Did you know that?

70. 「仮名手本忠臣蔵」公演を終えて−①

夫から、来年「忠臣蔵」の公演をしたいと言われた時には、正直「なんであのような暗〜い話、『切腹と仇討ち』をアメリカの大学で公演しなくちゃならないの?そんな日本の武士道の話なんて、アメリカ人に理解できるの?」と思った。

私の夫は、30数年ポートランド州立大学で日本伝統芸能の実技を教えている。当初は能、狂言が主であったが、1994年ぐらいから歌舞伎を取り入れるようになった。この授業では、学期末の試験に実技を一般公開し、公演する。最近の最も大きな公演は、2010年、別の大学から招聘を受け公演を行った、三島由紀夫の「鰯売り恋の引き網」である。この話は、歌舞伎役者中村勘三郎の十八番であった。ユーモアたっぷりの喜劇で、アメリカ人にも分かりやすく、9回の公演は大成功だった。(参照:32.アメリカ学生歌舞伎が伝えてくれたもの(前半/後半))

《夫の夢》
 夫の長年の夢は、「仮名手本忠臣蔵」を自分の大学で公演する事だった。夫は、ニューヨークに住んでいた大学院生時代、ハワイ大学が巡業でニューヨーク公演を行なった、英語による「仮名手本忠臣蔵」を観た。ハワイ大学の学生たちによるこの公演は、当時日本文学や日本伝統芸能の博士課程にいた夫の心を大いに揺さぶり、自分も大学で教えるなら、いつかこのような大掛かりの公演を演出してみたいと思ったようだ。

しかし、夫が勤務する大学では、夫がこの大学で職を得て以来、演劇学部でアジアの劇は、単発公演以外、学部の学期としての2〜3週間長期公演はできなかった。
「えっ?どうしてアジアの劇を演劇学部で学生は演じないの?」

この大学で長い間学部長だった教授が、アジア演劇が嫌いだったのか。演劇学部では、大劇場でのアジア演劇長期公演はしない、させたくないという偏見があったのか、それが学部内で暗黙の了解となっていたようだった。何十年もの間、演目は、ヨーロッパかアメリカのものだけ上演されてきた。夫がどのように歌舞伎が素晴らしいか説得しても、大学の大劇場で公演させてほしいと懇願しても許してはくれなかった。
30年も!

5年程前に古い体質の演劇学部上層部が退職し、新しい学部長が就任した。夫は、この時、この学部長を説き伏せなければ、自分の夢はけっして引退まで叶わないだろうと思った。幸いこの新部長はリベラルで、アジアの演劇にも寛大で、自分でも就任後インド劇を公演していた。

夫は動き始めた。今ならどうにか夢を実現できると。私の意見などお構いなしだ。
「とにかく、この忠臣蔵は絶対にアメリカ人を魅了する。信じてどうにか一緒にやってほしい」

この「仮名手本忠臣蔵」のアメリカの大学での公演は、ハワイ大学公演後36年間、どの大学でも公演されたことがない。この劇を公演するために、多くの学生を集め、それを指導できるような人はいなかった。そして最も大きな原因は、このような大掛かりな劇を作り上げるには、まとまった資金が必要だったからだ。

夫は、まず資金づくりを始めた。いろいろなところから寄付を募ることである。幸い The United States-Japan Foundation of New York から、大きな寄付を受けることができるようになった。大学の演劇であっても、衣装から舞台づくりにはお金がかかる。専門家を雇わなければならないこともある。資金は揃った!

公演のプログラム。写真は、資金繰りの目処がつき、翌年の公演が決まった後、広告とプログラムの為に写した。夫は松の廊下の塩冶判官(Paolo)と高野師直(Benjamin)だけの場面を考えていた。しかし私は、「女性が入り、色恋沙汰が見える方が、広告としてアピールする」と、急遽夫の大学院の学生、伸子さんに判官の奥方役として入ってもらった。

《衣装をどうするか》
 この忠臣蔵公演では、夫は、あくまで歌舞伎座の演目に近いものを目指していた。もちろん歌舞伎座と同じようにすることは不可能である。歌舞伎座の8時間の「忠臣蔵」を演じることも観客動員も全く無理である。
 また役者の衣装や鬘だって、歌舞伎座のような本物は何もないし、本格的な60役80衣装を、いったいどのようにすれば揃えることができるの?

