である。アメリカ国内はもとよりカナダ、ヨーロッパ、アジアからも公演依頼が来る。又、その他年間2つの大人向けの演劇公演をするのは、自分たちの大人としての主張かもしれない。Jerryは発想力、想像力にすぐれ、独自の舞台を作りだす能力に長けている。

彼は夫の本を読み、三島由起夫の「黒蜥蜴」を自分の劇場で上演したいと思い、夫に相談を持ちかけた。

2012年5月11日、初演にこぎつけた。

夫は“Dramaturg(台本及び文化考証)”として、初めから関わったが、私は「着物コンサルタント」として途中から加わった。

劇は4週間の公演で6月2日に千秋楽を迎えたが、この地方のレビューは、劇のユニークさ、面白さ、そして舞台構成と役者たちの素晴らしさをたたえるものばかりであった。又5月末にはアメリカ全国の演劇批評で絶賛され、Jerry Mouawadの才能は、子供向けのショーばかりでなく大人向けの劇の世界でも認められることになった。

さて、この劇に関わるにあたって、全てがスムーズにいったかというとそうばかりではない。夫が関わったものは別として、ここでは私自身が体験した衣装について述べてみたい。

私は、着物コンサルタントとして、主役の女性緑川夫人に着物を着せるということを相談された、しかし、劇の進行中着替える時間が1、2分程しかない。初めに着物を着せたとしても、着物を脱いで洋装に換えるには時間が足りないので、この案は「没」になった。その他、舞台装置変更時間の幕間に3人の女性が着物を着て踊るようにしたいとのことだった。こちらはコスチュームデザイナーと相談しながら、着物に半幅帯をつけるということで落ちついた。

歌舞伎化粧と着物の着付けを習う女優たち

独自に振り付けされた踊りを踊るダンサーたち

着物は私の持ち物を貸すので、「帰ってくるとき悲惨な状態になっても悔いの残らないものを貸す」ことを鉄則としている。基本的な着物の着方を教え、3人の役者がそれぞれの浴衣式帯結びを互いに手伝うことを教えた。一人は、コスチュームも手がけたことがあるとのことで、教えたことを理解しすぐ上手に着られるようになった。後の2人は何度も練習させ、どうにか妥協できるところまでいく。

リハーサルを見るようになって気づいたことが、いくつかあった。まず、主役の男性「明智小五郎」役の男性の黒のスーツが袖もズボンも短い。その上、黒の靴に白い靴下を履いている。「緑川夫人が惚れるハンサムな男性が、寸足らずのスーツに白靴下では、おかしいのではないか」と提案するが、中国系アメリカ人のコスチュームデザイナーは、全く変えようとしない。

夫と私は、「明智小五郎の服装は、まるでチャーリー・チャップリンのようだ」と演出家にも忠告した。最終的に、演出家の決断でスーツも靴下も変えられたので、私はホッとした。

緑川夫人の衣装は着物の代わりにデザイナーがドレスを作った。ところがこのドレスは光沢のある薄緑色で「立ち襟のチャイナ服的」なのである。2着目の服は着物をアレンジしたものと思えば良いとしても、髪飾りが蛍光塗料のついた緑色の細長い棒を3本つけたものだった。アメリカ人女性が、髪飾り代わりにアジアをイメージして箸を髪に挿しているのを良く見かけるが、彼女はそれをまねたのではないと思うが……。

髪の毛も頭を真上に結い上げた超現代版。私は、日本の美は「対称ではなく非対称にあり、この髪型と髪飾りでは日本の洋装には見えない。その上ライトで光るのでまるでニューヨークの「自由の女神」のように見えるのではないか。同じ髪飾りを使うにしてももう少し工夫した方が日本的に見えると助言した。しかしデザイナーは、私の提案を無視し最後まで「自由の女神」で通した。

緑川夫人役の”Anne Sorce”はとても美しく、演技も素晴らしかった。1幕目で全裸の背中に大きく描いた“黒蜥蜴の入れ墨”を見せられた観客はそのエキゾチックさに驚かされた。着物をアレンジした衣装と「自由の女神」と呼んだ髪飾り。

その他、部屋着に着るガウンや飾りの屏風も全く中国的であったのには、ガッカリしてしまった。アジアもそれぞれが違うということを理解できないのだろうか。自分のルーツを拭いきれないデザイナーであった。結局私と夫は、中国嗜好の強い緑川夫人という妥協点に落ちついた。

