Did you know that?

71. 「仮名手本忠臣蔵」公演を終えて−②

公演は、2月25日から3月5日まで8回。準備期間はわずか7週間だった。

《リハーサル》
 1月初めから本格的練習が始まった。主役に抜擢された学生、Colin Kaneは、演劇学部でも、シェークスピアからコメディまで演じてきた優秀な22歳の学生だ。大石内蔵助(大星由良助—歌舞伎上の名前)役をえた12月、
「僕は、冬休みの間に、全ての台詞を覚えてきます」と約束した。1月練習初めには、もう役になり切っていた。

練習は、月曜日から金曜日までは夜7時から10時半まで。土曜日にも練習はある。学生は自分の出る場の練習時間に合わせてくればよい。しかし、夫とステージマネジャー(学生のMelissa Lamore)は、すべての練習に行かなければならない。私は一日中衣装作りの準備をした後、殆どの練習に行った。

全員、浴衣を来て練習する。我が家にあるほとんど全ての浴衣を利用し、着物で演技をする感覚を覚えてもらった。花魁の”おかる”役Talynと兄の平衛門役Colby。

《アメリカ人をどのように江戸時代の日本人にするか?》
 日本人でも役者でない限り、江戸時代の日本人役を演じるのは難しい。アメリカ人、それも日本のことをほとんど何も知らない学生たちを、どうすれば7週間で江戸期の武士や日本人になり切らせるか?

練習用として使える長袴は1つしかなかった。最も動きの激しい若狭之助役のKhaymanと師直役のDevon。

夫は必死だった(夫だってアメリカ人だ!)。しかし、歌舞伎のイヤフォンガイドを長年作っている夫は、歌舞伎研究家だ。「歌舞伎気違い」「歌舞伎オタク」だ!役一人一人の歌舞伎の型と台詞を徹底的に覚え込み、学生に教えていった。私は女性役の細かい動き、作法や仕草を直した。

やればできる!
 中腰で、摺り足で歩くことさえままならなかった学生たちは、夫の指導を熱心に聞き、忠実に従い、何度も何度も難しい動きを練習し、次第にその役になっていった。その努力と熱心さには、本当に感心し、頭が下がる思いだった。

討ち入りの場面の舞台練習で指示を待つ学生たち。

《NHKの取材》
 練習も半ばまで進んだ頃だった。忠臣蔵の準備のことをよくしっている私の日本人の友人打矢蓉子さんが、
 「NHKのロス支局の人たちが、他の取材で、来週ポートランドに来られるらしいの。寿美さん、今あなたたちが準備している『忠臣蔵』のこともついでに取材していただきましょうよ。こっちの方が取材としては、絶対素晴らしいし面白いと思うのよ。私が交渉してあげるわ」

蓉子さんは、学生の練習を直に見て感動し、是非NHKに取材してもらい、日本の人たちに「アメリカの大学生たちが、日本の難しい歌舞伎をこれほど一生懸命練習し、頑張っているということを知ってほしい」と思ったそうだ。翌週、蓉子さんはNHKの方たち3人を我が家まで連れてこられた。

話しによると、NHKの方たちは、初め、
 「アメリカの大学の学生がやる日本の劇?忠臣蔵?どうせ学芸会程度のものでしょう。取材の価値があるかどうか疑問だ」
と渋ったらしい。それを、「一度話だけでも聞いてみてはいかがか」と説得し、約束の時間に一時間遅れで、どうにか我が家に連れてきてくれた。

NHKの方たちは、歌舞伎についてもよく知らないし、『忠臣蔵』自体にも興味をもったことが無いとのことだった。しかし、夫の話やこれまで夫がやってきた学生歌舞伎のDVDを観て、「これは良い話題になるかもしれない」と思われたのだろう。最終日には、夫の恩師であるドナルド・キーン先生も日本からこの忠臣蔵公演の為に来られることを知って、公演自体はたいしたことがなくても、話題性は十分あるかもしれないと、半信半疑、翌日から3日間の練習の取材を申し込まれた。

実際の練習をみて、NHKの方たちは驚かれた!!
 アメリカ人の学生がここまでやれるのか。取材は3日間、夜の練習が始まるとカメラを廻しながら熱心に練習風景を写された。また練習が終わった後、主役、準主役の学生たちには夜中11時半まで、インタヴューをする熱心さだった。夫も私も驚いた……。

