セネガル通信

第19回 遠い道(その2)

セネガルと北の隣国モーリタニアとの間にはセネガル川が流れている。その河口に位置するサンルイ市を初めて訪れたのは、ダカール生活半年目くらい、2014年3月1日のことだった。
 乾季の真っただ中である。
 ダカールが、アルマッタンというサハラの“砂嵐”に見舞われたのが、その数日前のことだった。
 灰色の低い空もまだそのままで、床から机からすべてがざらついて一日に何度も拭き掃除をしなければならない現実は、“主婦心”をも砂まみれにし、ちょっぴり暗澹とさせたが、国道を走りながら、世界遺産でもあるサンルイ市に行かれるのだということで、私の心は陽気さを取り戻していた。

国道2号線沿い 車窓から

人口約30万のティエス市(ダカールから東70km)を過ぎると、あとは国道2号線をひたすら北上するだけ。常緑のマンゴーの林が終わり、景色は行けども行けども乾いた大地にほこりにまみれた灌木と、林とはいえない程度の名も知れぬ木々の集まりとなった。
 その中には水分の蒸発を防ぐためなのか、葉をできるだけ落としてしまった貧相なものが何本もあった。
 まるで枯れて死んでしまったような細い枝だ。その、栄養失調のような細い枝に黒い花が、風に吹かれて揺れていた。
 さすがアフリカだ。珍しい花が咲く…

国道2号線沿い 車窓から

はじめは本当にそう信じていた。 しかし、道路沿いの、ほんの数メートル先の木に同じようなふわっとした黒い“花”を見た時、私の心は押しつぶされそうになった。
 プラスティックの黒い袋…
 なんとも後味の悪い光景に、私は窓外の景色を眺める勇気を失った。

国道2号線沿い 車窓から

これが、アフリカの現実である。  実際、このプラスティック袋は、以前からアフリカ大陸では“有名”だったらしい。
 アフリカ百戦錬磨の夫にとっては、アフリカにおけるプラスティック袋の問題はさほど珍しくもなく、「どこの国も困ってる」と車窓の光景を見ながらさめたように言っていたが、本当に困っているのは、その光景を目にする先進国人で、もしかしたら、現地の人々はさほど危機感をいだいていないのかもしれない。
 それが証拠に、どこの集落にも、家をちょっと離れたところにゴミ捨て場があり、そこにはありとあらゆる不用品が打ち捨てられている。黒だけでなく、ブルーや白や、プラスティック袋の多さにも辟易した。
 ごくたまに、ゴミを焼いたような跡もあったが、ほとんどが、「ただ自分たちの目の前からは見えなくした」というだけであり、「土地はまだまだあるわ」という村人の声が聞こえそうな気がした。
 わりと清潔好き(と言われている)なセネガル人の、きれいに掃き清められた村の入り口を国道沿いにたくさん見ることができるので、このギャップはなんとも理解しがたい。

国道2号線沿い 車窓から

アフリカのいくつかの国が、プラスティック袋の使用禁止を決め、セネガルでもその法律が最近通った。
 しかし、元凶は黒い袋だけではないのであって、根本的にゴミに対する考え方やシステムを変えなければ、ここまできてしまった現状をなかなか好転させられないのではないか、と私は思った。
 しかし、一体どうやったら、突然21世紀生活が始まってしまった人々に対して、「地球環境、ひいては人類のためにゴミをなくしましょう」などと説明することができるのだろう。 

ダカール中央魚市場 早朝から小売商のおばさんたちが、所せまく立ち並ぶ。


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裏庭の穴から始まって、夢の島、ダイオキシン、分別、リサイクル法…とさまざまな経験から得た、日本のごみ処理の知恵をこの国で生かす方法はないだろうか。
 せめて焼却炉でもプレゼントしたら? とも考えたが、夫は言下に「ハイレベルの機械をあげても使いこなせない」と否定した。
 確かに。

ただ一つ稼働している製氷機からアイスキャンデーのおばけのような氷がごとんごとんと出来上がる。


 ダカール中央魚市場のために日本が寄付した何台かの製氷機も、壊れたまま修理もされておらず、実際に使えるのは一台だけ(と見学した際に知った)という淋しい状況を思い出した。

話がそれてしまった。

本音を言えば「せめてダカール市には焼却炉を」「焼却炉を操作、修理、維持できる人を育てよう」ということなのだが、こういった行政を巻き込むような方策は私ひとりでできることではない。

やっぱり、まずは“都会人”たるダカールの人々の意識改革だな、と私は思った。

ゴミとか廃棄物とか、ましてや有害物質だとか地球環境だとか、そういった観念があまり発達していないセネガルの人々に ―― 当たり前だ。ことに農村部では最近まで彼らが捨てるものは、例えば生ごみなら家畜の餌になり、ゆくゆくは自然に還るものだったのだし、紙ごみが出るより前に、学校のためのノートがほしい人たちだったし ―― 少しでも私の経験を伝えたいと思った。

説明不要? 焼却炉

そんなこんなを考えていた頃、駐セネガル米国大使が、サンルイとダカール間の一部、百数十キロメートルを4日かけて走りぬくという《ゴミなくそうマラソンキャンペーン》を行った。
 「わぁ、先を越されてしまったぁ」と、ちょっぴり“嫉妬”しつつ、私も私なりの方法でやるしかない、との思いを強くして始めたのが《公邸内ゴミ処理プロジェクト》だ。
 まずは、不要になった家庭用焼却炉(これもドラム缶!)を譲り受け、公邸の駐車場の隅っこに置くとともに、「燃やすごみ」と「持って行ってもらうゴミ」の選別を行うために、室内各所にゴミ箱を二つずつ置いた。
 またマダムが変なこと言ってるぞ、という感じで最初はきょとんとしていた公邸スタッフたちに、根気よくその理由を説明した。
 「ダカールのゴミを少しでも減らしましょう。こちらのゴミ箱に入れたものはすべて燃やしてください。特にこれらの紙ゴミの上には個人情報もたくさん書かれています。絶対に公邸の外には出さないでください。」(つづく)

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