ボストン通信ブログ

Merry Christmas

もう15年も前になるか、つとめていた会社でクリスマスツリーが飾られない年があった。その次の年には、クリスマスツリーは「Peace Tree」と呼ばれた。宗教の自由を謳うこの国では、特定の宗教を示唆することが極力避けられる。クリスマスと同じころ、ユダヤ教のハナカや黒人が祝うクワンザがあることもあり、お店やテレビのコマーシャルでも、「Merry Christmas」ではなく「Happy Holidays」というのが使われる。それはクリスマスカードでも同じである。

昔は公立の学校でもキリスト教の祈りをささげる時間があったらしいのだけれど、今では毎朝学校で国に対する忠誠を誓う言葉の中に「God」というのが含まれていることすら問題になる。無宗教の教会ができている昨今、キリスト教以外の宗教を信じる人たちだけでなく、無宗教の人たちもそういったことを問題にする。圧倒的に仏教徒が多く、他の宗教に対する配慮もあまり見られない環境で育ったわたしはびっくりする。今でも毎朝祈りの時間があるイギリスの公立学校に行っていた夫も同様である。毎週日曜日にアルメニア正教の教会に家族で通っていた夫も、学校で習ったイギリス国教会の祈りが今でもちゃんと言える。イギリス正教会の教会であった結婚式では、ちゃんと賛美歌も歌えていた。

もともとイタリア系の人々が多く、町の真ん中にあるカソリック教会がマサチューセッツでもっとも信者が多いことで知られるこの街でも、公立の学校がユダヤ教の祝日に休みになる。マサチューセッツには、ニューヨークやニュージャージーについでユダヤ系の人々が多く住んでいるとはいえ、人口は4%ほどにすぎない。全国的に見たら1.2%である。ちょうど日本のキリスト教人口と同じである。11歳以下の子供だけで家にいることは法律的に禁じられているので、子供の学校が休みだと、だれか面倒を見てくれる人を見つけない限り、親も仕事を休むことになる。

宗教というのは、それを積極的に信じることがなくても、価値観に少なからず影響を持っているもので、毎日朝晩お経を唱える祖母がいて、母の従弟が僧侶だった家に育ったわたしの価値観は仏教に基づいていると折に触れ思う。それでも、クリスマスには町じゅうに「メリークリスマス」があふれ、家でもクリスマスツリーを飾り、クリスマスケーキを食べ、クリスマスプレゼントをもらって育ったので、クリスマスはごく身近に感じる。キリスト教徒が圧倒的に多いアメリカで、宗教的に大きな意味を持つクリスマスに「Merry Christmas」くらい公に言ってもいいんじゃないかなあと思うのは、お宮参りや結婚式には神社に行って、お葬式はお寺に行く日本人だからかなあ。

もう一つ、自分の子供のころのクリスマスと違うのは、プレゼントの数。小さいころ、クリスマスプレゼントに何がほしいかを決めるのに時間がかかった。「どうしても一つに決められない」と母に言ったら、「ほしいものをみんな書き出して、その中からひとつだけ選びなさい」と言われた。プレゼントは一つというのは絶対に変わらなかった。このあたりの親たちは子供にいくつもプレゼントを用意する。だから、ツリーの下に飾られるプレゼントの数はすごいことになっている。暖炉の上などには、クリスマス・ストッキングと呼ばれる大きな靴下が家族全員の分飾られている。その中に入れるための「ストッキング・スタッファー」と呼ばれるキャンディや小さなおもちゃなどもお店で売っていて、ホストファミリーの家では、プレゼントを開けるのが待ちきれない子供たちが、靴下の中のプレゼントだけはイブにあけていい決まりになっていた。今年はしばらく寒さと雪が続いていて、ホワイトクリスマスになりそうだ。

今年も拙いブログ、読んでいただいてありがとうございました。

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