ボストン通信ブログ

Granny D

選挙運動に対する個人の献金は2000ドルまで、企業献金はテレビコマーシャルなどの選挙活動には使えないという法案が2002年に通った。しかし、2010年、「企業献金はテレビコマーシャルによる選挙運動には使えないというのは言論の自由に反する」という判決が最高裁で出され、その制限が取り払われた。現在では個人でもPAC (Political Action Committees) でも政治献金の制限はない。

GrannyD

1999年から2000年にかけて、政治献金の制限を訴えて、カリフォルニアからワシントンまで、アメリカ大陸を歩いて横断したドリス・ハドックのことは、ついこの間まで知らなかった。1999年1月1日、88歳だったハドックは南カリフォルニアでローズボールのパレードの真っただ中を出立した。毎日10マイル歩いて、そこここで出会う人々に自分の信条を話し、「来年の2月にワシントンに着く予定。よかったら最後の5マイルのマーチに参加してね」と訴えた。カリフォルニア、アリゾナ、ニューメキシコ、テキサス、アーカンソー、テネシー、ケンタッキー、オハイオ、ウェストバージニア、メリーランド、バージニアの各州を経て、14か月後の2000年2月29日に、5100キロの道のりを制覇し、ワシントンに到着した。途中誕生日を2度迎え、90歳になっていた。アーリントン墓地から議事堂に続く道を、彼女に賛同して集まった2200人の人々がともに歩き、その中には20人を超す国会議員もいたと言う。国会議事堂の前で行った短いスピーチの中で、ハドックは「アメリカには昔、民主主義というものがあった。だけれど今、議事堂は娼婦宿と化してしまった」と言ってのけた。多くの人々から賛同され、「Granny D (Dばあちゃん)」と呼ばれたハドックは、自分のミドルネームをGranny Dに変えたと言う。

銃を購入する際の犯罪歴や精神的疾患などのチェックをもっと厳しくするべきだと国民の9割が言っているにも関わらず、そういった法令が議会で必ず否決されるのは、アメリカでもっとも強力な政治圧力団体とされるNRA (全米ライフル協会) のせいである。献金を受け取った議員は、その団体の方針に反対すれば献金を打ち切られるわけで、強力な発言力を持つ団体の意志は議会で必ず反映される。

Michael Dunn

そんな中、2012年に起こった銃による犯罪の裁判がここしばらく大きくニュースでとりあげられていた。トレボン・マーティンを銃殺したジョージ・ジンマーマンが無罪になったフロリダ州でそれは起こった。ガソリンスタンドで、47歳のマイケル・ダンが十代の男の子が何人か、SUVの中で音楽を大きな音でかけていたのに腹を立てたことからそれは始まった。マイケル・ダンと17歳のジョーダン・デービスの間に口論があり、マイケル・ダンは車のグローブ・ボックスから自分の銃を出し、SUVに向かって発砲した。

Jordan Davis

最初の3発がジョーダン・デービスに当たり、デービスは死亡。その後もダンは走り去るSUVに向かって合計10発の銃弾を発砲した。同乗していたダンの婚約者はガソリンスタンドに併設されているコンビニで買い物をしていて、目撃者はいない。SUVの窓から銃口が見えて、生命の危険を感じたのであり、フロリダ州の「Stand On Your Ground」法に基づくと、自分は被害者であり、無罪だというのがダンの主張であった。けれどどもSUVからは何の武器も見つからなかった。デービスを殺害したことに対する計画的故意による殺人罪と、走り去るSUVになお発砲したことによる殺人未遂罪 (3人に対して) の罪に対する裁判で、陪審員は何日も協議した結果、殺人未遂3件に対しては有罪、計画的故意による殺人罪に対しては陪審員不一致による評決不能裁判という結果になった。SUVに乗っていた十代の男の子が全員黒人で、ダンは白人という、それはトレボン・マーティン事件の再現だった。

こうして、今年も銃を使った事件は後を絶たず、それでも銃の規制は議会で取り上げられることはない。アメリカが誇る民主主義なんて本当はかなりあやしいのだ。Granny Dがせっかく見せてくれた行動力が無駄になってしまった気がする。だけど、自分ひとりで何ができるんだというのではなくて、とにかくやってしまおうというものすごい行動力をときたま見せてくれるのもアメリカらしいと思う。すてきに枯れた老人になるのも魅力的だけど、わたしはやっぱりGrannyDのように最後までバタバタあがきたいなあと思ったのだ。

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