ボストン通信ブログ

戦争について

来年の大統領選に備えて両党とも次々と政治家が立候補を発表する中、ISISの勢力拡大でオバマ大統領のこれまでの対策が批判され、地上にも軍隊を送るべきだという論争が広がってきた。アメリカは世界一の大国でありながら、南北戦争以来、自分の国土で戦争を体験していない稀少な存在でもある。第二次世界大戦の体験談にしても、一般の国民は「砂糖が配給制になった」とか「少しでも国の役に立とうと軍需工場に働きに行った」という程度。空襲の中を逃げ惑ったとか、食べるものがなくて餓死者が続出したとか、学校へ行く代わりに軍需工場で働かされたとかいった日本やヨーロッパで起こったことは多分知らないだろうし、想像すらできないだろう。世界を動かす大国の国民が戦争が普通の人々にとってなんなのかを理解していないことにわたしは戦慄する。

軍需工場で働いて戦争に貢献しようというポスター

母方の祖父は将来の世代に戦争というものをきちんと伝えたいという強い信念を持っていて、小学生のころから空襲や疎開の話を聞かされ、テレビで「太平洋戦争」の特集があると必ず見せられた。テレビで見る空襲や原爆の映像や一般市民が語る体験談は、小学生のわたしにはものすごい恐怖だった。原爆記念日や終戦記念日が近づくと、また怖いテレビ番組ばかり見ることになると、心の準備をしていた。

小学校5年生から中学を卒業するまで通った学習塾は、元関東軍の対ソ連スパイで、戦後シベリアに抑留されていた塾長が始めたものだった。私たち生徒に戦争中の体験を語ることはなかったけれど、自分のように国に利用されることがない子供を育てたいと学習塾を始めたと母から聞いた。忘れ物をすると授業後中庭に立たされるといった軍隊式なかなり厳しい規律の塾で、背筋がすっと通った感じの塾長の信念は子供ながらとても尊敬していた。期末試験後にはクイズ大会があって、そんなときには「ステンカラージン」などロシア民謡をロシア語で揚々と歌ってくれた。自分の体験を語らないことで、かえってそれがどんなに大変なものだったのか伝わってきた気がする。

大学でも大の軍国少年だったのが終戦を迎えて自分の誤りに愕然として児童文学を専攻したという教授と「ばっかだなあ。おれは戦争中からこんな戦争に利用されるものかと思ってた」という教育学史の教授の会話を聞いた。だから自分は戦争というものはよくわかっているものだと思っていた。ところが最近、テレビのドラマを見ていて、初めて長崎の原爆の詳細を知った。「死の灰」が人骨だったことや、広島に落とされた原爆と長崎に落とされたものは種類が違っていたこと、つまり日本に落とされた原爆はアメリカにとって実験だったと考えられることなど。原爆直後の長崎や広島の被害状況を見せる写真の多くがアメリカ軍によって処分されたことも知らなかった。

アメリカでは第二次世界大戦はヨーロッパ制覇をめざすナチスや、アジアに違法に勢力を広げようとしていた日本を打ち破るための正義の戦いだったという意識しかない。だから日本に落とされた原爆は、一向に降伏する気配のない日本との戦争を終わらせるための必要悪だったという解釈が圧倒的である。だから原爆を落とした「エノラ・ゲイ」はスミソニアン博物館に堂々と展示されているし、原爆の映像と言ったらキノコ雲くらいしか見せない。広島や長崎の原爆後の映像はいっさいアメリカでみたことはない。

ワシントンのスミソニアン・ミュージアムに展示されているエノラ・ゲイ

第一次イラク戦争のころ、当時40代後半だった知り合いのアメリカ人女性が「アメリカのイラクでの空爆は正確に軍事拠点だけをねらったものだ」という政府発表をうのみにしているのを見て驚いた。見識の高い人で、自分の弟がベトナム戦争に参戦したというのに、である。空爆というのはそんなに正確にできるものではない、絶対に一般市民に被害が出ているというわたしに、「アメリカに対する侮辱だ」と怒りをあらわにした。その後、多くの市民が犠牲になっている映像が発表された時、彼女は愕然としていた。自分の国で戦争が起こっているというのがどういうことなのか、巻き込まれて被害を受けるのはごく普通の人たちだということがまったく理解されない。目の前で家族や友人が死に、自分もいつ死ぬかわからず、子供を守りたいと思ってもそのすべもないというのが親にとってどういうことなのか、わからない。自分も死の恐怖におののき、ときには二度と思い出したくないようなことを生き残るためにしてしまった後悔を一生かかえこむこともわからない。

アメリカなどの特定の国を過去の戦争について糾弾しようというのではない。日本が戦争について語ると、アジア諸国からも即座に批判されるのもわかっている。でも、戦争というのは常に戦勝国の立場から語られるもので、負けた国は黙っているしかないというのは正しくないと思うのだ。「普通のドイツ人だって戦いに行きたかったわけじゃない。行かなかったら処刑されるから行くしかなかったんだけど、それを全然理解してもらえない」とドイツ人の同僚からも聞いた。勝った側にも負けた側にも戦争の残酷さは同じこと。戦争に入る前にほかのすべての方法をさぐるためには、戦争を知るものたちが大きく声をあげるしかない。戦争を自分の国で経験した国民として、原爆を唯一経験した国民として、その記録はぜひ子供や孫、ひ孫の世代にもきちんと伝え、世界に流したいと思う。戦争を始めた政府の立場からではなく、戦争を自分の国土で経験した国民からの声をあげなくてはいけないと思う。

三沢基地で働く息子さんが現地の日本人家族に婿入りしたクリスはこの夏も日本に行く。「ことしは新幹線で京都と広島に行くことにした」という。えーっ、広島に行くの、というわたしに「自分の目でちゃんと見ておきたいの」と言った。ちゃんと聞く耳を持つ人たちもアメリカにはいるのだ。

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