特別寄稿

「第26回英日・日英翻訳国際会議(IJET-26)」参加報告書

(株)サン・フレア ライフサイエンス事業本部 柳瀬大輔

6月20日から21日にかけて、英国ヨーク市セントジョン大学にて日本翻訳者協会(Japan Association of Translators, JAT)が開催した表記集会(The 26th International Japanese-English Translation Conference, IJET-26)に参加し、またその事前イベント(Pre-IJET events)としてJATの医薬翻訳分科会JATPHARMAが企画した小集会で講演いたしました。聴講・見聞した内容を簡単に報告します。

開催地の英国ヨーク(York)市は、ロンドンから北に特急列車で約2時間、東京からなら仙台の少し手前くらいの距離にあたり、英国教会で第二位の格式を誇る大聖堂や国立鉄道博物館があるほか、ハリー・ポッター映画の舞台のひとつ魔法商店街のロケ地となったことでも知られています。

JATは、主としてフリーランスの翻訳者を対象に技能の向上や活動の支援を目的として1985年に結成された特定非営利活動法人(2001年認可)で、現在会員数は800名を越え、その三分の一が日本国外に在住しているといわれます。IJETはJATが一年交替で国内と国外を往復しながら開催する日英翻訳と通訳についての情報交換会で、今回は130枚ほど準備したチケットが完売(国外開催としてははじめて)となるなど盛会だった模様です。参加者は三分の二くらいが非日本語国民で、日本人男性は私を含めてわずか7名、法務(特許)、医薬、文芸、ゲーム、通訳などの分野で、学術的なものから業界事情や経営戦略に関するものまでさまざまの講演(21セッション)がおこなわれました。

今回特に強い印象をうけたのは、機械翻訳の進出と、その翻訳業に対する影響が現実味を増していることが複数の講演で感じられた点でした(Andy Walker, Assessing the current and future impact of technology on the translator’s professionほか)。機械翻訳の結果を人間が修正する「ポストエディティング」の構想は前世紀に起こったもので、最初は「はじめから人力で翻訳した方がはやい」といわれた機械翻訳の品質が徐々に向上するにつれて実用性を増し、現在では英独や英蘭といった近縁な言語間では結構普及しているといわれます。日本国内でも提供されている機械翻訳サービスのリライトオプションは、ポストエディティングそのものです。

それなりの翻訳技術を持った人が機械翻訳のお膳立て(翻訳メモリの入力)や尻拭い(ポストエディティング)をさせられるのはあまり気持ちのよい話ではありませんが、それでも「文章の読解」は人間にしかできないからそうした仕事があるわけです。しかし、デジタル写真があっけなく銀塩写真を駆逐し、最近まで真剣に検討されなかった癌ワクチンが注目をあつめるなど、「不可能」の文字を嗤うかのような技術の進歩が、ついに文章内容を解読する機械をもたらす日がいずれこないとも限りません。ただそうなる(機械が言語認識能力を持つ)と、人間そのものが不要になる可能性もあるのですが。

翻訳会社で働くひとりとして興味をひかれたのは、Ben Jones (城雲図・勉)氏によるProfessional associations and qualificationsと題した翻訳・通訳の業界団体や技能認定制度についての講演です。まず、翻訳・通訳の業界団体については日英両国とも各10団体以上が多様な分野を代表して活動中とのこと。翻訳・通訳技能に関連する肩書きには認定(certification)、認証(accreditation)、登録(registration)、免許(licensure)などがありますが、日本では通訳案内士のみが国家資格(業務独占資格)であとはすべて民間の技能認定(弊社のTQEにも言及)、英国では翻訳業は無規制。一方オーストラリアでは、国家機関National Accreditation Authority For Translators and Interpreters (オーストラリア翻訳・通訳資格認定機関、NAATI)が翻訳・通訳の検定試験を実施していることは、よく知られています。各国での翻訳・通訳の技能認定をまとめた参考文献をあげておきます(Hlavac J, 2012)。

