Did you know that?

61. イスラエルへ行く(テル・アヴィヴ)—③

夫の学会が始まる前日、私たちはエルサレムからテル・アヴィヴ(Tel Aviv )へ移動した。1947年、第2次世界大戦後、国連は「テル・アヴィブ」を首都と指定したが、1967年、第3次中東戦争後、イスラエルは国として「エルサレム」を首都と認定している。現在政治の中心はエルサレム。しかし、近くに国際空港をかかえ、地中海沿岸に面したテル・アヴィヴが、経済、ビジネス、近代文化や芸術、娯楽などの中心都市として開発され、発展し続けている。

【テル・アヴィヴ市街地】

テル・アヴィヴへは、エルサレムからレンタカーで移動した。高速道路も普通の道路もよく整備されており、近代国家のイメージを受けた。ただ、街中では、あちこち傷がついた車、タクシーでさえ車体の塗装が剥げてヘコンでいるのをよく目にした。運転した夫が言うのには、全体的に運転が荒っぽい。また修理にお金を使うのをもったいないと思っている人が多いのかどうかは分からない。
 車は、ヨーロッパ高級ブランド車より、韓国車のHYUNDAI(ヒュンダイ)やKIA(キア)が目立った。もちろん日本車も多かったが、これはヨーロッパ車より低価格であるためか、あるいは韓国ビジネスが成功しているためだろうか。輸入としては、ヨーロッパ車の方が距離としては近いと思うのだが、私たちが泊まったホテルのエレベーターもHYUNDAIだった。

エルサレムではずっと行動を共にした夫たちが、学会でテル・アヴィヴ大学に缶詰状態の3日間、カナダ人学者の奥さんMさん(京都出身の日本人)と私は、昼間2人で行動することにした。

椰子の木と美しい花が咲くテル・アヴィヴ大学内

ホテルで日帰り観光のツアーを捜すが、テル・アヴィヴからの主なツアーはエルサレム、死海、そしてマサダ観光だ。この地は既に行ってきた。南部は遠いツアーしかなく、北部の観光地は、学会が終わった後夫と2人で行くようにしていたので、結局テル・アヴィヴ市内を、ホテルが勧めた無料のツアーとタクシーを利用して回ることにした。

歩道橋とヒーブル語だけで書いてある街中の看板。この近くにイスラエル輸出品目のトップを占めるダイアモンドの取引所があり、宝石店もこの近くにあった。

「タダより高い物はない!」とよく言われるが、無料ツアーは、あちこちのホテルから10名程の観光客を、街中にあるダイアモンド・ストック・センターに案内し、その後、彼の宝石店に連れていくという算段のものだった。「やっぱりね!車で無料案内をしてくれるのだから、何か向こうにも利益がないとね」。ところが、連れていかれた宝石店で、Mさんも私もどのように勧められても宝石の買い物に興味を示さない。10人の中にはアラブ系の金持ちそうな人もいたが、いわゆる「ハズレ組」だった!「私が旅行中1000ドルもする高価なもの平気で買う訳ないでしょう?」社長は少しガッカリしていたが、このような日もあるのだろう、その後も案内は続けられ、「Yafo-ヤフォ」に連れていき、丁寧に案内してくれたのには驚き、感謝した。

【Yafo-ヤフォ】

テル・アヴィヴ正式名称は、1950年よりテル・アヴィブ・ヤフォ(Tel Aviv Yafo)。テル・アヴィヴは、20世紀初頭には荒廃した砂丘であった。1909年に、ヨーロッパからの60家族のユダヤ人が環境の良いユダヤ人の街を作りたいと、アラブ人の街だった「Jaffa—ヤッファ」に隣接したところに移住したのが始まりだ。当時、この街がこれほど発展するとは想像もできなかったらしい。1920年代からポーランドやドイツのユダヤ人が数多く移住し、現在は40万(都市圏人口は385万人)の人口をかかえる大都市となった。
 ヒーブル語で「Yafo-ヤフォ」という呼び名は、アラブ語の「Jaffa」から来ている。丘の上にある石畳の街ヤフォから見る地中海とテル・アヴィヴ市街地は、この上なく美しかった。

ヤフォから見る真っ青な地中海とテル・アヴィヴの街

「アメリカに安全な場所はない」と言われる。もちろん私自身が平日普通に暮らしている分には、危険を感じることは殆どない。しかし、夜、女性が一人で出歩かない、子供が一人で外出しない等基本的なルールを守っての安全性である。
 イスラエルへ行くと言ったとき、多くの友人が「あんな危険な国にどうして行くの?」と聞いた。しかし、テル・アヴィヴの街をMさんと2人で昼夜歩いていても、タクシーに乗っても危ないと感じることは全くなかった。夜の一人歩きと言えば、若い女性たちがレストランで、夜遅くまで楽しく食事をしているのをよく目にした。女性たちは、エルサレムと違い、タンクトップやショートパンツなど肌を露出した服装で自由を謳歌していると感じた。また、テル・アヴィヴの女性たちは、美しい!!若々しく健康的な女性たちが街を闊歩しているのは、街が健康な証拠ではないかと思った。

街中が安全な理由は、警察官やパトカーが日夜巡回しているからである。また、市の中心部に位置する大きなデパートの入り口では、警備員がバッグの中を調べ、入館を許可する。このように万全を期した体制があって、街の安全があるのだと改めて思った。

