セネガル通信

第10回 ナショナルデー(その1)

そもそも事の発端は、今年の2月頃の、夫の何気ないせりふである。
 「天皇誕生日に紋付袴で登場しようか!?」

着任後2カ月にも満たないうちに催した、“初めての”《天皇誕生日レセプション》や、年が明けての《在留邦人新年会》を無事に終えて、私たちはほっこりとした気分でのんびりお喋りしていた。
 天皇誕生日レセプションに参加するのは初めてではない。でも今までは、いつも「お客様」でしかなかったから、それはそれは気楽なもんだった。
 けれども、主催者代表となるとそうはいかない。
   お客様にいかに満足していただくか――会場設営はどうするのか、350名もの招待客のためには、いったいどのくらい料理や飲み物を用意すればよいのか、セレモニーはどんなふうに進行するのか等など、着任早々、過去数年間の記録を調べながらの“お勉強”であった。公邸料理人津久井シェフを交えてのミーティングも二度や三度ではなかったのだ。

シェフが素材を切る。公邸スタッフが流れ作業で串に刺す。串カツですけれど、ここはイスラム教徒が多いので羊か牛肉です。

夫の紋付袴発言を、唐突とは思わなかった。第一回目を経験した私は、無事に終えたことに喜び安堵しながらも、何か別のことを考え始めていたからだ。
 大使夫人としての自覚(!?)みたいなものが芽生えたのだろうか。いやそうではない。それは、今までもずっと、海外で暮らしていた時にいつも感じていたことでもある。
 簡単に言ってしまうと、「どうやったら、外国で日本のプレゼンスをアピールできるか」「どうやったら、日本の素晴らしさを伝えることができるか」という思いでもあった。日本人は得てしてシャイだし、おくゆかしさという美点もあるけれど、何もしなければ誰も気づいてくれないのが現実というものだ。だいたい、本当に日本のことを知っている人が、いったい何人いるのだろう!
 日本を知ってもらう方法はいろいろあると思うけれど、まずは視覚に訴えることも大切。絹織物の素晴らしさから伝えよう、と思った。

初夏になって一時帰国した時、私たちはさっそく紋付袴を調達すべく動いた。幸いなことに夫の幼馴染の関根クンは東京藝術大学邦楽科教授で観世流シテ方だ。すぐに呉服屋さんを紹介してくれて、秋の帰国までに誂えてもらうことになった。
 さぁ、大変。
 大使が紋付き袴なのに大使夫人である私が洋装というわけにはいかない。
 私は、桐の箪笥に納まった着物をあれやこれや広げて、ここ何年も袖を通していなかった着物たちに見入った。
 若い頃茶道を熱心にしていたことがあったが、その時に、実家の母にねだって誂えてもらった、まだ仕付けを掛けたままの無地の着物が出てきたりして、ちょっぴり恥じ入った。
 (あぁ、すぐにパリに行ってしまったから、袖を通せなかった、ごめんなさいね)
 中には北原の母の形見もたくさんあり、ふと気付くと、着物を決める作業を忘れて二十年も三十年も前の思い出に浸る・・・至福の時でもあった。

中東のとあるお国のナショナルデー。 セネガルの閣僚と大使が二人でケーキカット。そして、皆の前で嬉しそうに召し上がる(珍しい光景に思わす撮ってしまいました)。

やはり、マミィ(北原の母の呼び名。孫たちが生まれてからは、もっぱら、これ。フランス語の「おばあちゃん」の意)の着物にしよう!

40年近く前、父が駐フランス大使としてパリに住んでいた頃、母がレセプションなどで着ていた、私にとっても思い出深いものがいくつかあり、その中の一つを選ぼうかと思った時、廊下の隅に押しやられていた古い桐箪笥をふと開ける気になった。
 子供たちが赤ちゃんだった頃のおくるみなどと一緒に、古いたとうが出てきた。母の筆跡で1955年、と書かれていた。

ところで、日本の在外公館にとっての最大イヴェントは《天皇誕生日祝賀レセプション》である。
 世界中どこでも、外交団の間では《ナショナルデー》と呼ばれる、それぞれのお国の記念日がある。各国大使館は大きなレセプションを開催し、任地の要人や外交団に自国のお披露目をする。
 ナショナルデーは、「独立記念日」であったり「革命記念日」であったり、それぞれのお国でさまざまであるが、英国は「女王陛下誕生祝賀会」、日本は「天皇陛下誕生祝賀会」がそれに当たる。
 だから、招待される方も万障繰り合わせて出席しようと努力するし、迎えるほうとしては、手抜かりのないようにと必死になりつつも自国の“宣伝”に余念がない。

在セネガル日本大使館としては、初めての試みとして、日本企業紹介コーナーなどを設置した。
 私は、公邸内のあちらこちらに置く花、大きいのから小さなものまで徹底的に赤と白でアレンジしてみた。・・・というとなんだか偉そうに聞こえるけれど、これは、仲良しのオランダ大使夫人から「二人の庭師を雇って、ナショナルデーの頃にオレンジの花が満開になるように庭を作ってもらっているの」と以前聞かされていたのにヒントを得ただけ。
 そして夫は、スピーチ原稿の推敲に去年の10倍くらい時間をさいていた(ような気がする)。

2014年12月9日火曜日18時半。家具が取り除かれて、だだっ広くなったサロンに置かれた金屏風の前に、羽織、袴姿で右手に扇を持った夫と、背中に一つだけ違い鷹の羽紋の入った60年も前の母の訪問着を着た私は立った。
 さぁ、これから21時まで。

左が母の60年前の着物。思いがけず見つけました。実は、35年くらい前に母が着ていた右の着物が、私は大好きでした(彼女はおなじような意匠のを再び誂えたのですね)。箪笥の肥しにはしたくないと、白地のところにしみが目立ってしまったのを機に、何年か前、私はチュニックとインナーに作り変えてしまっていて、ロンドンでのパーティーなどの時に着ていたのでした(去年の天皇誕生日レセプションも)。

私たちの、一年で一番長い夜が始まる。(つづく)

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