しかし、この「The Black Lizard」は、そのようなマイナーな点(つまり私が日本人であるが故にこだわる点で、普通のアメリカ人は、日本と中国の区別もつかない人も多いのである)を除けば、非常に洗練された独創性の強い立派な作品に仕上がり多くの観客を魅了した。秋には再公演が決まっている。

私は、アメリカでこのような演劇関係に携わるようになって以来、2005年に上映された「Memoirs of a Geisha-『さゆり』」のことを思い出さずにはいられない。日本の芸者の生涯を語った映画でありながら、諸処に表れる明らかに日本ではないもの、例えば中国的な建物がでてきたりすることに驚いた。また着物の着付けも襟の抜き過ぎやだらしなく見えるものもあり、文化考証がなされていないところが見受けられるたびに、どうしてこのようなものを映画に出せるのか、また誰もこれを指摘しないのかと不思議に思った。日本人や親日家によるこの映画に対する酷評は散々なものであった。

開いた口が塞がらない程面白かったのは、さゆりが神社でお祈りしようとして、お賽銭を入れて綱をゆらして鈴をならす場面であった。なぜだか鈴音の代わりにお寺の鐘が鳴った。ご〜ん、ご〜ん。

渡辺謙や桃井かおり等の日本を代表する役者が揃って出演しているのに、なぜこのような間違いが起きるのか、アメリカに住む日本人として腹立たしくもあった。「 Memoirs of a Geisha」でも、出演者、多くの専門家や関係者が意見を述べたことだろう。しかし、アメリカ人の演劇関係、特に演出家やプロデューサーは、他人の意見に余り耳をかさない人が多いのではないか。彼らは、アメリカでアメリカ人俳優を使い、日本の作品を作りたいのではなく、日本のイメージを持った自分独自の芸術作品を作り上げたいのだろう。それを日本人が「日本」にこだわりすぎると摩擦が起きる。結局、関わっている日本人としては、妥協点を見つけるより他ないのではないだろうか。

先日Portland Operaにより「Madam Butterfly-『蝶々夫人』」の公演があった。第一幕は蝶々夫人他の出演者が着物で出演した。無惨な姿だった。小澤征二との共演を何度かしたという男性テナー歌手が、自分が日本のことも着物のことをわかると陣頭指揮をとったと聞いた。可哀想な蝶々夫人……。着物の代わりに「打ち掛け」を着せられ、帯を結び、その上に又「打ち掛け」を着せられていた……。

劇が終わったとき、蝶々夫人の素晴らしい歌声に、満席の会場から、スタンディングオベーションの喝采が上がった。打ち掛けを2枚着て歌おうと歌声の美しさには関係ない。

7月5日から日本とシェークスピアのフュージョン「Kabuki-Titus」が公演される。「タイタス・アンドロニカス」は、シェークスピアの初期のころの舞台作品で、最も残虐な内容である。この劇団は、歌舞伎化粧に着物でと準備が進んでいる。決して日本の着物姿を想像してはいけない。

赤い化粧は、血まみれのラビニアの顔。着物の着方も教えたが、勝手に自分たちでアレンジして左前に着せた衣装で宣伝広告用のチラシを作った……。

しかし、どのような形であっても、演出家やプロデュ−サーが日本文化や日本伝統芸能に興味を持ち、それを自分の作品に何らかの形で盛り込み、多くの人たちがそれを観たいと思ってくれることは素晴らしいと思う。

たとえ観客が日本、中国、韓国その他のアジア諸国の区別ができないとしても、アメリカに住む日本人として受け入れなければならないと思っている。

6月10日には、夫の大学で学生歌舞伎『ういろう売り』を上演した。私は衣装係として3人のアシスタントに手伝ってもらいながら23人、合計32の衣装を着せた。少ない予算で衣装をどうするかは、いつも悩みの種である。しかし、「私が日本人として見ても許せる」という妥協点は失わないようにしている。たとえその妥協点が低いものであったとしても……。

Photo : Mel & Janell Huffman Photography, Inc.
左より:朝比奈、舞鶴、花魁しょうしょう、花魁とら、道化ちんさい


Photo : Mel & Janell Huffman Photography, Inc.
踊りを披露する舞鶴姫と花魁


Photo : Mel & Janell Huffman Photography, Inc.
主役の曽我五郎役Jayne Stevensと花四天(はなよてん)の大立ち回り。富士山と逆さまに"V"字を作る軽業。


Photo : Mel & Janell Huffman Photography, Inc.
引っぱり見得(幕引きの為の見得):曽我五郎、しょうしょう、とら、工藤祐経、ちんさい

このサイトは翻訳学校サン・フレア アカデミーの運営です。

PAGETOP