ボストン通信ブログ

ビザ

アメリカで出会った日本人の多くが、多かれ少なかれ、ビザでは苦労をしている。

ビザのサンプル

アメリカで学位を取ると、Practical Training Visaというのが1年間支給される。このビザが有効な期間は職種を選ばず、合法的に仕事をすることができる。そのあとも残って仕事がしたい場合にはH1-Bというビザの申請をするのが一般的だ。これは6年という期限付きで出されるもので、本人ではなく会社が申請する。仕事内容とそれに必要と思われる学位や経験といった情報を提出して、それが承認されたら今度は労働局がそのポジションに対する「合法的な給与額」を提示する。会社はその提示された額を払うことを確約して、社内でそのポジションに対する求人広告を掲示する。その後、本人の履歴書を送って、その人がそのポジションに適切な人材であることを証明し、やっとビザがおりる。申請は弁護士を通して行われるもので、費用も労力も時間もかかるため、労働ビザを申請してくれる会社は限られている。また、学位と仕事内容に関連性がある必要がある。しかも、H1-Bは会社に対して出されるものなので、その雇用を失った場合には数週間しか猶予がもらえず、その間に次の仕事が見つからない場合はビザが失効してしまう。H-1Bの取得に際しても、H-1Bで仕事をしている間もつねにドキドキの状態が続くのだ。おまけに配偶者には働く許可がもらえない。その上、H-1Bの数は限られていて、ひどいときには新年度が始まってから1-2か月でその数に達してしまうこともあった。そうすると次の新年度が始まるまで10か月、11か月と待つことになる。

こうしてとったH-1Bも6年という限度がある。その後も残って仕事をしたい場合は、それが切れる前に永住権を獲得する必要がある。永住権の取得で一番手っ取り早いのはアメリカ国籍を持つ人との婚姻で、その次に仕事を通して取得するという方法である。わたしがいた会社は翻訳会社で、こうしたビザにはなれていたのだけれど、社長に永住権の申請の話をしたときには開口一番「アメリカ人のボーイフレンドと結婚するのが一番手っ取り早くて確実だぞ」と言われた。厳格に言うと、これはセクシャルハラスメントぎりぎりのラインだけど、腹が立たなかったのは社長の人格によるものだ。この社長はフランス人の父親とアメリカ人の母親を持ちフランスで育ったのだけれども、MITに行くためにアメリカにきたとき、自分がアメリカで生まれているために市民権を持っていることを知らずに学生ビザを申請した人である。

グリーンカード

結婚によって永住権を得ると言うのは一番確実な方法なのだけれど、あまりにも悪用され続けたために、今は結婚によって永住権を得ても、一定の期間内に離婚または別居してしまった場合には取り消される。一方、永住権には昔からくじ引きによる取得という方法があって、毎年一回、誰でも申請することができる。1991年と1992年に、大量に出されたことがあって、このときは申請書を何通出してもよかったそうで、それで永住権を得た人が知り合いの中でもたくさんいる。日本から申請して当たったから夫婦で来たと言う同僚もいた。それだけ大量に出されたのは1-2年だけだったのだけれども、その後も「Green Card Lottery」は続いていて、去年も5万人の人がそれで永住権を得たと言う。H-1Bを失ってしまって、次の仕事をやっと見つけた友達が、その仕事を始める直前に永住権をくじ引きで当てたということもあった。

くじ運もアメリカ人のボーイフレンドもいなかった私は会社を通して永住権を申請した。14年前でも2年にわたる長い道のりだったのだけれど、今では待機時間がもっと長いと聞く。2年の間に様々な書類を出さねばならず、ある一定のところまで進むと最寄りの警察署でとった指紋を提出させられた。当時は自分の国にあるアメリカ大使館で最後の面接をすると通常より6か月早く取得できるという制度があった。ちょうど会社が吸収合併されたころでもあり、将来に不安があったので、迷わずそれに同意した。クリスマスの翌日に面接しますという連絡が来たのは12月の初め。あわてて休暇を取り、チケットを購入した。年末年始で急だから航空運賃は高いけれども、そんなことは言っていられない。東京に着くとすぐ指定された健康診断を受けに聖路加病院に行った。順番を待っているとき、横浜でスナックを経営していたときに知り合ったアメリカ人と結婚して、カリフォルニアに引っ越すの、という50代後半の女性に会った。50代で夫しか知り合いのいないアメリカに引っ越すと言うのはすごいと感心した。面接の当日はレントゲンと健康診断書を持ってアメリカ大使館に向かった。名前を呼ばれて窓口に行くと「書類にあることはすべて事実である」と右手をあげて宣誓させられて、無事に許可が下りたのだった。けれどもその場ですぐカードがもらえるわけではなく、ぺらりとした一枚の書類を持ってテキサス州ダラス空港で入国しようとしたら別室に連れていかれ、また緊張したのだった。

グリーンカードは10年ごとに書き換えが必要である。数年前、元旦に違法移民の暮らしの大変さを描く映画を「そうそう、グリーンカード取るの、大変なんだよね」と思いながら見ていた。そしてふと自分のグリーンカードの期限が頭をよぎった。出して見てみたらその年の3月に切れることに気付いた。政府が関わることは何でも遅い。2か月で更新が終わらないかもしれないという不安で、映画どころではなくなり、即座にネットで更新手続きを調べた。450ドルという手数料の高さはショックだったけれど、手続き自体はネットで全部できた。運がよかったのか、新しいのを出すので指紋と写真を撮るために出頭しなさいという連絡は1か月足らずで届いた。そして2月の寒い日、ボストンの街の中にある事務所に行ったのだ。こういう事務所に行くと、後ろめたいことがなくても緊張するのはなぜだろう。ビザ全般を取り扱うこのオフィスは担当官が90%ラテンアメリカ系と中国系だった。

ということで、ビザには何度もどきどきしているために、日本のドラマで「彼女は今ニューヨークでダンサーをしているのよ」とかいうセリフを聞くと、「ビザは。。。」とついつい思ってしまう。

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