Did you know that?

59. イスラエルへ行く(エルサレム)−①

記:この原稿を書き終えた8月初旬現在、イスラエルとガザ地区ハマース政府との戦闘の様子が世界中で放映されている。私がイスラエルを訪れていた今年6月、イスラエルでは、パレスティナ人との争い、近隣諸国との緊張感はあったとしても、世界中から多くの観光客が訪れ、人々はここ数年の平和を楽しみながら生活しているように思えた。
 滞在中に起きたイスラエル人高校生3人の誘拐殺人事件をきっかけに、その後一ヶ月も経たないうちにこのような戦争事態に陥るとは、その時には想像もできなかった。この旅行記は、その直前の穏やかなイスラエルでの体験ある。一日も早く、又平穏な日々が戻ってくることを願わずにはいられない。
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4月半ば、イスラエルのテル・アヴィブ大学から、昨年から話しがあったカンファレンス招聘の確認メールが夫に届いた。私の一言「私も行く!」。
日本人の私としては、「テル・アヴィブ」と聞くと、1972年に国民を震撼させた日本赤軍の「テル・アヴィブ空港乱射事件」を思いおこさせる。特に主犯の一人であった岡本公三が、熊本の我が家の近く出身だったこともあり、事件は生々しく心に残り、「テル・アヴィブ」は、都市として良い印象が残っていない。

しかし、「イスラエルだ!」このような機会を逃したら、一生この地に行くことはないだろう。現在のイスラエルは、イスラエル・パレスティナ戦争、ガザ地区、複雑な宗教関係のイメージが強いため、私の友人たちは、あのような危険な国にどうして行きたいのかと聞いた。しかし、私の心はすでに「聖地エルサレムへ!」。

イスラエルは、私の住むポートランドから遠い。テル・アヴィブ大学から夫の航空券と一緒に予約してもらったところ、地球半周のような経路で行くことになった。6月9日、ポートランドからサンフランシスコ、フランクフルトを経由してテル・アヴィブにいく。空港到着が夜中の12時半。空港周辺にはホテルがないと言う。私たちの計画は、初めの5日間をエルサレムで過ごす為、空港からタクシーでエルサレムに1時間程かけて行く。「真夜中、空港からタクシーで1時間もかけてエルサレムに行く?」「本当に大丈夫?危険ではないか?」初めて【危険】ということを感じた。タクシーは信用できるのか?夫に聞くが、イスラエルのタクシーは、現在観光客からの信用を得るため、非常に厳しく管轄されていて、空港からの料金も統一されていて信用できるという。仕方がない、運命を賭けるか?

【税関】

ヨーロッパからテル・アヴィブ空港へは、真夜中に着く便が多いらしく、午前1時だというのに、空港にはヨーロッパからの入国で人が溢れていた。税関では、夫の大学関係の招聘が訪問理由だったためか思ったより簡単な質問ですんだ。ところが、パスポートには入国のスタンプがおされず、名刺のようなカードが渡され、出国まで保管する(下記)。入国でスタンプが押されないことはあるが、カードをもらうのは初めての経験なので、不思議な気がした。夫の話しによると、他国、特にアラブ系、イスラム教系の国に行く場合、もしイスラエルへ行ったことがあることがわかると入国を拒否されることがあるため、証拠となる出入国スタンプはおさないらしい。「私がイスラエルに行ったことがあるとして、たとえ今後アラブ諸国に行ったとしても何の弊害があるのだろう」と思うのは、「平和ボケの日本人」の考えであるらしい。

