Did you know that?

63.私が敬う人

Tさんご夫妻に初めてお会いしたのは、Tさんご家族が、仕事の関係でポートランドに引っ越してこられた時だった。当時子供さんを現地の小学校に入れたいので、私に通訳も兼ねて奥様を手伝ってもらえないかと頼まれたのが知り合うきっかけだった。もう20年も前のことで、どうして私に頼まれたかなどの経緯は全く覚えていない。

小学校で初めてお会いした奥様Aさんは、ニコニコと笑顔の美しい温厚な方だった。しかし、入学するお子さんと話してみると少し障害があるように思えた。その時は、何も詳しく知らず、どのような手伝いをしたかも定かではないが、入学手続きはスムーズにいき、英語が全く話せない知的障害を持つK君は、アメリカの小学校に暖かく迎え入れられた。

ハロウィーンの日、「Trick or Treat」に来た子供たち

後で分かることであるが、 Tさんご夫妻にはご自分たちの息子さんが一人おられた。 K君は、Tさんの知人が住む地方で、家族から養育を放棄され、親戚も誰も引き取り手がないという子供だったのである。ご夫妻は、その状況を理解し、将来親が引き取りたい、又は生活できる環境が整えば故郷に戻れるようにという配慮から「里子」として引受けられ、アメリカに連れてこられたのである。

Tさんは、アメリカの潰れそうになった機械部品会社を買い取り、事業を立て直すために渡米された。それだけでも大変なことである。その上知的障害があり、日本語だけでも大変であろうK君を一緒に連れてこられ、公立小学校の英語教育の中に入れられた。当時私自身は、我が子二人の世話で精一杯。まず、他人の子供を育てるなどとは考えられなかった。その上知的障害がある子供を育てる?それも外国の地で?その勇気と英断には驚くばかりだった。

Tさんは、その部品工場を見事に立て直され、従業員90余名の事業へと成長させられた。K君もアメリカの素晴らしい障害者教育の中に順応し、高校まで卒業した。知的障害者ではあっても家庭では日本語で話し、学校で英語教育を10年以上受けたK君は、バイリンガルとして成長した。

Tさんご夫妻は、K君が、将来生まれ故郷に戻って、自立して生活して行くかもしれないことも深く考えておられたのだろう。もし、K君がアメリカで生きて行きたいと思っても、ビザ取得の問題がでてくる。また、家族が日本におられる関係から、K君は日本に帰ったほうが良いと思われたのだろう。K君が高校生になったときから、少しずつ社会へ順応させる準備を始められた。K君は高校に通いながらスーパーマーケットでアルバイトを始めた。買い物客の荷物を車まで運ぶ、外においてあるカートを店に入れるなど、K君にも充分できる仕事が割り当てられた。高校の4年間立派に勤めあげた!

K君は、20歳のとき10余年のアメリカ生活を終え一人日本に帰国することになった。就職先も決まった。Tさんご夫妻は、K君が日本で暮らし始める時、K君が高校時代に働いて貯めた全てのお金を「緊急のときのために」と、日本で銀行口座を作ってあげられた。K君は、いま立派に自立し生活しておられるそうだ。

ご夫妻は、4年程前に居住地をハワイに移された。しかし、仕事は主なことを他の方にまかされ、Tさん自身は、月に何度かこちらに来られている。

さて、そのように忙しいTさんから、夫と私が昨年日本に一年間住んでいた時、「10日程東京に仕事で帰るので、是非お会いしましょう」と連絡をいただいた。
一緒に食事をしながら聞いたTさんの話は、仕事のこと、ご家族のこと、そしてK君のことだった。話は4時間近くも続き、Tさんとの楽しい時間は、あっという間に過ぎた。

