Did you know that?

60. イスラエルへ行く(マサダと死海)—②

日本人にとってイスラエルと聞いて最も興味を抱くのは、「死海」ではないだろうか?塩分濃度が強く沈むことができない海。魚はもとより、殆ど生物が生息できない海。入って浮いてみたい気がする。カナダ人夫妻と私たちはレンタカーを借り、死海とその近くにある、要塞「Masada-マサダ」を訪れることにした。

【Masada-マサダ】

遠い中東の国の歴史は余りに複雑で、宗教信者でもない私がイスラエルについて知っていることは、ほとんどない。「マサダ」と聞いても何のことだか殆ど分からない。しかし、調べてみるととても興味深い歴史があることがわかった。

マサダ要塞の右上方にロープウェイ着き場、左側にジグザグの上り道が見える

死海の西海岸近くにあるこの要塞は、紀元前120年ごろ、切り立った岩山の上に建設され、後にヘロデ王が離宮兼要塞として改修した。山頂へは細い登山道が1本あるのみで、周囲から登ることが不可能な断崖絶壁の地形であり、難攻不落の要塞と言われた。

紀元66年、「ユダヤ戦争」と呼ばれるローマ帝国との戦争が始まったが、70年エルサレムが陥落した後、女性や子供を含む約1000人のユダヤ人がこの要塞に立て籠った。この高台を1万5000人のローマ軍が包囲し対戦しようとしたが、余りに高く峻厳な要塞で、ローマ軍はなすすべがなかった。しかし、執拗なローマ軍は、イスラエル人捕虜と奴隷を大量動員し、土を運び要塞までの崖をうめ、防塞の突破口を築きあげていく。

要塞の建物跡と観光客。右側にイスラエルの国旗が立つ。

2年後ローマ軍の登り道は遂に要塞に辿りつく。ローマ軍は攻防戦を予想したが、立て籠っていたユダヤ人は、奴隷になるより死を選びたいと集団自決した。そこには、女性2人と子供5人が生き延びて隠れていたと言われている。

陥落後の「マサダ」は、ローマ軍により徹底破壊され、長い間世界の歴史からも認識されることなく過ぎていたが、1838年にドイツ人考古学者によって所在が確認された。現在は頂上までロープウェイが建設され、ユダヤ人にとっての聖地としてユダヤ人が、また観光地としても世界各国から多くの人びとが訪れている。

私には、民族抗争も宗教戦争も複雑なことはわからないが、この地を訪れて思ったことは、なぜローマ軍がここまで徹底してユダヤ人を絶滅させようとしたのかである。この砂漠の地、水でさえ雨水しか供給できない、植物も育たないような所で、1000人ものユダヤ人がどのように生活していたのか?また、いつまで生きられるか?戦わずしても餓死していくのではないか?血を絶やしてしまわなければ後々報復される可能性がある?疑問は尽きなかった。

ローマ軍が作った要塞への登り道

夫の意見では、ローマ軍がこれ程徹底的にマサダのユダヤ人を陥落させたのは、「ローマ軍へ服従しない限り、どのような難攻不落の土地であっても戦い、そして潰す。もし潰されたくなければ、戦わずして服従した方がよい」ということを示すためだったのではないだろうか。その後、多くの近隣領域の民族はローマ帝国下に戦わずして服従したのではないか。そうでなければ、この地でマサダを潰す為に使った労力と月日は無駄だったと思う。

頂上へは、細い道を登って行けば1時間ぐらいかかるが、ロープウェイを使うと3分程で着く。5分ぐらい毎に行き来しているロープウェイはどれも満員で、ここも分からぬ多言語が飛び交う空間であった。
 頂上に登ると、とにかく暑かった!灼熱の太陽がじりじりと照りつけ、遺跡の跡をたどって歩いて行くが、どこにも日陰がない。この高地の要塞には、とにかく日陰になるような木が一本もない。水分補給を十分にしなければ、熱中症になってしまいそうだ。草さえ生えない地面は、新しい建物が建つことなく2000年の時を経ている。この土地の土や石ころは、当時のままのものかも知れないなどと思うと不思議な気がした。

ロープウェイの中の人びと

ユダヤ人たちは、青緑の死海と周りの茶色い荒野の砂漠地帯を見ながら、下方にはローマ軍が包囲するこの土地で、何を思って生きたのだろうか?死海は、どれ程美しくも生物は生息できない。生命を生み出さない。周りの砂漠地帯、荒野にも、野生の小動物すら生きられない。「生命」ということを考えると、希望を抱ける場所ではない。

