ボストン通信ブログ

Thanksgiving

感謝祭が近づいている。お盆のように、アメリカ全体が家族に会うために大移動する。テレビでは感謝祭ディナーのレシピやテーブルの飾りつけが紹介され、お店にも感謝祭の定番みたいなオレンジ色の飾りつけやいろいろな種類、色、形のパンプキンが並ぶ。

アメリカでの生活の最初の1年間をインディアナ州で過ごした夫には、極めつけの感謝祭のエピソードがある。工場でシステム導入をしていた夫は、最初、自分たちを監視するためのシステムを導入していると思われて距離を置かれていたのが、そうではなく、生産ラインのオートメ化をしているのだとわかるとだんだん距離が縮まって、「あんなに温かい人たちはいない」と今でも言うほど公私ともに充実した日々をすごしたらしい。日曜日に教会に招待されて、いっぱい集まった人々の前で紹介されて猛烈に恥ずかしかったこと、仕事のあとで5人の子供が走り回っておもちゃがそこらじゅうに転がっている家に気軽に連れ帰られたこと、釣りに連れて行ってもらったことなど、まるで映画のようなエピソードがいっぱいである。中でも、感謝祭のディナーの話はものすごい。招待された場所に出かけると、ちょっとした公民館なみの建物があって、そのすぐ外で男たちが火を起こして何羽ものターキーをくるくる回しながら焼いている。建物の中に入ると、30-40人もの人たちがテーブルを囲んでいた。家族、親族がアメリカ中から集まってくるのだと言う。和気あいあいと、感謝祭の神髄のようなディナーだったと夫は言う。この「公民館のような建物」というのが、実は親族みんなが自分たちで建てたものだった。谷間にあるその土地の一帯に親族がそろって住んでいるのだけれど、ある日、大きな音がするので外に出てみると、木材を積んだ汽車の荷がほどけて、木材が大量に転げ落ちてきた。ただちに親族が呼び寄せられて、散らばった大量の木材が集められ、親族の土地にその建物はつくられたのだという。

わたしが感謝祭で忘れられないのは、ホストファミリーのおばあちゃんの料理。クリスマスでも感謝祭でも、必ず自家製のラザーニャがメインコースの前に出された。庭でとれたトマトを使った自家製のソースと自家製のパスタで作られたラザーニャのおいしかったこと。この味はまねができないと娘も義理の娘も孫たちもみんなが口をそろえて言う。チーズとサラミソーセージのおつまみに始まって、イタリア製のハムやアーティチョークがたっぷり入ったサラダ、ラザーニャが出て、その後フェノッキオ (イタリアのセロリ) とナッツが出される頃にはすっかりおなかいっぱいになった。メインコースはもう入らないと悲鳴をあげると「近所をひとまわり散歩してきなさい」とまじめな顔で言われた。そんなおばあちゃんが9月に亡くなって、甘えられる人がまた一人いなくなってしまったとさびしく思う。

夫も自分も両親が離婚・再婚しているという友人は、感謝祭の午後から夜にかけ4軒の家をまわり、その1軒1軒で食べるので、次の日は体調を崩して何もできないと言う。核家族の社会と日本では思われているアメリカで、実は若い人たちも家族にはかなり気を使う。比較的近距離に住んでいるのなら、夫婦両方の両親を訪ね、一方でディナーを、もう一方でデザートを食べて、それを毎年、交互にする。両方を同じ日に訪ねるのが無理な場合は、毎年交互にする。クリスマスや新年はイブを夫の家族と過ごしたら、当日を妻の家族と過ごす。母の日、父の日などは両方の母や父を招く。核家族として別々に住んでいるからこそ、家族の行事には家族として集まることを大切にしている。うちもイギリスと日本に帰るのに休暇を使い果たして、ほかにはどこへも行けないというのがずっと続いている。

感謝祭の当日は家族の行事でみんな忙しいから、その後の土曜日にいつもお世話になっている友達を何人か集めてディナーをときどきする。感謝祭のあとは、みんなたいてい七面鳥は見たくもない状態になっている。ひき肉にご飯をまぜたのをブドウの葉っぱで巻いて煮込む中近東料理やきのこご飯など、国籍のバラバラなメニューにしてしまう。今年はうちでとれたフルーティで色の淡い春のハチミツと濃厚で琥珀色の秋のハチミツをアイスクリームに添えて出すのだと、夫は今から張り切っている。

このサイトは翻訳学校サン・フレア アカデミーの運営です。

PAGETOP