セネガル通信

第1回 バオバブの木陰にて

ダカールから船で20分のところにあるゴレ島(世界遺産)にあったバオバブ。あまりに立派で、実もたくさんぶら下がっていて(写真だとあまりわからないのですが)感激しました。

東京の老父が96歳になった。

去年の11月、ちょうど英国から一時帰国中だった私は、ロンドンの街で見つけた、大きな《95歳用お祝いカード》をもち、夫や子供たちと父の暮らす青梅まで出かけた。
 姉の家族も何人かがやってきて、95と88の老夫婦を囲んで、久し振りににぎやかな日本の晩秋であった。青梅の里は少し冷たくなった外気の中で、もみじが真っ赤に色づいていた。
 父の誕生日は〈勤労感謝の日〉だからいつでも祝日で、皆が集まってお祝いをするのも簡単だ。

もっとも、あらたまって誕生祝いをしたことが何回あっただろう。
 60歳、還暦の時に(もう36年も前のこと!)、彼の子供である姉と私は、二人でお小遣いを出しあって少し大きなプレゼント(赤いちゃんちゃんこではなかったが)をしたような記憶がうっすらある。
 その次は、古希か喜寿で、この時は、確か、伊豆の古く美しい温泉宿に両親で行ってもらった。
 夫婦二人を旅行に送りだし、私たち姉妹は同行しなかった。子育て真っ最中の娘たちとしては、金銭的にも物理的にも「一緒に旅行」どころではなかった。
 その後、別の温泉宿に、両親と姉と私と、それこそ“昔の家族水入らず”で出かけたのは、ついこの間。2006-7年の初冬のことで、その時は「誕生会」ではなくて両親の結婚60周年祝いだったかもしれない。すでに雪深かった水上の、真っ白な庭の斜面を散策する父の健脚ぶりに、娘としては少しハラハラしたのを思い出す。

「お疲さん。今月23日はおじいちゃまの96回目の誕生日です。ご参集を!!」
 ひと月ほど前、姉からそれぞれの家族に宛てた電文のように簡潔な一斉メールが届いた。
 去年の今頃は、全く想像だにしていなかった土地に、今、私はいる。だから、「ご参集を」と言われても、今度ばかりは簡単に日本には帰れない。
 お父様、ごめんなさい。

8月の末、ロンドンをあわただしく引き上げて、残暑の厳しい日本に帰国して1カ月余。ようやく秋風のたち始めた東京で久し振りに会った友人たちに、これまたあわただしく別れを告げてここまで来てしまった。

セネガル地図。首都のダカールは、ライオンの鼻先です。 南のガンビア川周辺は「隣国」ガンビアで、旧英国領。それを囲んでいるので、まるで口のように見えるわけです。

ここ――そう、セネガル。
 アフリカ大陸の最西端(今年のお正月に訪れた欧州大陸最西端よりももっと西!!)に位置するライオンの横顔のような形の国。

草野心平の書  東京(東)から、パリ(西)へ行き、ロンドン(北)へ行き、そしてとうとうダカール(南)まできました。いつも一緒です。

確かに、ずぅっと昔、結婚したての頃に、「いいわよどこでも。アフリカだって行くわよ」と、夫に言ったかもしれない。
 フランス語ができる商社マンと結婚したのだから、いつも“それなりの覚悟”はあった。アフリカ大陸にはたくさんの旧フランス植民地国がある。でも、幸か不幸か、商社マンとして実際に転勤したのは、パリに2回とロンドンのみだった。
 たまたま夫が、学生時代にアルバイトでオートボルタ(現在のブルキナファソ)に行ったことがあったし、会社人生が始まってからはマダガスカルだの南アだのと出張していたから、私はすっかり“アフリカ耳年増”だった。
 そしてすぐに赴任したパリでは、大勢の“アフリカ関係者”と接した。いろいろな地域の珍しい話をたくさんたくさん聞いた。
 私自身、世界展開するNGOの広報に携わっていた10年間は、かなり多くのアフリカネタを扱って、アフリカの地理が少しわかった。ブルンジという中央部の小さな国のことを知っている日本人女性は、20年前はとても珍しかったんじゃなかろうか・・・と、ちょっぴり偉そうにしてはみるものの、現場を見たわけではない。
 この数年、再び夫のアフリカ出張が増えてから、さらに私の“知識”は増えたのだが、いつもアフリカは、私にとっては、近くて遠い大陸だった。

庭の椰子の木

そして、いつも私は傍観者にすぎなかった。

でも、今は、正真正銘、アフリカに住んでいる。 特命全権大使を拝命した夫とともに、ダカールに暮らす。
 もちろん、とてつもなく大きな大陸だから、たとえここに住んだからと言って、“アフリカを語れる”ようになるわけじゃない。
 でも、少なくとも、傍観者ではなくなった。セネガルの何を感じ、何を理解して、何を皆さんにお伝えできるだろうか・・・
 遥か遠い晩秋の青梅を思いながら、一向に夏の終わらないダカールの空を見上げる。
 高い高い椰子の木のてっぺん、大きな葉の陰で青いココナツがゆらゆら。
 この年齢になって、こんな面白い体験を与えてくれた神様(いや、日本国というべきか?)に、感謝!の毎日である。

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