ボストン通信ブログ

慰安婦の像

慰安婦の像がカリフォルニアのグランデール市に建てられたというのを聞いて、グランデール市だから支持を集めたのではないかと思った。

人口190万人のグランデール市ではアルメニア系の人口が34%を占める。夫に会うまで聞いたこともなかったアルメニアという国は世界で最初のキリスト教国家である。トルコの隣国で、まわりをイスラム教国に囲まれており、その領地は度重なる侵略でどんどん小さくなったという。1915年にはオスマン帝国による侵略でアルメニア人の大虐殺が起こっている。家を追い出され、男という男は子供までその場で殺され、女たちは着のみ着のままで砂漠に追いやられたのだという。夫の両親の家庭でもこのころ、ほとんどの男性が亡くなっている。父親の家族はその後イスタンブールに落ち着いた。そしてそこでも家を追われ、トルコ兵にお金を渡して30分の間にまとめた荷物を持って難民としてキプロスに行きついた。母親はフランスで生まれ、第二次大戦後、キプロスに渡っている。そして1974年に起こったギリシアとトルコ間の戦争の結果分断されたニコシア (キプロス) で、両方の家族が家を失っている。アルメニアはトルコから自国を守るためにソビエト連邦の一部となった。こういった経過で、多くのアルメニア人が世界中に移住している。1915年の事件に関して、トルコは「内乱中に起こった不幸な出来事で、アルメニア人だから殺害されたのではない」という立場を固持している。この事件を史実として認めさせるというのが世界中に散ったアルメニア人の悲願となっていて、フランスをはじめとする20か国とアメリカの42州がこれを正式な史実として認めている一方、トルコに重要な軍事基地を持つアメリカ政府の下院では、2010年にアルメニアの虐殺を史実として認めると言う案が小差で否決されている。

夫の親戚の中でも、わたしたちの世代ですら「トルコという国は絶対に許せないし、トルコ人はすべて悪人なのだ」と言い切る人たちがいる。被害を受けた側の民族はそれを語り継いで、それは忘れられることがない。それを目の当たりにすると、わたしはぎくりとする。

初めてアメリカに来て英語学校に通っていたとき、広島・長崎の原爆投下を語った18歳の日本人の女の子に対して、中国の女性が「日本が中国でしたことはどうなの?日本には他の国を責める権利はない」と激昂した。18歳の日本人は「何を言っているのかわからない」と泣き出した。日本は戦争中の出来事を歴史として学校であまり教えなかった時期があるから、この18歳の子は本当に知らなかったのだろう。

中国や韓国の人たちと初めて会うときは緊張する。仕事で直接怒りをぶつけられたことはなかったし、韓国の同僚とはプライベートでもいろいろな悩みを話し合うごく親しい友人にもなった。一方、数年前、イギリスに住む夫の元上司に、自分の働いている会社の社長にぜひ紹介したいと連れて行かれた社長の家で、中国人女性である社長から「日本人は私の国、中国で数々の許されない行為をしたけど、まあ私たちの世代でそんなことを言ってもしようがないわね」と玄関でいきなり言われたことがあった。言葉を失うとはこういうことだなあと思った。なんと答えたか覚えていないし、いっしょにいた人たちも凍った。やっぱり一言言っておきたかったのか、日本人であるわたしが緊張しないようにと気をつかってくれたのか、今でもわからない。

慰安婦の像だけでなく、日本に対して「罪を認めて保障を行うべきだ」といった議案は、グランデール市だけでなく、アメリカの複数の市や街で活発に提案されている。こういった動きに対して、日本側からの声はまったく聞こえてこない。唯一報道されたのは、橋下知事の発言で、これは「慰安婦というのはどの国も行ったことで、日本だけが悪いのではない」と責任転嫁したという内容で、スキャンダルとして取り上げられた。だったらどういう対応をしたらいいのかと言うと、簡単に答えが出ることではないことは重々わかっている。けれど、沈黙を続けることは「否定しない」、もしくは「都合が悪いから黙っている」と解釈されるだろう。感情的になることなく、将来をきちんと見越した一石を置くとしたら、どんなものなのか、今日も考えあぐねている。

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