Did you know that?

66. 全米同性結婚合法化に思う-前編

6月26日金曜日早朝、車の中でラジオを聞いていると、
“Now Same Sex Marriage is legal in 50 States”と何度も繰り返し放送されていた。普段、それ程関心のない事柄であっても、
「あ〜、とうとう全米で同性同士の結婚が合法化されたのだ」と不思議な感じがした。放送では、途中でオバマ大統領も演説し、「多くの同性愛者たちは、これから自分たちが誰を愛しているかと問われることもなく、また結婚できるかどうか不確かな状況におかれることなく平等に扱われる。これは、同性愛者やその支援者、そしてアメリカにとっての勝利だ」と讃えていた。

6月29日付け The Wall Street Journal

私は、1987年にアメリカ人男性と結婚しアメリカに住むようになった。当時の私には、同性愛などの関心もなく、女性的男性のことを「オカマ」と呼ぶ程度の知識しかなかった。ところが結婚後、私は急速に「ゲイだ、レズビアンだ」という名称ばかりでなく、同性愛者という性嗜好の違いまで意識を変えさせられた。それは、アメリカに住み始めたということよりも、私のあまりに身近にそのような人たちが数多くいたからだった。

まず、夫の妹がレズビアンだと聞いた時には、驚いた。義妹は、コロンビア大学で地質学の博士号を持つ大学教授だ。大学院生時代から付き合っていた男性とうまくいかず、次第に男性に対し不信感を抱くようになっていったらしい。私が会った最初の相手女性は、とても美しくやさしい感じの女性だった。私が彼女に義妹とのパートナーシップのことを聞いた時、「自分も初めは男性と付き合っていたが、ある時期からレズビアンに変わった。しかし、まだ子供を持つことを諦めきれないで迷っている。今後また男性を愛するかもしれないし、子供を持つかもしれない」というようなことを言った。私は、それでは義妹が可哀想ではないかと思ったが、当時私も長男を産んだばかりで、同感できるような気がした。

その時の言葉通り、1年後二人は別れ、彼女は、その後男性と結婚したということを義妹から聞いた。義妹自身も新しいパートナーをみつけ、その女性と今も一緒だ。

義父の再婚相手の長男もゲイである。サンフランシスコに長く住み、全米のゲイが集まってくるゲイ容認の街で、病院のレントゲン技師として仕事をしていた。仕事も順調で、パートナーにも恵まれていた。しかし、今から15年程前にHIVに感染していることが分かり、その後健康を害し、今は親元に戻って治療を受けながら生活している。エイズが死の感染症であると言う時代は、次第に変わってきたようだ。

夫は、この地方の劇団が日本に関係した公演をする時には、「ドラマターグ(監修)」として、多くの劇団と関わってきた。アメリカでは、ダンサーや芸術関係者にはゲイやレズビアンが多いと聞いてはいたが、本当にゲイの宝庫だった。リック・ヤングと言う演出家は、演劇関係の異端児、リーダー、そしてゲイだった。夫と意気投合し、「羅生門」を始め、いろいろな日本関係の実験的演劇制作に意気込んでいた。

リックは、お寿司が大好きで、私によく手巻き寿司を作ることを頼んだ。そして、毎回ワサビのチューブを半分位使って美味しそうに食べた。そんな彼も私たちを自分の家に招待し、面白い料理を作って食べさせてくれた。彼の家の装飾は、ゲイに関して純粋無垢な私を驚かせるものばかりであった。至る所に私が今まで見たこともないゲイの写真や飾り物があった。「ヒェ〜〜、こんな写真こんなところに飾っていいの?この置物はいったい何〜〜?」と恥ずかしく直視できないものも多かった。その中でも一番驚いたのは、日本の金の縁取りの大きな仏壇の中に、仏像ではなく何処かの日本の人形のようなものが飾ってあったことだ。その上、その側にガラスケースに入った金箔に塗られた頭蓋骨を見たときは、驚愕してしまった!!

立派な仏壇と金箔の頭蓋骨

そんな彼が、夫と私が日本に住んでいた時、日本に行きたいと言って、我が家に1ヶ月滞在することを頼んだ。彼が日本に来たのは、1987年、日本ではエイズ恐怖が日本中を襲い、電車のつり革を触っただけでエイズがうつるというような風評被害があったときだった。私は、彼がエイズに感染しているのではないかと恐怖に怯えた(当時の私には、HIV感染とエイズの区別さえよく分かっていなかった)。リックは、日本の演劇や文化芸術を勉強したい、また歌舞伎を観てみたいという意欲をもっていた。夫は、そんな彼に機会を与え支えるため、宿泊場所を提供した。私は夫に、彼がエイズに感染していないかどうか直接聞いてくれないかと頼んだ。彼の答えは「NO」。つまりHIVには感染していないとのことだった。その答えも半信半疑だったが、それ以上のことは言えなかった。彼は、我が家に1ヶ月滞在した後、京都の友人のスタジオを拠点にし、多くを観、学んでポートランドに帰って行った。帰国後、リックは歌舞伎や日本の文化芸術に影響を受けた作品を次々に演出した。

しかし、1992年春、彼は亡くなった……。エイズだった。彼が日本に来た時、彼は既にHIVに感染していた。私は彼の嘘に腹立ちガッカリしたが、彼が亡くなる直前、夫と私は、最後のお別れに、入院中の彼を見舞いに行った。病室の入り口で、看護士に手をよく洗って入室することを言われた私は、死に際の彼に会って、手を握る?ハグをする?何をすべきか混乱してしまった。
二人目の子供を妊娠中だった私は、我が子を守る義務があると思い、病室に入るのを諦めた……。(67.に続く)

リック・ヤング(中央)と羅生門を演じた仲間たち


白髪のリック・ヤングの髪は鬘で(私は長い間知らなかった)、実は髪の毛は殆どなかった。
彼は、演出家としても有名だったが、コスチュ—ムデザイナーとしても名を馳せていた。
想像力豊かな彼の衣裳は、どの作品でも異彩を放ち、観る人を楽しませてくれた。
この絵は、オランダ人の画家が、リックがなくなった後、彼を忍んで作成したものである。
縦3メートル、横2メートル程の大作で、街の中心にある劇場の壁に今も飾ってある。

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