深夜までかかってNHKのインタヴューを受ける夫と主役、大星由良之助役のColin。

結局、「最終日には、キーン先生も来られるので、自分たちも千秋楽を取材しに来たい。前日、LAからポートランド入りするので、キーン先生がポートランドの空港に到着されるところから取材させてくれるようお願いしてほしい。また、2日間の舞台も録画することを許可してほしい。」との依頼だった。
 初めの「たかが学生の学芸会ではないか?」はどうしちゃったのだろう?

しかし、夫と私は、「アメリカ人であるこの学生たちの頑張りと素晴らしさを、できるだけ多くの日本の方々に知っていただけるなら……」とNHKの申し出を快諾した。

《衣装総責任者として》
 夫の学生公演の衣装係を何年もやってきた私が、この公演の「衣装総責任者」となった。大学には演劇学部があり、学部にはコスチュームデザイナーと言う教授がいる。それを差し置いて、私がこの公演のコスチュームデザイナーの大役をとる訳だ。彼女にとって面白くないかもしれない。

この公演は、大学の授業の一環で、学生はこの授業を受け単位を取る。また大学側もコスチュームデザイナー教授は、授業として何か教えなければならない。この教授は鬘、烏帽子、そして人間が入る大きさの猪を作ることを申し出た。夫は、特徴のあるちょっと難しい鬘を作ることをお願いした。
 教授は張り切った。「宴会用ゴム鬘」を利用して、私が長年作ってきた侍鬘、日本髪鬘の技法など無視。「I’ll teach my students how to make Japanese wigs from scratch!—私は学生たちに、鬘を全て自分たちの手作りでするように教えるわ!」と張り切った!

主役級の衣装は、ハワイ大学から借りることができた。しかし、揃ってない衣装もたくさんある。45名の学生、60役だが、一人の役で2衣装から多い人は4衣装を着替えるので、総衣装数は80を越える。それを準備しなければならない。
 私は、友人たち、東京から手伝いにきてくれた妹と毎日準備に明け暮れた。着物は表着だけでは、どうにもならない。80役の着物を着せるには、紐さえ少なくとも200本ぐらいいる。下着から小物、侍や女給の鬘づくりなど休む間もなく働いた。

大学のコスチュームショップで手伝ってくれている私の友人たち。骨身惜しまず私の両腕となって働いてくれた。

《コスチューム教授との葛藤》
 公演10日程前に。教授が指導した手作り鬘ができ上がってきた……。
 「使えない!」

どうしても使えない!苦悩……。
 作った学生たちに申し訳ない。しかし、自信満々だった教授がどうしてこのような鬘作りを指導したのか?
 着物に合わせられない……。
 私は、心を鬼にして言った。
 「申し訳ないけれど、これらの鬘は使えません」
 教授は答えた。
 「Just a Students’ Recital! たかが学生の演劇ではないか?この生徒たちの作品は、私は“A”をあげるつもりだ」
 私は、
「あなたの成績が何であっても構いません。しかし、学生の公演であっても、入場料を取ります。私は、この公演の衣装責任者として、最高のものを見せる義務があると思っています。私の着物の衣装にこの鬘はどうしても使えません」
 この教授との確執はしばらく私を悩ませた。そして、怒っている教授に対して精一杯の妥協点をみつけ、納得はできなかったけれど、鬘を2つ使った……(後で、あの鬘は変だったと指摘された)。

女性の宴会用ゴムカツラにウィッグ用ポリエステルの髪を縫い付け、これをそれぞれの形に結い上げる−−−(顔世御前、おかる、女給たち)。女性用の鬘には、たくさんの髪を縫い付けるが、その作業はとても大変で、私の友人たちは多いに苦労した。

教授が指導してでき上がった鬘。頭にフィットしないので左の方はゴムがついている。

鬘は作り替えたものも含め40個。特別役の鬘も揃った。鬘置きの頭部には、各学生の名前がピンで留めてある。激しい動きの役の鬘は、毎日手直しし、乱れがないように気をつけた。床は、着物一式が入った風呂敷を広げ着付けるため、一面に紙を敷き、土足禁止「NO SHOES」と書いた。

公演の初日は否応なく迫ってきていた。鬘を作り直さなければならない。幸い、私の手伝いにきてくれていた亜沙美さんと言う元保育園の先生だった友人が、頑張ってくれた。既に作っていた鬘も作り直した。40人分!!