学術的にというか、趣味的におもしろかったのは、NHKの海外日本語ニュースにも出演していたというSimon Prentis氏がA Fish Called 「魚」: Characters and the Myth of Difficultyとの演題でおこなった、日本語がむずかしいとされる三つの要因を論破する講演です。まず、日本語では「かな・カナ・漢字」の三種類もの文字を使い分けなければならないという点については、アルファベットにも大文字・小文字があり、Gとgなど形態が一致しないものが多いことを指摘。ついで漢字の種類の多さについては、漢字はすべて1716年に成立した康熙字典でリストされた214部首(radicals)のくみあわせなので、無秩序に種類が多いわけでもないと説明しています。最後に表意文字のなじみにくさについては、欧米でもピクトグラムの使用は社会に定着しているし判じ絵(rebus)の伝統もあるなど、漢字やマヤ文字のような一意一字が文字本来の姿という考え方(Language is digital)があることが紹介され、目からウロコが落ちたように感じました。日本語にくらべて英語が簡単かというとそうでもなく、たとえば39の単語にふくまれるoughは、though, through, rough, cough, thought, bough と六通りに発音することが英語のとっつきにくさの原因の例としてあげられました。

その他、興味をひかれた講演をリストしておきます。
Bob Cook: The Battle of Kohima
Ed Zanders: Translation and the Pharmaceutical Industry
Andrew Meehan: Interpreting at the Olympics & Translation work at the Olympics
Neelu Kaur: Keep your spoken Japanese alive and thriving(and boost your translation speed too!)

最後に、19日の事前イベントで Biomedical Translation: Lump It? Like It! と題しておこなった講演について概略と顛末を述べます。私にとってJATPHARMAでは3回目となるこの講演の内容は、日本人が日英翻訳をする場合、原文の字句ではなく内容を英訳するようこころがけること、また専門的な内容を十分把握した上で翻訳することの重要性を実例に基づいて説明するもので、なじみのない内容の具体的なイメージを把握するためには、インターネットから入手した模式図が役にたつ、と助言しました。20人あまりの聴衆の反応はおおむね好意的なものでしたが、あるアメリカ人の参加者から「日本国内には英語らしい英語に訳すことを好まない顧客もいる」との経験談が紹介され、「それでも正しい英文を提示することが翻訳者の責務だ」と私が反論すると、他の参加者も次々と意見をのべ、ひととき翻訳の主体性をめぐって活発な議論が交わされました。出された意見には、翻訳者は技術者なのだから、自分で最良と判断できる翻訳を提供すべきだ、など私の主張にかさなるものが多く、くだんのアメリカ人からも非英語国民として可能な限り自然な英語表現をめざす私の努力を評価していただき、安心した次第です。

その「技術者」としての翻訳者の立場ですが、先にのべた演者Andy Walker氏によると、本来翻訳とは文学者が文学作品を、天文学者が天文学書を翻訳するように学者の専門分野の仕事だったはずで、言語能力はあるが専門的背景知識のない素人(amateurs)による翻訳が職業として独立したのは案外最近のことと指摘。それも決して安定したものではなく、低料金、短納期、依頼件数の低迷、不十分な作業環境、低品質格安翻訳の氾濫と受容、翻訳メモリー割引(TM discounts)やポストエディティングの受容など機械翻訳への適応といった要因が、今後十年個人翻訳業を圧迫すると予測し、インターネットやコンピュータに代表されるテクノロジーに順応していくことは必須、とむすんでいます。

そんな時代、翻訳者として誇りと自信を保つために読んでおきたい本を会場でみつけたので、ご紹介します。書名は 101 Things a Translator Needs to Know。18名の翻訳者が結成した the WordLink Forum (WLF) Think Tank が2014年に出版したもので、アマゾンでも購入できます。内容はフリーランスの翻訳者を対象とした101の助言で、いくつか章のタイトルをあげると:Translators don’t translate words—they translate meaning (読んで字のごとし); Turning junk into gems (よい翻訳は原文よりも文章の品質が高い); The worm has to taste good for the fish, not for the angler (読み手のための翻訳) など、おもわず膝を打つようなものばかりです。

参加するたびにあらたな発見があるIJET、面白い話もこわい話も聞くことができ、また休憩時間には立ち止まるたびに誰かから声がかかって会話がはじまるなど、参加者間できわめて活発な交流があり、おなじ立場の者同士、翻訳の楽しみや苦労をこころゆくまで語り合う貴重な機会となりました。次回のIJET-27は2016年6月18/19日に仙台で開催されるとのこと、いまから楽しみです。

このサイトは翻訳学校サン・フレア アカデミーの運営です。

PAGETOP