特別寄稿

「河野一郎先生の《翻訳徒然草》」

2014年3月15日 サン・フレアアカデミーにて





教室にはいるなり受講生に声をかけ、話を始めるスタイル―― 2012年に『翻訳の海』主催で開かれたセミナーと同じ始まりでした。そして3時間半の予定の講義が2時間オーバーで、終わったのが夕方6時半。今回を最終講義と位置づける先生にとって、これでもまだ足りなかったかもしれません。話す先生も聴く受講生も、力を振り絞った感のあるセミナーをまとめてみました。



QUIZ 事前に20ページにおよぶ資料が郵送され、Quizと称する宿題も課せられていました。辞書でも何でも使って考えてみよう、という問題ですが、なかなかどうして、手ごわい内容でした。



翻訳は外国語と日本語の橋渡しなので、外国語だけができればいいわけではなく、アウトプットされる日本語がものを言います。そこでQⅠは日本語の単語の問題。夏目漱石の『虞美人草』に出てくる漢語で、国語辞典では出てこないものもありました。しかしながら、漢字から意味を想像することは可能で、それが日本語の特徴でもあることがよくわかります(たとえば、「卵糖」は何でしょう?)。今となっては古いこれらの表現・言葉を翻訳で利用することはあまりないと思いますが、このQuizは日本語を考えさせるきっかけになります。



QⅡは、いかにうまく辞書を活用するかが試される英語の問題。基本動詞runやwearのバリエーション、口語で用いられるthe box、怪しいsport、勘違いしやすいhotなどが並びました。文脈に合わせて丹念に辞書を読むことが求められます。さらに常識的判断も必要です。たとえば、whisper aloudを「大声でささやく」と訳してしまいませんか?「大声」と「ささやく」は物理的に相いれません。ならば「大声で」か「ささやく」か、どちらかがおかしいと気づきます。When the elephant’s ear in the park / shriveled in frost(Wallace Stevensの詩)で「公園の象の耳が/霜でちぢまったとき」はどうでしょうか。おかしい!と感じませんか?the elephant’s earは植物の「ベゴニア」です。常識的におかしいと感じたときは、必ず辞書で確認しましょう。特に動植物の名称は曲者です。





QⅢは英訳の問題。街中で見かける掲示や広告の中にはおかしな英語が見られますが、それをどう訂正するか。大手の有名企業が堂々とテレビで流す文言や老舗の高級果物店の看板などが、例として挙げられました。まさにジャパニーズ・イングリッシュ。これからはテレビのCMも街中の看板も、間違い探しのクイズになりそうです。



QⅣは「仕草」の問題。映画やDVDをよく見る人、海外生活の経験がある人や外国人との交流がふだんからある人には、それほど難しくないかもしれません。中には「…おそらく最大の侮辱の仕草[絶対に使わないでください!]」と注意書きを入れている仕草もありましたが、先生、「実際にやってみてください」という指示と矛盾しません? いえ、知っておくことは大事ですね。先生の実演、目に焼き付いてしまいました。



QⅤはQuizではなく、風物・習慣を移植することの難しさを説明する項目です。たとえば日本では「東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」(道真)のように、東風が春の暖かさを表しますが、イギリスでは東風は冷たい、漁師にとっては危険な, 歓迎されない冬の風(反対に、西風はP.B.Shelleyの詩にもあるように、春を呼ぶ風)を表す、とか、「中学と師範はどこの県下でも犬と猿のように仲がわるいそうだ」(漱石『坊ちゃん』)の「犬と猿」は日本だからこその表現で、イギリスでは動物園でなければ猿がいないのでcats and dogsと言う、など、ただ言葉を移すだけでは意味を成さない表現があります。またイギリスは今も身分・階級を問う社会で、作品に登場する事物(車、家具、持ち物、着るものなどや、場合によっては使われる言葉も)がそれを暗黙のうちに語っていることも覚えていなければなりません。翻訳は単純ではないことを改めて感じました。