入国スタンプの代わりに貰ったカード

【タクシー】

午前1時半、空港ではタクシーの客引きが盛んに行なわれていた。白いタクシーなら安全だと聞いていたが、何も知らない私は、できるだけリスクを抑えたかった。空港の案内係に聞くと、いわゆる複数の乗客を乗せて行くサービスもあると言う。「これだ!他の人たちと一緒なら安全だ。それに料金も少し安い」6組の乗客と一緒に空港を出発したのが午前2時。ところが、である。このタクシー、1組1組を自宅まで送っていく。エルサレムへの高速道路を途中で出て、どこだか見当もつかない一般住宅道をくねくね曲がり、1組ずつ降ろして行く。私たちはいつ着くの?彼らはこの地に住む人たちで、私たちともう一組アルゼンチンからの夫婦だけが旅行者であった。私たち2組だけがエルサレム市内までいくのが分かったのは、随分時間がたってからだった。

夫は時間がかかるこのサービスに不満で、「普通のタクシーで行けば、もうとっくに着いていた」と私の選択に文句を言い始めた……。最後に残った夫と私は、無口な青年ドライバ−に不安。しかし、目的地に着くと彼は機敏に動き、2LDKのコンドミニアムを借りた私たちのため、分かりにくい住宅街を夫と一緒に懸命に捜してくれた。家が見つかった後、暗くて、石畳の為歩きにくいので、ヘッドライトをつけ、私たちの姿が見えなくなるまで車で見送ってくれた。思いがけない親切に驚くと共に本当に感謝した。家に入って時計を見ると、午前4時だった!!

借りたコンドミニアムへの石畳の道

【Old City-オールド・シティ】

夫は、今回のカンファレンスに招かれたカナダ人の学者夫妻と一緒にエルサレムを観る為に、このコンドミニアムを借りた。オールド・シティまで徒歩10分、屋上のテラスからは目の前にオールド・シティの壁が一望できるのは、好条件だった。

屋上テラスからの眺め

このオールド・シティ、旧市街地は、紀元前11世紀ユダヤの王となり、要塞の地エルサレムに都をおいたダビデ王(King David)が統括した地である。
 その後3000年余り、この地の歴史は私には計り知れない。しかし、世界の3大宗教の重要な拠点であり、周辺約1キロ平方メートルの要塞内に、ユダヤ教徒地区、キリスト教徒地区、イスラム教徒地区、アルメニア人地区があり、それぞれが複雑な歴史をかかえ、戦争と共存の妥協点をかかえ存続している世界である。

キリスト教、ユダヤ教そしてイスラム教の3宗教それぞれが、この地を発祥地とし、世界中に35億人という信者が広まっている現在、この地には世界各国から自分の宗教の原点を求め探る人びとが訪れ、自分の信仰を深めている。

【Old City- The Christian Quarter-キリスト教地区】

Jaffa Gateは、多くの観光客がオールド・シティで初めに訪れる所だろう。世界中のキリスト教信者、観光客は、この門をくぐり、イエス・キリストの世界へと入って行く。

キリスト教地区入り口にいた観光客

2000年前、イエス・キリストが実際に十字架を背負い歩いた場所があり、また磔の十字架から降ろされ、血染めの服を着替えさせられ、油で身体を清められたと言われる石盤は、キリスト教信者の祈りの原点となっている。人々はこの石盤の前に跪き、ある人は口づけし、ある人は自分の十字架や持ち物を石盤にこすりつけ、ある人は感激にむせび、額をつけ祈る。何を祈るのか私にはわからない。キリスト教信者でない私は、石盤を触っては見たものの、額をつけ祈ることはしなかった。

石盤に額をつけ祈る人びと

 

このキリスト教の場所で驚いたことは、異なる言語の観光客の多さである。英語を聞き慣れた私には、全く一言もわからないような言葉があちこちで飛び交っている不思議さを感じた。建物内にはキリストの復活の場所、実際の墓などがあり、信者は列をなして祈っている。ところが、場所の荘厳さとは裏腹に、人々は自由に動き回り、写真を撮る規制もない為、キリストの墓であろうとなんであろうと、写真をパチパチ撮っていた。もちろん私も撮った!

