セネガル通信

第4回 風と共に来り

食卓の窓から椰子の木が見える。窓枠にちょうど納まるように、三本が並ぶ。

朝食をとりながら、ロンドン時代のように、私はつい窓の外の空を見上げる。

椰子の木は、ひょろひょろと、とっても背が高い。節くれだった灰色の幹は、なんとなく左へ湾曲している。そのてっぺんのほうで、ざくざくとした硬い葉が、葉脈に沿って手を広げ、大きなほうきのようになって空をはく。

椰子の葉を刈り込む前は、2羽で一緒にとまっていたこともありました

葉の付け根、刈り落とされてしまった古い葉が枝のように茶色く固い突起となっているところに、二羽の鷲がとまっている。

どこから飛んでくるのだろう。

左側と真ん中の、二本の椰子の木の“休憩所”には、毎朝毎夕、必ず二羽がやって来る。

大きな肩をいからせた一羽と、少し小ぶりの一羽。朝はこっちを向いて、夕はあっちを向いた後ろ姿で、気持ち良さそうに揺れている。

椰子の木は高いから、彼らがどんな表情をしているのかはよくわからないけれど、私は、なんとなく、毎日同じ鷲が来ているのだと信じている。

椰子から目をおろして、視線をまっすぐにすると隣家のマンゴーの木が見える。プランテーションと違って、伸び放題に大きくなったマンゴーの木は、緑の葉っぱをたくさんつけて、もっこりとしたシルエットを見せている。下に広がる木陰は、さぞかし快適に違いない。

隣家のマンゴーの木とぶらさがる実

去年の12月、遠目にはマロニエの花のような形の朱色の小花が咲き乱れた後に、約束通り実ができて、3月も半ばになった今、そろそろ収穫かなと思えるほど大きく育っている。

それにしても、ずいぶん頑張ってぶら下がっているものだ。大西洋へと駆け抜ける強風の中で、マンゴーは、まるで昔の日本の家の柱にかけられていた、振子時計の丸い球(振り子)ように、揺れ続ける。

ダカールに雨の降らない日はあれど
 風の吹かぬは一日もなし

少なくとも、今まで生活してきた5カ月は、こんなふうにヘタな歌を詠みたくなるくらいの毎日だった。

風を感じて生きている・・・といえば、少し文学的ではあるけれど、コンタクトレンズを使っている私には、実際、ちょっと辛いものがある。

風速がどのくらいあるのか、RTS=セネガル国営放送=を見ていても、天気予報の時間になかなかあたらず(もしかしたら、ないかもしれません)よく分からないけれど、マリリン・モンローのスカートを巻き上げるくらいは、ざらにある。

暑かった頃に、おひさまから顔を守りたくて帽子をかぶったことがあったが、ずっと手で押さえていないと飛んでしまいそうで、結局帽子を諦めたほどだった。

半島の突先、南の赤い部分(港や市街)から北の黄色い部分(アフリカ大陸最西端の海岸から飛行場の東側Yofまで)がダカール市

大西洋に飛び出した小さな半島の、しかもその突先に位置するダカール市は、三方を海に囲まれた街である。いや、正確には“三・五方”を囲まれた、つまり、かろうじて大陸に繋がっている、という地形で、そのせいかどうか知らないが、たいていいつも北東から強い風が吹いている。サブサハラでは有数の“都会”で、人口も二百万を数えるけれど、舗装道路の少ないここでは、風が吹けば土ぼこりが舞いあがる。

そして、2月3月、乾季も真っただ中のこの季節、サハラ砂漠の砂を含んだ風は、病原菌も一緒に運んで、ダカールを覆い尽くす(と物の本で読みました)。

いったいどうなるのやら、とこわごわ(?)2月を迎え、確かにどんよりとしたグレーの空を何度も見た。 日本だったら、「折り畳み傘をもって出かけよう」と思うような空の色だけれど、もちろん雨など降りはしない。

ある朝、海辺に特有の少し生臭い匂いがして、公邸のセネガル人スタッフにそれを言うと、「砂です」といとも簡単な答えが戻ってきた。妙に、納得した。

2月28日。 視界100メートル? 家のマンゴーもぼやけて

2月の最後にはとうとう空気中の砂粒が見えるような(気がする)日がやってきて、あわててカメラを持ち出した。

3月になったら、少し空のご機嫌を読みとれるようになって、「単なる(本当の)曇り空」と「砂の灰色」が区別できるようになってきた。

ヒドイ時には、それこそ、一日になんどか拭き掃除をしたくなるし、もちろんコンタクトレンズは着けない。こころなしか口の中もざらざらするようで、のどもガラガラするから、スーパーマーケットでのど飴を買ったりもした。

「引き出しの奥にしまい込んだデジカメが2年で壊れた」というような話も聞かされていたから、余計に砂っぽさを感じたのかもしれない。

2月28日。 毎日スタッフが掃除しているベランダに写真を撮るために出たら、こんな足跡が

最近、乾季も後半に入って、少しずつ“晴れの日”が増えてきたから良く分かるのだけれど、「本当の砂塵」はおそらくほんの数日だった。

こちらでの生活パターンもできてきていて――例えば、机の上に本や書類を何日も出しっぱなしにはしないとか、普段あまり使わないものは、袋などに入れてしまっておく、だとか――砂嵐を心配するほどでもなかったな・・・というゆとりも生まれている。

病原菌はもちろん嫌だけれど、それについては、今のところあまり耳にしないので、少なくともダカール在住の外国人たちには縁が遠い話かもしれない。

きっと、鹿児島の桜島の周辺の皆さまのほうが、「砂塵」には苦労しておられると思う。

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