マサダから見た死海

この地を訪れ、古代ユダヤ人の民族意識、篭城決意の堅さ、無念さ、ローマ人たちの執念、気候の厳しさなど、ずっしりと心に残った。民族間抗争、宗教の違いなど、ヨーロッパ、北アフリカ、中東という広範囲の民族、宗教、国という概念など数千年に渡る歴史を必死で学んだとしても、私には到底分からないと思った。

現在のイスラエル軍のスローガンの一つ:
“MASADA shall not fall again!”「マサダ」の敗戦を繰り返してはならない!」

マサダから見た周りの荒野

さて、「マサダ」を下りて、「死海」へ向かう途中、何やら大げさな野外コンサート劇場のような黒い建物があるのに気づいた。何かも分からず通り過ぎたが、後で調べてみると、「マサダ」を背景にした「オペラコンサート」劇場だった。複雑な歴史跡で平和を楽しむ人たちがここにもいるのだという気がした。
http://www.latraviata-at-masada.com/

左側に見えるのがコンサート会場、右側が観光バス駐車場

【死海】

死海の南西に位置する「マサダ」から見る死海は、雨が降らないためか、また暑さのため海水が蒸発しているのかどんよりとしか見えなかった。しかし、岸辺に近づくと美しいコバルト色であった。

死海で楽しむ人びと。向こう岸はヨルダン(Jordan)

アラビア半島の北西部に位置し、塩分濃度30パーセント(海水は約3パーセント)の海。アラビア半島近隣諸国のことなど何も分からなくても、学校の社会科で死海のことは習うので、殆どの日本人は漠然と知っている。
 海面が海抜マイナス418メートルで、地球上の地表としては、最も低い場所にあるらしい。運転中、途中で夫が「ここが海抜0メートルで、死海まで400メートル程下がっていくんだ」と言ったが、近くに他の海がある訳でもなく、耳がぐ〜〜んと塞がるわけでもないので、私にはさっぱりその感覚もない。

私は、死海の周りが観光地化され、多くの人びとが、海水浴を楽しんでいるのだという印象をもっていた。しかし、沿岸部に行くことができる場所につくが、観光地と呼ぶには程遠い小さな飲食場所とシャワーを浴びることができる建物だけがあった。木陰のパラソル、ベンチや屋外のシャワーもあったが、日本の観光地を想像するとガッカリしてしまう。

パラソルの下は暑くて誰も人がいなかった。ここから下に階段をおりていって岸辺に着いた

私は、死海で泳ぐ?浮く?ことにそれ程興味はなかった。夫は嬉しくてカナダ人の友人と早速岸辺におり「何もしないで浮く」経験を楽しんでいた。私も浮いてみたが、水は思ったより温かく、遠くまで行く勇気もなく岸辺で5分程浮いた後夫たちを残して引き上げた。外のシャワーで、塩分でぬるぬるした身体を洗いながら、ここにホテルがあって部屋に帰ってシャワーがあったら、もう少し楽しめるのではないかと思った。

私は、イスラエル側の死海の一ヶ所しかしらないので、観光地化に関しては分からないが、1980年代義母が訪れたヨルダン側の観光開発は、ホテルもあり快適だったそうだ。ヨルダンは、国としても温泉地、キリストの洗礼地遺跡等を観光名所として死海沿岸の開発を進めているらしい。

【死海海面低下問題】

死海は現在大きな問題を抱えている。20世紀半ばぐらいから、死海の海面は毎年1メートルずつ下がっているという報告がされている。実際私たちが訪れた海水浴場も、建物を建てた当時、沿岸部がすぐ目の前にあったらしいが、今は階段をおり、5、6メートル下りて行かなければ岸辺に辿りつけない。

これは、イスラエルがヨルダン川上流で行なっている、農業のための灌漑用水利用によるものと考えられている。また死海南部で摂取される商業用の塩、カリウムなども原因の一つであるらしい。近い将来、完全に干し上がるのではないかと懸念する環境団体もある。近代産業がもたらしている自然破壊の一つだろう。

ヒーブル語、英語、アラブ語で書かれた「遊泳許可」のサイン。
海面は随分下方にある。

私たちは、「マサダと死海」観光を終えた後、翌日エルサレムからテルアビブへと移動した。イスラエルへ行く−③に続く

このサイトは翻訳学校サン・フレア アカデミーの運営です。

PAGETOP