私自身は、忙しいTさんとハワイに引っ越された奥様との接点が小さくなってしまっていたころだったので、このような機会に直接お話を伺えることをとても嬉しく思った。

感謝祭が終わると、クリスマスの準備にかかる家が多い。 我が家では、階段横にクリスマスツリーを飾る。

Tさんと夫が知り合うきっかけになったのは、夫が大学の日本演劇プログラムに関し寄付金を募っていた時、Tさんが快く援助してくださったことからである。アメリカの大学では当然のことであるが、夫は、長い間多くのポートランド及びオレゴンにある企業に寄付を依頼してきた。しかし、一向に良い返事がもらえないことをいつも憂慮していた。ある年、日本の大手企業から、100ドルつまり約1万円なら寄付できますと言って来た時には、驚いた。個人献金ではないのだ。予算がなければ、日本からの大学教授、芸術家などを招聘し講演や芸術公演もできない。そのような時、Tさんが言われた言葉は今でも忘れられない。
 「私はこの外国の地で仕事をし、生計をたてさせてもらっている。しかし日本人として、日本のことに関しては、何も貢献していない。コミンズ先生は、外国人でありながら、我が国、日本の素晴らしさを一生懸命紹介し、相互の文化理解につとめておられる。私は、そのお手伝いを少しでもできれば嬉しい」と、個人と会社両方で寄付をしてくださった。それ以降ずっと寄付を続けてくださっている。

Tさんの話しは続いた。Tさんの会社経営が成功している要因の一つに、Tさんの従業員に対する良心的態度があるのではないかと思った。アメリカの大企業、中小企業、商店等、どのような企業であっても、アメリカの雇用は厳しく、経営悪化による解雇は容赦ない。朝会社に行くと自分が昨日まで使っていた机がなくなっていたという話しはよく聞く。

Tさんの会社では、この20年間、辞める人が殆どいないそうだ。アメリカでは、中小企業の工場で働く人は、大学を出ていない場合が多い。大学どころか、高校さえ卒業せず中退している人もいる。つまり、アメリカで大学を出ていないということは、農業や工場等のいわゆる第一次産業の職業に従事することになる。給与の低さや労働条件の悪さにも繋がることもある。Tさんの工場で働く人々も、一般的に考えれば、このような条件下で働く可能性もあるはずだ。しかし、従業員がほとんど辞めないということは、労働条件や働く環境がとても良いのだと思う。

その一つの例として、Tさんは従業員への細かな配慮のことを言われた。 「私の会社で働く人たちは、特に若い従業員に中には、100ドルのお金がなくて犯罪に走ってしまうような子もいるんですよ。余計な出費が重なり、来月の家賃が払えない……。100ドルのために一生を棒に振ってしまう可能性のあるような子です。そのようなことが起きないように、私は「社内貸付金制度」を設けたのです。それは給料の前借りではなく、ハッキリした理由があれば、会社からお金を借りることができるのです。そして、その返済方法は、翌月から払える分の『分割で』払い戻せばいいのです」

その他にも、会社の業績が上がり仕事が忙しくなった時、すぐに人員を増やすために新しい人を雇わない。人を増やしても現従業員には何の得も利益もない。また、業績が悪くなり人員が多すぎれば、解雇しなければならなくなる。
 しかし、できる範囲の中であれば、仕事が忙しくなった分を今の従業員の間でがんばって処理してもらう。その分の利益を従業員に還元し、給与を多く払うようにしているとのことであった。従業員が一生懸命働く訳である。

Tさんの話しを聞いて、私は、この会社で働く人たちは、お金で困った時、「社内貸付金」制度を利用し助けてもらい、急場を凌ぐことができている。そして、仕事そのものに関しても、Tさんの従業員に対しての思いやり、優しさ、将来への希望までを十分に感じ取り、一生懸命働いているのではないかと思った。そして、その効果は会社全体の業績にも良い影響を与えているのではないだろうか。

Tさんが夫に言われた「私はこの外国の地で仕事をし、生計をたてさせてもらっている。しかし、日本人として、日本のことに関しては何も貢献していない」という言葉は、信じ難い。
 私は、Tさんがこの20余年の間に「日本人として」残されてきた業績は、とても大きいと思う。瀕死の状態の会社を立派に建て直されたこと。多くの従業員を雇用し、安定した業績で解雇をできるだけしない体制を整えてこられたこと。従業員ばかりでなくその家族に安心した生活を与えていること。地域への貢献もある。

「日本人」が経営する会社の素晴らしさをこの地の多くの人たちに示しておられるのではないだろうか。

Tさんはいつも満面の笑顔で話される。Tさんにお会いする時、私は七福神の中でも、「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす神、唯一日本由来の神である「恵比寿様」を思い出してしまう。

夫も私もTさんご夫妻とお知り合いになれたことを心から嬉しく思い、長年の友好を感謝している。

郊外のワイナリーに出かけた時に見た真っ赤に紅葉した楓の木

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