セネガル通信

第24回 森と林のものがたり(その3)

私は女性である。(今更言わずもがなだが)
 以前、世界展開する某NGOの日本での立ち上げから10年間、ボランティアとして人道援助活動に関わった。
 だからというわけでもないのだが、21世紀には、真の意味で、女性やNGOの活躍を期待している。その目的はひとつ。
 人が人としてまっとうな生をおくれる世の中を作る、ということである。

カザマンス地方で出会った数十人の方々うちにも、女性やNGO関係者が少なからずいた。
 《プラットフォーム》代表の女史は、カザマンスの女性組織がどのように作り上げられたのかを説明しながら、平和へのプロセスにいかに女性たちが関わっているかを熱く語った。
 セネガルの中でも、識字率が高いカザマンスならではの組織力もあるのだろうが、それに加え、植民地時代の1940年代初頭にレジスタンスとしてカリスマ的に大活躍し、流罪の地で若くして亡くなった、ジエッタ(アフリカのジャンヌダルクと呼ばれている!)が生まれた土地ならではの女性の力。

プラットフォームの事務所内の壁にたくさん展示されている写真やパネルから。白いスカーフと服の、たくましいおばちゃま・・・カザマンスの典型的な女性のタイプかもしれません。

ここは、昔から、漁業においても農業(米作)においても、女性たちが大活躍する地域です。だから経済的にも豊かになれたのだし……。
 夫や息子を奪われる紛争なんて、もうたくさん!と、女たちは平和のためにはいつでも団結するのですよ……。

プラットフォーム代表の話を聞きながら、私は、公邸スタッフたちのお母さんのような存在であるカロリーヌさんの、まさに、“包容力たっぷり”の姿を思い出していた。

また、《ハンディキャップインターナショナル》の活躍にも感銘を受けた。
 地道な地雷原調査。そして除去作業。

カザマンス川河口。マングローブの林。この写真は、行きの飛行機から写したものです。

 5万平方メートル(畑と思えばそれなりに広いけれど、カザマンス地方全体からしたら、ほんのわずか!)の土地の地雷を除去するには、機材人材が十分整っていたとしても1か月を要し、10万から25万ドルの費用を必要とするのだそうだ。
 どこに埋まっているのか、どこは安全なのか……。撤去はどの程度進んでいるのか、どういった手法で作業を行うのか……。
 こういった質問に淀みなく答えが返るのは、長年現場で地道な活動をしてきた者たちだけにできることだ。その解説にはとても重みがあり、また作業の困難さを思うとため息をつきたくもなったが、活動の詳細を生き生きと語る彼らの姿はとても素敵で、本当に瞳がきらきらしていた。
 ほかならぬ彼らの、蓄積した多くの調査資料は、カザマンスを平和な土地に戻すための貴重なデータである。
 そして、地雷探知犬の活躍の話を聞いた時には、しばしばパリの空港で目にする“お仕事犬”(麻薬探知犬とか爆発物探知犬)や、東京の街で見かける盲導犬のりりしさが思い出された。無類の犬好きとしては、たまらない!

ところで、今回出張旅行の最初の2日間は州都ジガンショールではなく、カップ・スキリングに宿をとった。カザマンス川の河口デルタ地帯の南のほうに位置する、ギニアビサウ国境に近い小さな村だ。

稲作地。日本の田圃の区割りよりも小さい四角が並んでいました。

 カザマンスはセネガルでも代表的な米どころだから湿地帯の少し手前まで稲作用地が広がっている。
 湿地帯に入れば、辺りは一面マングローブの林になって、美しい景観と豊かな漁場を提供する。
 ところが漁民たちは、魚や貝を干すための棚作りにマングローブをどんどん伐採してしまうのだそうだ。だから、一生懸命植林もするけれど、間に合わない。

マングローブの枝で組まれた棚で魚や貝を干します。燻製などを作る掘っ立て小屋もありましたが、働いでいる人はほとんど見かけず。

 内陸の森は森で――本来、“聖なる森”には入ってはいけないのだが――、建材用の木材の不法伐採もある。もしかしたら、それが和平を遅らせる一つの要因かもしれない、という話も聞いた。

下カザマンスの要所を廻り、いろいろな人々に会うためにもカップ・スキリングは都合のよい場所だったが、この村を選んだのは、さらにもう一つ意味があった。それは、快適なホテルがあるからだ。
 私たちにとって「快適」とは、治安がよくて、先進国の“常識”が通用するということだが、実際、このピンポイントとも言える小さな海辺の村は、欧州からのバカンス客の集まるリゾート地だった。シーズン中(乾季のみ。雨季の5か月は閉鎖される)は、毎日フランスからのチャーター便が飛んでくるのだそうだ。

河口にある“港”の一つ。干し魚は袋に詰めて、トラックに積まれて、陸路、ガーナまで運ばれます。(デルタ地帯には、ガーナ人のコミュニティもできているそうです。セネガル人には、この干し魚を食べる習慣はありません。)

 マングローブやヤシの木に隠れて遠くからはよく見えないが、湿地帯の田舎道を車で走ると、釣りができそうなデッキを備えた貸別荘が並んでいるのにも気づいた。

私たちが泊まったのはベルギー人の経営するホテルで、日本でいったら、ちょっとした一軒家規模のバンガローを10数件備えたものだったが、その広大な敷地は、欧州的小奇麗さとエキゾチックな南洋の雰囲気を上手に混ぜながら整備され、たくさんの植物が咲き乱れていた。

マンゴーの木の下で内陸の村会議?

 数分かけて庭を下っていくと、オーナーの言う「アフリカで一番美しい浜辺」があり、誰もいない砂浜が、大きなカーブを描いていてずっとずっとどこまでも続いていた。
 ウィンドサーフの帆が3つ4つ、かろうじてそれと分かる大きさで浮かんでいる。

ホテルの浜辺。

子供たちが残していった作品。夕方の引き潮の時には、美しい貝殻がたくさん拾えます。

 波があるようなないようなのどかな海に向かって、私は遠浅の砂浜をまっすぐに歩いた。少しグレーがかった砂は、おしろいの粉のように細かくて心地よく、波が引くときには素足をまろやかに包んだ。
 ほとんど誰もいない広い広い浜辺のヤシの木の下で、本を手に寝転ぶ土曜の夕方は、“紛争地”をすっかり忘れさせる至福の時でもあった。

大西洋に沈む夕日を見ながら、夕食が始まった。わずか、20人にも満たない私たち宿泊客のために、その晩ホテルが迎えたゲストは、セネガルでも有数のシンガーソングライター、メッツォ・ジャッタだった。

  僕の村を知ってる?
  大西洋を目の前にした、小さな美しい村
  ジャンベラ、カザマンスの村……

ギターに乗せて語るように歌う彼の少ししわがれた声、往年のジャパニーズフォークソングにも似たせつないメロディがジワーッと私の耳に、頬に、肩に、腕に、しみこんだ。
 2016年のバレンタインデー前夜のおはなし、です。

大西洋に沈む美しい夕日

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