ボストン通信ブログ

アラバマ物語

「アラバマ物語 (To Kill a Mockingbird)」とは映画で出会った。中学生のころ、「ローマの休日」ですっかり憧れていたグレゴリー・ペックの映画だったから見たのだと思う。本は、そのあとたまたまフロリダの、2冊目は半額というバーゲンをしていた大きな本屋で見つけた。たいていの本は一度読んだらそれきりのわたしが「アラバマ物語」は3度読み返した。7歳の女の子の視点から描かれる事件と裁判のお話は、声が聞こえてくるような見事さでどんどん読み進める。のちに、著者は初めて出版したこの本でピューリッアー賞を取っていること、出版したのはこれ一冊だけであること、アメリカ中の中学や高校で今でも課題図書になっているにも関わらず、著者は一切公の場に出ることを拒んでいることを知った。2007年にブッシュ大統領から「自由勲章」を受賞したときは、子供のような無邪気な笑顔でブッシュとハグしている著者の写真が大々的に報道された。

そんな彼女の最近を描く「Mockingbird Nextdoor」が去年ベストセラーになり、さっそく入手した。シカゴ・トリビューン紙の記者であったマージャ・ミルズは、ハーパー・リーの最近の様子を書くという使命を受け、アラバマ州の人口数千人というモンロービルに行き、ハーパー・リーと同居する15歳上の姉、アリスと仲良くなり、何度か行き来するうち、隣の家を借りて住むまでになった。その間にハーパー・リーの限られた友達やアリス、本人から聞いた話が書かれている。ともに未婚である姉妹が年を取るにつれ、自分たちにもしものことがあった時、自分たちを知らない人たちまでが「エピソード」を語り始め、事実からほど遠い話が事実として伝えられることを憂慮してミルズに話し始めたという。アラバマ物語で無実の黒人を弁護する父親のアティカスは、ともに弁護士であった父親と姉のアリスがモデルであったことを、わたしはこの本で知った。アラバマの小さな田舎町で、ハーパー・リーと「冷血」や「ティファニーで朝食を」で知られるトルーマン・カポーティが隣同士の幼馴染として育ったというのは知っていたけれども、「冷血」で取り上げられた殺人事件のリサーチをハーパー・リーはカンザス州でカポーティと共に行っていたことや、その後、カポーティがハーパー・リーの母親は精神を病んでいたと発言してからハーパー・リーは二度とカポーティに会うことはなかったといったことは知らなかった。「Mockingbird Nextdoor」の最後の章ではハーパー・リーが2007年に脳卒中を患い、それからは老人介護施設に住んでいること、アリスも100歳を迎えたところから体調を崩して別の施設に住んでいることが書かれている。

何度も読んだにも関わらず、1930年代が舞台になっている「アラバマ物語」が1960年に出版されたことの意味についこの間まで気付かなかった。白人女性のレイプの犯人として無実の黒人が逮捕され、その弁護を引き受けた田舎町の弁護士アティカス・フィンチ自身だけでなく、子供たちまで命の危険にさらされるというこの物語は、人種差別の全面廃止を訴える市民権運動の真っただ中に出版されている。しかも市民権運動の震源地ともいえるアラバマ州が舞台の物語を、アラバマ州で生まれ育った白人の女性が書いたということが、当時、南部でどんな受け取られ方をしたか。さらに公民権法が通過した1964年より2年前に映画が公開されている。その主役を演じたグレゴリー・ペックが、生涯を通して「アティカス・フィンチ」は一番大切な役だったと語っている意味が、今やっと理解できた。

「To Kill a Mockingbird」という題名は、物語の中でアティカスが自分の子供たちに「何も危害を与えることのないモッキングバードを殺すのは過ちだ」と無実の人が命を失うことの不正義を教えた言葉からとられている。「なんだろう」と誰もが思うこの見事な題名が日本では「アラバマ物語」になってしまったことが、とても残念な気がする。

そうして、マージャ・ミルズの「Mockingbird Nextdoor」を夢中になって読んでいるさなか、そのニュースは流れた。ハーパー・リーが50年以上前に書いた小説が今年の7月に出版されるというのだ。「Go Set a Watchman」は「アラバマ物語」の続編だという。実はハーパー・リーが編集者に最初に見せたのがこの作品で、「同じ物語を7歳の女の子の視点から書いてみたら」というアドバイスで「アラバマ物語」は書かれたのだという。だから主人公は20代のスカウトである。姉のアリスといっしょに弁護士事務所で仕事をした、ハーパー・リーの顧問弁護士が最近原稿を見つけて、ハーパー・リーの了解を得て出版に至ったというのが公式発表の内容なのだが、その了解の言葉は紙面で紹介されただけで本人が言ったのかどうかの確認がとれていない。目も耳も不自由な88歳のハーパー・リーは、長く一緒に暮らしていた15歳上の姉のアリスが去年の11月に亡くなったことに大きなショックを受け、葬儀の間、突然大声で話し始めるといった異常な行動を見せていたという。「Mockingbird Nextdoor」にも登場する、ごく少数の限られた友人たちは「ネル (ハーパー・リーの実際の名前、ハーパーはミドルネーム) には出版など重要な決断をする知力はもうないと思う」と言っている。それでも「Go Set a Watchman」はすでにアマゾンでナンバーワン・ベストセラーになってしまっている。読みたい気持ちと、本当にいいんだろうかという気持ちの間で揺れ動いている。

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