土産売り場は、このような屋根付き露地が迷路のように入り組んでいた。

【Old City- The Jewish Quarter-ユダヤ教地区】

このユダヤ教地区で最も有名なものは、The Wailing Wall( or the Western Wall-嘆きの壁)だろう。紀元前2世紀ごろ、ユダヤのヘロデ王の時代の神殿を取り巻いていた壁だが、7世紀初頭に、ローマ帝国のエルサレム侵攻によって礼拝地であったエルサレム宮殿は破壊され、一部の壁だけが残された。その「破壊を嘆く」という意味のこの西側の壁は、現在もユダヤ教徒の大切な聖地の一つになっている。

壁は男性側と女性側に分けられており、男性側では、ユダヤ教徒にとって大切な成人儀式である13歳の男子のBar Mitzvah (バル・ミツヴァ—-女子の儀式は、12歳でBat Mitzvah バト・ミツヴァと呼ばれる)が行なわれていた。女性側では、境のフェンス越しにこの儀式を椅子の上に乗って見ている。また多くの人びとが嘆きの壁に紙に願いを書き、石壁の間に詰めていた。これは、日本の神社の絵馬やおみくじを木の枝に結び幸運を祈るのに似ていると思った。

バル・ミツヴァ—-の儀式が行なわれる男性側とそれをみる女性たち

私が面白いと思ったのは、男子のバル・ミツヴァの儀式の大切さである。儀式は、男性側の嘆きの壁前で行われていた。この儀式をこの場所で行なうことがどれ程意味のあることかが伝わってくるようだった。ここでは女性はその場にいることはできない。しかし、「ユダヤ人」である為には、父親ではなく「母親」が完全なユダヤ人、あるいは「ユダヤ教に改宗した母親」でなければならない……。日本人の母親でも改宗儀式を受ければユダヤ人(教徒)になれ、子供はユダヤ人として認められる。

嘆きの壁前のバル・ミツヴァ—-の儀式

【Old City- The Muslim Quarter-イスラム教地区】

ユダヤ教徒地区からイスラム教地区に行くためには、検問所で鞄などの検査を受け、長い屋根付き廊下のような所を登っていく。検問所で「アンニョンハセヨ」と言われた。私は驚いて、“ I’m sorry, but I’m Japanese.こんにちは!” とニッコリ笑って答えた。この地区を訪れる東アジア人は、韓国からのキリスト教信者が主らしく、私を韓国人と間違えたらしい。私は、この地区で殆ど東アジア人には出会わなかった。

Qubba al-Ṣakhra(カアバ--岩のドーム)と呼ばれるこの神殿は、イスラム教の聖地であり、このドームには、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教に重要な関わりを持つ岩(Foundation Stone)が祀ってあるらしい。現在イスラム教地区としての管理下におかれているが、信者以外は全く入れず、外側の写真を撮るだけしか許されなかった。私は、この地区でキリスト教地区の一般観光客に対する寛容さとイスラム教地区の閉塞さを知った。

カアバー岩の美しいドーム

イスラム教の女性たち

この地区で私が不思議に思ったことは、イスラム教徒の女性たちが20人程集まって座っていたことである。いくつかのグループを見たが、いわゆる民主主義社会の女性の集まりである「集まれば、陽気に飲んだり食べたりしながら話しの花を咲かせる」という光景からは程遠かったことである。彼女たちは何をしているのだろうか?祈っているのだろうか?近寄って聞くすべもない。炎天下、黒い服を身にまとい日陰で集まって……。これこそ民族の違い、宗教の違いだろう。

アメリカは人種のサラダボウルと呼ばれている。多くの人種という野菜が小さく切られ、アメリカという国に混在し生活している。
 しかし、エルサレム、オールド・シティを訪れ思ったことは、この地区は、違った人種や宗教が存在している点はアメリカと変わらないかもしれない。しかし、それぞれの人種や宗教という野菜が、自分たちそれぞれのサラダボウルに入って、決して混ざり合うことなく生活しているように感じた。

*イスラエルヘー②へ続く

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