Did you know that?

53.福島県南相馬市とオレゴン州ペンデルトン市(前半)

アメリカに戻って一ヶ月が過ぎようとしている。日本滞在の一年間は本当に慌ただしかった。実家の事情で九州には9回、その他日本のいろいろなところに毎月出かけた。特に8月に訪れた東北地方沿岸部の津波被災地は、格別思い出深かった。

さて、アメリカに戻って10日も経たない9月中旬、ポートランドから約340キロ東にあるペンデルトンという人口16,000人程の小さな街に行った(こちらをクリック!)。一年間人に貸していた我が家は賃貸人が出たばかりで、空っぽの家にまだ家財道具も倉庫から移す前のことだった。東京滞在中の8月、南相馬市の親善大使を長い間務めておられるUさんご夫妻からのお誘いだったので、一緒に同行させていただくことにした。

街中の小川が流れる地域には緑があるが、見渡す限りの草原地帯が広がる。 宿泊した丘の上の民家からとった景色。

ペンデルトンは、オレゴン州北部に位置し、コロンビア川を少し離れた草原地帯である。19世紀半ばインデアン居住地区に白人が入りできた街であるが、草原地帯であるため、小麦の生産が主な産業である。また19世紀末から“Pendleton Woolen Mills” という原住民インデアンとの交易で発達した高品質ウールブランケットが全米で知られるようになった。ブランケットと男性用シャツやジャケットは(現在は女性用も)世界中で売られている。また「馬」の街として、年一回開かれる“Round-Up”が有名である。“Round-Up”とは、元々の意味は草原に放たれている馬や家畜を寄せ集めることだが、この地域では、馬とインデアンのお祭りとして発達し、今年で103年目を迎えた。

オフィスの会議室に飾ってあった毛布


Pendleton Woolen Mills 本店の毛布売り場

福島県南相馬市もまた「相馬野馬追」という千年の歴史を持つ祭りがある「馬」の街として知られている。南相馬市とペンデルトン市は、1998年以来日米友好姉妹都市として様々な活動を続けてきたが(注−1)、この2つの市を結ぶ縁となったのには「馬」が大きく関与したのは言うまでもないことだろう。

相馬野馬追

ただ、南相馬市は、2011年の東日本大震災で地震や津波ばかりでなく、福島第一原発事故で双葉郡に隣接する市として甚大な被害も加わった地域である。福島第一原発から10〜35キロメートル内に市のほとんどが入ってしまう。市町村の被害状況はここに記すべくもないが、私はこのペンデルトンで、南相馬市との間に思わぬ問題が生じていることを知った。

Uさんご夫妻からのお誘いは、この地域のお祭り「Round-Up」を一緒に楽しむことだろうと思っていたが、実はそればかりではなく、ペンデルトン市長や市会議員、姉妹都市や交換留学制度をサポートしている会の代表との懇親会及び会議にも出席してほしいと依頼を受けた。その会議には、南相馬市から中学生の交換留学生が5人きており、また在ポートランド日本総領事も出席されるとのことであった。

南相馬市からの留学生たち


市長、日本総領事、Uさんご夫妻

夫も私も会議の内容ははっきり分かってはいなかったが、夫に南相馬市から短期留学で来ている学生たちやペンデルトン市長たちに日本文化の素晴らしさを話してほしいとのことだった。しかし、夫の話が終わると議題は別の方向に転換された。大震災以来途絶えている「ペンデルトンの子供たちを南相馬市に数週間送る交換留学制度を今後どのように再開していくか」ということだった。

考えもしなかった原発事故の影響であった……。

津波の被害によって破壊された多くの市町村も、その後、交換留学制度など思いも及ばないところに影響をうけ、暫くの間は制度が途絶えていたことだろう。しかし、ある程度街が復興し県や市の国際課が活動を始め、ホームステイ先が決まれば再開できる。ところが、原発の影響をうけた市町村は例外である。放射能は線量が目に見えないだけに人々に脅威をいだかせる。このペンデルトンでも、「子供たちを何故そのような危険な場所に行かせる必要があるのか」という親の意見が大半を占め、南相馬市に送る制度は2011年夏から見送りにされている。双葉郡はもちろんのこと南相馬市、いわき市、田村市など福島第一原発の周辺の地域が、思いもしないところにどれ程影響を受けているかと初めて考えさせられた。

この会議に参加できたことは、とても有意義であった。ペンデルトンのカウボーイ市長(ジーンズにカウボーイハットをいつもかぶっているらしい)は、とても気さくで心暖かい実力者であるらしく、今年市長歴9年目を迎えている。南相馬市との姉妹都市関係にも友好的かつ積極的で、南相馬市には何度も行かれ、両市の友好ばかりでなく交換留学制度も熱心に支援してこられた。 “Round-Up”のお祭りに南相馬市の侍姿の騎馬武者を招待されたこともあるそうだ。また、東日本大震災時には、“Pendleton Woolen Mills” (注−2)のウールブランケット300枚を寄付する手配を整え、早急に南相馬市に送られたそうである。

会議では、高校生たちを南相馬市に2、3週間滞在させる交換留学制度をどのように再開させるかを話し合った。放射能に対する恐怖を持つ親たちをどのように説得するかなど、いろいろな案が出た。しかし、恐怖をいだく人には、科学的データを提示しようと安全性をいくら説得しても我が子を留学させるのは難しいのではないかという結論に達した。

そのような中、一人の父親が提案したことが印象に残った。「子供たちを送る前に、まず大人が行ってみてはどうだろうか。そして、子供たちを送っても安全であるという確信がとれた時点で交換留学制度を再開させてはどうだろうか」この提案に出席していた全員が賛成した。来春、まず市長、市議会議員 、そしてこれまで留学制度を支援してきた親たちのグループが南相馬市を訪れる。その訪問では、南相馬市の要員に会う、放射能について科学的かつ具体的なことが聞ける機関訪問、そして子供たちをそこで育てている親たちと直に会って話すことが重要であるという結論に達した。この訪問で安全性が確認できれば、2015年を目処に子供たちの制度を再開したいということに落ちついた。

私は、この提案に本当に感動した。怖がらず、まず自分が「行ってみましょう」と言える勇気。この案がなければ、南相馬とペンデルトンの友好姉妹都市関係も以前のように戻ることはないかもしれないと思った。この代表団の訪問は大きな前進になるに違いない。

私は、高校生の子供たちが親の勧めで留学するのではなく、「自分の意志で行きたい」と思わなければ、留学の意味は半減するのではないか。そして、原子力発電とは何か、津波の被害とはどのようなことかを見、考えること。人間がどのように辛い経験から立ち上がっていくのか、街を再興していくのかなどを実際に見、話を聞いたりすることも教育であり、将来を担う子供たちにとってとても大切なことではないかと思い、このことを意見としてのべた。

南相馬市の親善大使であるUさんは、数日後日本に帰られ、早速南相馬市に来春のペンデルトンからの市長を初めとした代表団の受け入れをお願いされるとのことだった。このような人たちの蔭の力が動いていることを改めて知った。

ペンデルトンのパレードには、歩くか馬、牛に乗ってしか参加できない。 「エンジンが付いたものは一つもださない」と言う意味では、全米で一番大きなパレードである。 どの馬もとても美しかった。

Barrel Race(樽の周りを馬で走る女性の競技)の子供部門の優勝者


昔はこのようなもので大木を運んだのだろう。

左上「このブロックは2時間の駐車OK」のサインは駐車場ならぬ駐馬場。 立派な愛馬に乗って買い物に行く人もいる。

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