夜遅くまでレストランで楽しむ女性たち。

【「すぐそこ」の意味は?】

テル・アヴィヴ大学の学会初日、学会参加者とパートナーは夕食会に招かれた。レストランは、ホテルの近くの海岸沿いにあり、歩いて5分ぐらいと聞いていた。しかし、海岸沿いは大きなショッピングセンターになっており、店が山のようにある。レストランの名前を何度か人に聞くが、全く分からない。主催者のF教授に電話しようとしたが繋がらない。あちこち捜し歩くこと30分。
私、夫に意地悪く聞く。
「歩いて5分のところにあるはずのレストランが、どうして見つからないの?住所は?電話番号は?」
夫は、すまなさそうに答える。
「歩いて5分と言われたから、すぐに見つかると思ったんだよ」
私、
「F教授は、殆どが外国人の教授たちに、レストランの詳しい地図をくれるとか、行き方の説明はなかったの?」

私たちは、自分たちで捜すのを諦め、ホテルに戻って聞いてみることにした。フロントの女性は、簡単な住所を書いて「これをタクシーの運転手に渡しなさい」と親切に教えてくれた。ところが、タクシーの運転手、
「住所は、この辺だからすぐあるよ」
捜すが……、ない!ここでも3軒の店に、レストランの住所と名前を見せて聞いた。店の人たちはどの人も親切で、中に入れてインターネットで調べてくれたが分からない。
私、
「もう捜しても無理、無駄!パーティもディナーも諦めた!歩き回ってお腹がすいた!」
私たちは、近くのレストランで2人だけで夕食を食べた。しかし、気分とは裏腹に、と〜ってもおいしかった!!

翌朝、ブッフェの朝食で他の教授たちに聞いたところ、彼らは、皆で集まって行ったそうだ。5分ぐらいと聞いていたが、捜してもなかった。ショッピングセンターの端からその先の方までみんなで捜してやっとみつけた。40分も海岸沿いを歩いて!

人気のイタリアンレストランで食べたパスタとマグロの刺身サラダ。本当においしかった。

翌日、私は家族にハガキを出したかったので、ホテルのフロントで郵便局は何処かを聞いた。男性曰く、
「郵便局はすぐそこにあります。2、3ブロックぐらいのところに」
Mさんと私は、2人で「すぐそこ!」の郵便局に行こうとした。2ブロック先を捜すがどこにもない。歩いている女性に聞いた。
「この先にあるわよ」
ない……。郵便局はどこ?また次の女性に聞く。この女性は英語がとても分かりやすく、丁寧におしえてくれた。
「ここを左に真っすぐ行って、2つ目の角を右に曲がると目の前にあるわよ」
そこに行った。どれ?どこ?分からない。最後に別の女性に聞いた。
「ここよ」と指差して教えてくれた。やっとみつけた。ホテルから7ブロックぐらい離れていた。

やっと探し当てた郵便局。私は残念ながらヒーブル語は読めない!

Mさんと私は、夫の学会3日目、この街で一番大きいエレツ・イスラエル博物館(Eretz Israel Museum)を訪れることにした。またホテルのフロントで聞く。
「あ〜、この博物館へはタクシーで行った方がいいですね。でも、ここへは歩いても行けます。川沿いに沿って大きな美しい公園があるので、そこを歩いていくと、とてもきれいで気持ちいいですよ」

もうこの頃には私も、この国の人たちの「すぐそこ」が如何にいい加減か分かってきていたので、タクシーで行った。20分ぐらいかかった。Mさんと私は、車窓から川沿いの美しい公園を見ながら、
「ここを歩いて行っていたら2、3時間かかったわね。この炎天下、博物館に行き着く前に熱中症にかかって病院行きだったわ〜」

博物館には、8つのパビリオンがあったが、ガラス館(Glass Pavilion)は特に素晴らしく、紀元前15世紀から中世までのガラス細工が展示されていた。
「そうだ、『ガラス』って『砂』で作るんだ。砂漠地帯に住む人びとが数千年も前から作ってきた芸術なのだ」と思うと、人間の技の素晴らしさを改めて思った。

 

芸術品のガラスランプ。吊るして使われた。

ユダヤ教の行事の一つで、12月に行なわれるハヌカー(Hanukah)で使われるメノラー(Menorah)又はハヌキアー(Hanukia)ロウソク立て。展示してあったものはどれも見事な芸術品であった。

ところで、テル・アヴィヴで、私はたくさんの野良猫を見た。ウロウロ歩いている猫を滞在中に20匹ぐらい見たかもしれない。不思議なことに野良犬は一匹もいなかった。ヤフォの屋外のレストランで食事をしていた時には、1匹の猫が人懐っこく足元に寄ってきて座り、じ〜っと私を見上げる。ここで飼っているの?私は、自分の皿から残り少なくなっていた食べ物を少しずつあげた。嬉しそうにポテトだって何だって食べた。驚いたことに、このような猫をレストランが追い払う訳でもない。屋外でウロウロする猫たちをおおらかに見ている。
しかし、海岸のリゾート地区で見た野良猫は、特に印象に残った。厳しい豹のような表情は、「この国で生きて行くことの厳しさ!」を伝えてでもいるかのようだった!

海岸のリゾート近くにいた野良猫


*イスラエルヘー④へ続く

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