岩坂彰の部屋

第45回 観点を把握する力~オープンスクールのご報告

ちょっと前の話になりますけど、この部屋の大家さんでありますサン・フレアのアカデミーで、オープンスクールの講師を初めて務めました。

1回だけの講座ですので、翻訳力の向上とか、そんなたいそうなことはできません。私の実際の仕事を紹介して、訳文作成の現場ではどんな判断をしているのかをひとつひとつお見せし、受講者各自の参考にしていただければ。そんな気持ちで準備しました。

実際に翻訳の仕事に携わっておられる受講者も多く、活発な質疑もあり、なかなか濃密な2時間になったと思います。今回は、その講座の内容を簡単にご紹介します。

Known Unknowns

テキストとして使用したのは、ヌリエル・ルービニという有名なエコノミストが、世界経済の見通しについて書いた記事。私が実際にオープンスクールの数週間前に翻訳して雑誌に掲載されたものです。

この記事のキーワードは、known unknownsでした。今日の世界経済は多くのknown unknownsに直面している、という切り口で始まり、最後の段落で再び、多くのknown unknownsが迫りつつある、と締めくくります。

記事の冒頭、known unknownsとは、10年ほど前にアメリカのラムズフェルド国防長官がイラク情勢に関して語った言葉で、「リスクがあることは分かっているけれども実際にそうなるかは不確実なこと」という意味だと説明されています。

この言葉をどう訳すかを考えるにあたって、もともとのラムズフェルド国防長官の発言全体に遡ってみると、これがそう単純な表現ではないことが分かります。詳細は省きますが(これについては10分くらい、ああだこうだと話していた気がします)、微妙な表現であるがゆえに、これまで日本語でもいろいろな訳し方がされていて、定訳と言えるような表現がありません。

では訳語をどう決めればよいか。まず留意すべきは、言葉としては記事の冒頭と末尾にしか出てこないけれども、その冒頭と末尾の間に挙げられている数々の具体例は、すべて(いちいち書いてないけれど)known unknownの事例だということです。

いちおうこんな感じでパワーポイントを使って説明。

初心者はそこに気づかずに、known unknownという言葉だけで悩みがちですけど、中身があってのラベルですから。具体的に挙げられているのは、例えばアメリカの量的緩和のテーパリングとか、次期FRB議長の選定とか、あるいはアベノミクスの第3の矢とかです。これらはまとめて言うと何なのか。不確定要因。リスク因子。いろいろ考えられます。私は最終的に、かっちりした用語として訳したいという判断で「既知の未知」を選択し、説明的に「不確定要因」を併用しました。


「その記事はなぜ今書かれたのか」

オープンスクールでは、そのほか、いくつか翻訳上の悩みどころについて、私の判断の道筋を示していきました。たとえば、ルービニの事実誤認(実際にあります)にどう対処するか、といった問題です。

これらの判断すべての基礎となるのが、これはそもそもどういう記事なのかということ。この記事は、なぜ今書かれたのか。著者の観点ですね。そして、なぜこれを日本語に翻訳して紹介しようとしているのか。出版者の観点です。

それを把握するには、記事の論旨をしっかりとつかむことはもちろん、記事の外にも目を向ける必要があります。著者はどういう人で、読者は何を求めてこの人の世界経済分析を読もうとするのか。翻訳を掲載する媒体はどういう性格のものか。

このような観点を持ったうえで、では忠実な翻訳とは、何に対して忠実なのかと問うことができます。「原文通り」の「原文」とは何なのか。そんな翻訳理論的な話もちょっと入れつつ、まとめとしては、翻訳者と編集者との具体的なすりあわせの実態を紹介しました。納品訳稿への注記ですとか、初校PDFへの書き込みですとか、内部的な書類なのでここではお見せできませんが、講座では、どんな感じかだけ、ちらっと紹介しました。

二足のわらじ

オープンスクールでは、それ以外に、私の翻訳の仕事の全体像もお話ししました。このコラムでも何度か書いていますように、私は、今回テキストに使ったような雑誌・ウェブサイト向け記事翻訳(1~2日で訳す)と、書籍の翻訳(月、年単位)の二足のわらじを履いています。内容も、経済系の記事、カルチャー系の記事、サイエンス系の記事、そして精神医学、脳科学系の書籍と、ばらばらです。

本当は専門の分野に集中するほうがいいに決まっていますが、生活上の(金銭的な)理由でこうなっています。受講者の質問も、このあたりについて熱が入りました。

翻訳会社サン・フレアのアカデミーですから、レギュラーの講座は産業翻訳系が大半です。それでも、というか、だからこそ、というか、私のような出版系の人間がオープンスクールに呼ばれることもあるわけで。つまり、今は産業翻訳をやっていても、出版を(も)やりたいという人は必ずいるってことです。

私の場合、雑誌にせよ書籍にせよウェブサイトにせよ、パブリッシングである(パブリックにする=読者を特定しない)という面では同じです。しかし、産業翻訳と出版翻訳となると、本当の意味での二足のわらじですね。

果たして産業翻訳と出版翻訳を両方こなすことはできるのでしょうか。

実際に、立派に両立されている方はいらっしゃいます。たとえば以前当コラムにもご登場いただいた井口耕二さんとか。実は、私も駆け出しのころは、翻訳会社から産業翻訳の仕事を受けていたことがあります。

私の場合、切り替えがとても大変でした。文章が違いますから。文章のレベルがどうとかではなくて、単純に質が違います。私が現状こなしている報道記事と書籍の二股でさえ、週の半分ずつ切り分けているのですが、切り替えは簡単ではありません。こま切れに訳すことになる書籍の方の文章にムラができてしまいます。修飾の位置、文の長さ、語彙の硬軟、こういったものは、いちいち意識しているわけではなくて、半ば自動的に調整されます。ですから、意識のレベルでは、気分をそっちに持って行くような意識の仕方とでも言いましょうか、そんなやり方が必要になります。

産業翻訳と出版翻訳については、また回を改めて考察しましょう。

オープンスクールの方は、こんな感じで、ともかく私の仕事の現状をご覧いただき、それでみなさんどうお考えになりますかと、判断は受講者のみなさんにお任せする形で終わりました。受講者のご協力で、各自考える材料をたっぷりと持ち帰れる講座になったかと思います。参加されたみなさま、ありがとうございました。

 

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