《頑張る学生たち》
 この忠臣蔵は、夫の長年の念願ではあったが、大学の学生たちの英語歌舞伎である。そして、その学生たちのそれぞれの頑張りなしには、成り立たないないものだった。主役級学生たちの役づくりはもちろんのこと、一人2〜4つの端役を受け持った学生も、指導に従い一生懸練習した。自分の空き時間全てを忠臣蔵に捧げる学生もいた。Rei•••。彼女は、第7場の振り付けを考え、戦いの場の指導者でもあった。武道家であるPatrickと振り付け、戦いの場を指導するばかりでなく、一力茶屋の大きな暖簾を作り、歌舞伎座の緞帳を真似た黒、橙、緑の3色のカーテン作りも、毎晩の練習後夜中にかけて作った。その労力を惜しまない頑張りには、頭が下がるばかりであった。

日本舞踊の指導には、夫の元学生で日本舞踊の名取りである原貴子さんが、ご主人の仕事の関係でポートランドに引っ越して来られていたので、お願いした。日本舞踊など踊ったこともない学生たちは、熱心に指導を受け練習に励み、短期間で習い素晴らしい踊りを披露した。貴子さんのお嬢さんのいつかちゃんも茶屋娘の見習い役で出演し、一緒に踊り拍手喝采をうけた。

《山のような見えない仕事》
 公演10日前になると、私の生活は「忠臣蔵」だけだった。忠臣蔵の衣装以外のことは何も考えられなかったし、何もしなかった。幸い東京から手伝いにきてくれていた妹が、泊まり客が常時2、3人いた我が家の食事など準備してくれた。しかし妹も私と一緒に大学で衣裳の準備に忙しかった。

私の仕事は、衣装係として、例えば、歌舞伎座の関係者がみても「おかしい」、「変だ」と思われないようにすることだった。そして、何よりもアメリカ人、またアメリカに住む日本人観客たちに、より本物に近いもの(絶対に“無理”だとは分かっていても)を見せたかった。細かいところにもこだわった。そして、演技と共に衣装を見て楽しんでほしかった。

まず、アイロンがけだ。ハワイから持って借りてきた衣裳はほとんど見るも無惨なシワシワで、着物にアイロンをかけるのに数日かかった。つぎに、汚れやシミ、綻びを直していった。着物の襟、裾、袖、裏地などなど、着物の隅々にも美しく見えるよう布を継ぎ足していった。勘平の妻で、勘平と踊る「おかる」役の衣装は、原宿の古着屋で、5千円の振り袖を買ってきた。裏地をつけ、裾にふき綿を2本つけ、袖口に飾りをつけた。一力茶屋の女給たちの黒い帯は、これも古着屋で、「葬式用」黒の名古屋帯を1本千円で6本買った。それを解き崩して、「文庫帯」に作り直した。数少ない忠臣蔵の写真と“にらめっこ!”大紋の下の着物は何を着せるのか?裾部分はどうなっているのか?だ〜れも教えてはくれない。

自宅にあるほとんど全ての紋付の着物や袴、角帯、足袋など出演者45名、80役の衣装を揃えた。これらの衣装は、風呂敷を65枚作り、各学生の名前と役者名を書いたカードをピンで風呂敷に留めた。

「さあ、衣装も全て準備できた!」本番だ〜〜!

歌舞伎座の人の話しによると、
 「忠臣蔵の公演があると、本当に大変だ!!出演者も多いが、それぞれの衣装から刀、小道具が計り知れなく多いので、裏方はごった返して収受がつかない程忙しくなる」とのことだった。

この間、夫の演技指導、学生たちの舞台作り、照明デザインなど着々と進んでいった。

さあ、ドレスリハーサル2回、そして2週間に渡る本番の公演8回が目の前だ!!

「仮名手本忠臣蔵」公演を終えて−③に続く


*写真提供:今井寿納、Min Ngo、田中寿美

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