ではどのように英語・翻訳の学習をすすめればいいでしょうか
・映画やDVDから、セリフと舞台・背景の関係や言葉のリズムを学ぶ。できるだけ音楽を聴き、言葉をリズムとしてとらえる。
・きれいな日本語を話し、書くようにこころがける。――鎌倉にある高級スーパーマーケットにときどき出かけるそうですが、その目的は、今では珍しくなった「ごめんあそばせ」を使う、品の良い高齢のご婦人の言葉を聞くため。ふだん使っている言葉が文章(訳)に現れるので、ふだんから言葉に気をつけましょう。目指すは「言葉美人」!
・相性の良い作家を見つける。――ページを繰る前に、次にどんな言葉や表現がくるかわかるような作家と出会えれば、いいリズムで訳せるようです。
・翻訳作業中に原作と似た雰囲気の日本語作品を読んでみたり、気に入った作家の文体をまねてみたりして、日本語を研究する。
・出来上がった訳文は、必ず音読してみる。――原語を知らない読書家に頼むと、純粋に日本語の作品として、いいか悪いか感想を言ってもらえます。

でも何よりの勉強方法は、日英ともに多読に尽きる!とのこと。



そして翻訳の技術については…
すでに著書に多くが書かれていますが、今回講義の中で言及されたことは:
・方言・日本的表現・擬声語は控えめに。たまに使うと目を引き、お、うまい、と思わせるが、1ページに何か所もあると、うっとうしくなる。
・説明的な訳・注釈は避ける。”How did the interview go?” “We’ll see,” he said crossing his fingers.「指と指をクロスさせて言った」では説明的。「幸運を祈るように言った」などとするとよい。
・原著者になりきって訳す。原文がone sentenceなら、訳文もone sentenceをめざす。原著者の呼吸に合わせるということ。相性の良い作家の作品に出会えれば、それが可能。自分と呼吸の合わない作品は訳すのはたいへん。



さらに辞書の話を付け加えます
・訳語を下から読んでいく。――と、ここまでは今までもどこかで耳にしていますが、今回さらにこう続きました。――この作業を10年続けると、へえ、そんな意味もあるのか、と思う新しい訳語が自分の引き出しに貯まっていく。――いったん目に留まった訳語は、頭の片隅にひっかかるものです。きっといつか役に立つでしょう。
・ある単語をひいたら、次の単語をひくまで辞書をそのまま開けておく。すぐに閉じない。――考えてみれば、もう一度確認のために見直すこともあるし、ついでに前後の項目に目がいくこともあります。
・知っていると思う表現ほど辞書で確認を。――たとえば、We met a clean shaven young man on the train.では、大半の訳者が”clean shaven”を誤訳します。「きれいに髭を剃った」と訳す前に、念のため辞書を引いてみましょう。大抵の場合、「髭をはやしていない」という意味で使われています。またHe was involved in the car accident but walked away unharmed.でも同じことが起きています。walk awayは簡単な単語の組み合わせですが、どんな意味でしょう。辞書に当たってみてください。
・辞書の種類によって使い分けをする。――紙の辞書は間違いなく大事な仕事道具ですが、電子辞書も使い方によっては大きな武器になります。持ち歩いたり居間に置いたりして、疑問に思ったことをいつでも調べられるようにしておくのだそうです。



もうひとつ「言葉美人」に関連して大事なことを…
忘れてはいけないことに敬語の問題があります。he said、she saidは、作者が文のリズムを整えるために意識的に入れる場合もありますが、原則として入れなくてもいい、と言われます。それは男女の差や上下関係がセリフに現れるため、誰がしゃべったかわかるからです。男女の言葉の差は最近あまり見られなくなったし、敬語に不慣れな人も増えていますが、翻訳ではそのような言葉の使い方、特に敬語を上手に利用したいところです。




わたしたち「次の世代」の翻訳(志望)者は、先輩からバトンを受け取りました。森鴎外は「文豪になるには何が必要ですか」と問われて、「何よりも体力だ」答えたそうです。出版不況と言われる現在、翻訳者の道には厳しいものがありますが、体力を充実させ、日本語と英語(と他の外国語)と長く付き合っていきたいと、改めて強く思いました。

(セミナー受講生 斎藤静代)

このサイトは翻訳学校サン・フレア アカデミーの運営です。

PAGETOP