《衣装を借りる》
 夫は、University of Hawaii(ハワイ大学)が1979年に公演したときの衣装が、演劇学部の衣装部屋に保管されていることを確認した。36年間全く衣装部屋から出されることも使われることのなかった衣裳?を借りるというのだ。どのような保存状態か全く見当もつかない。しかし、この衣装しか忠臣蔵に使える衣装はない。作るには高度の技術と莫大な費用と時間がかかる。夫は、それらがどのような状態であってもそれを借り、できるだけ使える状態にして使うと決めた。

昨年5月、夫と私は、衣装を借りるためにハワイ大学を訪れた。衣装は思ったより状態がよく、主役級の独特の衣装の多くが使えることが分かった。私は、これらの衣装は、公演にあわせて36年前にハワイ大学が作ったと思っていた。しかし、衣装は、歌舞伎座の衣装部、つまり「松竹」が「忠臣蔵」の為に作ったものだったことが分かった。

ハワイ大学の衣装倉庫の中。大きなコンテナのような物なので、ちょっと驚いた。外においてあり、出入りの度に風や埃も入ってくるようなので長期に保存するのには適していないのではないかと思った。

「大紋」と言う上着と長袴で3.5メートルぐらいある。

想像するに、ハワイ大学は、歌舞伎座で長年使って古くなった「忠臣蔵」の衣装を歌舞伎座から譲り受け使用したのではないか。なぜなら歌舞伎座公演の忠臣蔵の写真を見ると、ハワイ大学で使った衣装と模様が殆ど同じだからである。

損傷がひどく、また汚れて使えない衣装も数多くあった。しかし、どうにか借りられるものは借りていこうと決め、スーツケース4個分、飛行機で持ち帰れる分を持ち帰り、郵便で段ボール1個分を別送した。260パウンド(約120キログラム)の衣装が揃った。

36年前のシミと汚れは取れそうになく、借りるかどうか迷った判官切腹の為の袴

次々と借りる衣装をきめていった。

持ち帰った衣装は、36年間環境の良くない状態で保管され、破損しそうなものもあった。また、カビと埃の匂いがひどく、そのままでは着せられたものではない。夏の間、我が家の庭で虫干しとなった。

全ての衣装は、長年倉庫にしまわれていた匂いを消す為に、我が家の庭で虫干しした。掛ける場所がないので庭中の木に吊るした。

《オーディション危機》
 衣装の目処は少しついた。
「仮名手本忠臣蔵」は、歌舞伎座でも最も長時間の出し物で、8時間もの公演である。

夫は、この公演を2時間45分に短縮した。しかし、それでも60役があり、最低でも45人の役者が必要だった。この人数を集められるだろうか?オーディションは、3日間行なうワークショップに参加した人だけが受けられる。ワークショップで習ったことをオーディションで演じてみせることによって、配役を決めるからである。

オーディションは、昨年11月末に行なわれたが、初めの2日間では、30人程しか集まらず、もし最終日に人が来なければ、どんなに資金があっても役者が揃わない公演などあり得ない。夫と私は、3日目にワークショップを受けにくる学生など殆どいないのではないかと、二人して撃ちひしがれながら半分諦めかけていた。

オーディションを受ける為のワークショップ3日目、演劇学部の学生を含め、たくさんの学生が来てくれ、夫と私はホッとした。

オーディションで台詞の演技をするColinとMichael。2人の演技は群を抜いて素晴らしく、Colinは主役の大星由良之助、Michaelは道化役の伴内に選ばれた。

しかし、最終日、驚いたことに演劇学部を含めた25名の学生がワークショップを受けにきた。「アジアもの?」と、全く乗り気でなかった演劇学部の学生たちに、夫の授業をよく受けていた一人の学生Michael Thompsonが働きかけ、
 「コミンズ教授のこの劇は、絶対面白いし、将来絶対役立つ!!」
 とワークショップにいくことを説得してくれたのだった。
その翌週行なわれたオーディションでは、7人の審査委員のもと55名の中から45名を選んだ。

「仮名手本忠臣蔵」公演を終えて−②につづく

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 このエッセイを書き始めてしばらくして、熊本大地震がありました。私の実家は熊本市内で、大被害のあった益城町から車で20分、阿蘇地方まで40分のところにあります。
当初は家族のことが心配で、何も手につかない状態がしばらく続きました。震源地から少し離れていた為か家も崩壊せず、老父母を抱えた家族全員が怪我もなかったことに、安堵しました。
しかし、県全体の被害は甚大で、大好きな熊本城、何度も温泉に行く時渡った阿蘇大橋が壊れたことは心痛むことでした。まだまだ余震が続いていますし、ニュースなどには出てこないところにも大きな被害が出て苦労されている方達も多いと聞いています。
被害にあわれた方々に、心からお見舞い申しあげますと共に、県全体(大分を含め)の一日も早い復興を願っています。


*写真提供:今井寿納、Larry Kominz、田中寿美

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