ボストン通信ブログ

Nemo Blizzard of 2013

1978年のブリザード

マサチューセッツに住んでいると、1978年のブリザードの話を聞かない冬はない。35年前、一晩で60センチを超える雪を降らせたこのブリザードのあと、交通も電気も、あらゆる機能が1週間マヒしたと言う。高速道路には立ち往生した車がそのまま放置され、軍隊の車両が行き交う。異常な、恐ろしい光景だったと言う。それに匹敵するパワーの「ブリザード・ニモ」がやってきた。78年のブリザード以来、多少の雪でも前の日にはスーパーで品切れが続出するマサチューセッツで、いったいどんな騒ぎになるか、1週間すべてがマヒすることになるのかと、ちょっとドキドキした。

ブリザードが始まるのは金曜日の午後ということだったので、木曜日の夜にはスーパーマーケットが満員になるだろうと、食料品の買い出しは水曜日にすませた。それでもいつも行くスーパーはすでにレジの数を増やして、レジの前で店員さんが「お客様、--番のレジにどうぞ」と交通整理をしていた。缶詰のスープなどは品数が少なくなっていたけれども、いつもなくなるミルクや水、パンはまだ十分あった。しかし、木曜日の夜には、パンはすっかりなくなっていたそうである。また、ガソリンスタンドでガソリンがなくなるという、これまで聞いたことのない状況になった。

nemo highway

そして金曜日、州内のほとんどの学校は休校になり、お昼ごろには、午後4時以降は緊急事態以外の外出を禁止すると知事が宣言した。朝10時ごろ降り出した雪は、予報通り午後3時ごろにひどくなり、道路という道路にほとんど車がない、廃虚のような風景がニュースで伝えられた。雪もさることながら、怖いのは停電である。セントラルヒーティングというのは、熱源が灯油であろうがガスであろうが、停電したら作動しない。これが続くと水道管が凍結して破裂することだってある。またこのあたりはガスがあまりひかれていないので、調理器具は電気が多い。停電すると料理もできなくなる。「停電にそなえて今、ホームベーカリーと炊飯器をフル活動中」、「大なべでシチューを作ってます」といったメールが友達から届く。うちはパンも缶詰も水も確保できたし、ご飯なども常に冷凍してある。薪ストーブもあるし、バーベキューや鍋料理用の卓上コンロもあるからそれで何とかなるだろうと、わたしはその日の夕食以外は作らなかった。知り合いはターキーを丸ごと木曜日の夜にオーブンで焼いたという。あとは豆の缶詰があるから、当分それで大丈夫だろうと言っていた。なんだか、感謝祭の料理のようで、マサチューセッツの正しい緊急食かもしれない。

夕方には一面真っ白でまったく見通しがきかないブリザード状態になり、それが深夜まで続いた。うちは大きな木に囲まれているので、1階のリビングで眠ることにして (夫は「好きにすれば」といって2階の寝室で寝ていたけど)、録画しておいた日本語テレビの番組を見ていた。なんとなく眠れなくて、夜中に何度も目をさまして、デジタル時計で停電していないことを確 認してまた眠った。

翌朝目が覚めると雪はやんでいて、予想通り、60センチほどの雪が積もっていた。うちの前の道を除雪車が行くのが見える。「4時間はかかるぞ」と、正午から雪かきを始める。200メートルあるうちのドライブウェイをクリアするだけでも2、3時間はかかる。うちの除雪機は自動で前進、後退してくれるかなり大きなものだけど、あとほんの2センチほど余分に積もっていたら、きっと使えなかっただろう。一面の銀世界でお日様がさんさんと輝き、冷たい空気が肺に入ってくるのが実感できる。

ドライブウェイの終点まで行くと、うちの前の道は車一台分除雪されただけで、うちのドライブウェイからさらに10メートルほど進まないと道路に出られないことがわかった。こうして正面の除雪が終わったらすでに午後3時半。それから、ひざ上まである雪の中をずぶずぶ裏庭まで歩いて行って、蜂の巣箱の空気孔が雪にうずもれていないことを確認する。そのあと、去年完成したばかりのデッキの除雪にかかった。これは全部スコップを使ってしなくてはならず、ドライブウェイよりずっと厳しい。すべてが終わったのは午後4時半。ふたりともくたくただった。

翌日はピーカン晴れ。気温は低いはずなのに、前日に雪かきしたデッキはすでに乾いていた。あんまり気持ちがいいので、デッキの上に椅子を出してそこでランチを食べた。

今回の行政の対応は見事だった。金曜日の午後4時から24時間発令された禁足令のおかげで、立ち往生する車もなく、主要道路はすべて夜を徹した除雪で確保されていた。うちは行き止まりの道路に面していて、こうした道路は優先度が一番低いのだけれど、それでも次の日にはすでに通れるようになっていた。わたしの住む街は月曜日に学校を休校にしなかった数少ない街のひとつで、2時間遅れですべての学校が始まり、月曜日にはほとんど通常の生活に戻っていた。

このあたりはまだまだ電柱がいっぱいで、電線を地中に埋める工事が進んでいない。このため、強風や湿った雪で電線が切れて停電することが多かった。2年前のハリケーンで停電があまりに多く、おまけに復旧までに1週間もかかり、市民の生活だけでなく店舗に大きな影響が出て、経済的にも大きな損害になった。この状態が続いたら膨大な額の罰金を科すと知事に言われた電力会社は、去年、いっせいに電柱や電線のまわりの木の剪定を徹底的に行った。おかげで今回は停電が驚異的に小規模に抑えられた。

こうしてうわさのブリザードを無事に乗り越え、なんだかちょっといっぱしのニューイングランド人になれたような気がした。

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