セネガル通信

第26回 出会いの妙

日本をはるか離れたアフリカ最西端の国にいながら、いろいろな形で俳句に接し、俳句を楽しむ日々を過ごしていることを折に触れて書いてきたが、JAL財団が世界で展開する《こどもハイクコンテスト》とのご縁もまた、私がセネガルに住んでいるからこそ与えられた、有り難いものである。

もとはと言えば、国際俳句交流協会の藤本はな氏から去年の夏に届いた一通のメールだった。
「JAL財団よりセネガル日本文化協会のようなところをご紹介いただけないか、という問い合わせがございました……
セネガルのハイク協会では、JAL財団の世界こども俳句コンテスト開催の可能性はございますでしょうか……」

世界こどもハイクコンテストは2年に一度開かれます。
1年目にコンテストが世界中で展開され、2年目には、その優秀作品を集めたものが『地球歳時記』として出版されます。

前回のコンテストのテーマは『ゆめ』でした。今回は『あさ』です。


メールを読み、「セネガル日本文化協会? ハイク協会? そんな団体があれば、大使館の文化広報活動ももっとラクになるのに・・・」と思いながらも、
「大使館主催の俳句コンクールが30年も続いているセネガルで、できないはずがありませーん!」
 と、“軽く”かつ“自信を持って”答えてしまったのは、ひとえに能天気な私の、今までの外国暮らしの中で培われた「勘」のせいにほかならない。
 それはさておき、国際俳句交流協会の一会員としても、俳句の世界展開は大変嬉しいことであり、そこになんらかの形でお手伝いができるのであれば、とても光栄なことだと思った。

調子よく返事をしてしまったけれど、実際にセネガルでの主催者は誰にお願いすればよいのだろう…。
 セネガルで生活し始めて1年9か月くらいを経たところだったが、まだとても「顔が広い」とは言えない状態。しかし、もしかしたらとても狭い交流範囲しか持ち合わせていなかったからこそ、迷うこともなかったのだと思う。
「お願いできるのはサンゴール財団しかない」と確信した。

サンゴール財団事務局長であるラファエル・ンジャイ氏とは日本大使館の俳句コンクールを通して知り合った。
 財団は、セネガル独立時から20年間大統領を務めた、世界的にも名高い詩人レオポール・セダル・サンゴールの意志を継ぐ組織だ。だから、俳句への理解も深いだろうと想像し、こういった文化活動への取り組みを熱心にやってもらえる、と考えたのだ。
 もちろん、そこには、セネガルにおける俳句の、益々の広がりを期待し、日本大使館俳句コンクール参加者の予備軍ともいえる子供たちをもっともっと増やしたい、という“よこしまな”思いもあった。

サンゴール財団が作成したセネガル大会授賞式のDVDケース ケースの蓋の写真がレオポール・セダル・サンゴール(1906‐2001)

ラファエル・ンジャイ氏を公邸に迎え、日本の緑茶とおまんじゅうでおもてなし(!)しながら、私は氏を一生懸命くどいた。
 その後サンゴール財団は検討会議を開き、秋にはコンテストセネガル大会の主催者となることを承諾してくれた。そして、両財団の間に契約が結ばれて《第14回世界こどもハイクコンテスト:セネガル大会》が正式に始まったのは、年も押し迫った12月のことだった。

ところで、ライファエル・ンジャイ氏は、6-7年前から、日本大使館主催の俳句コンクールの授賞式で、入賞作品の朗詠を担当してくださっているが、私との“ご縁”はそれだけではない。
 去年の俳句関連イベントとして日本大使館が国立ソラノ劇場で盛大に行ったピアノコンサートの折に、一緒に舞台に立ち、芭蕉や蕪村の俳句を朗詠した“仲”なのだ。
 日本語の俳句原文を私が詠み、彼がフランス語とセネガルの現地共通語であるウォロフ語で詠んだ。

ピアノコンサートの舞台リハーサル

そのリハーサルの時のことだ。大使館文化班が、舞台上の私たちの後ろにあるスクリーンに映し出される映像のコピーと読みやすく大きな文字で印刷した俳句を黒いファイルに綴じてとても素敵な台本を作ってくれた。それを手にして私たちが交互に詠み上げるのだが、ウォロフ語の時に、ンジャイ氏は何度かつかえたり言い直したりした。
 俳句。日本語であれば、それは17音しかなく、たとえフランス語やウォロフ語に訳されたとしても、決して長い文章ではない。
 どうして、この程度の文章を発音しそこなうのだろう、これでは、あと2-3回リハーサルをしなければならないかしら・・・と思い休憩に入った時に、彼が言った。
「ちょっと事務所に帰って、ウォロフを書き直してきますから」
 その時初めて、私は「文字をもたないウォロフ語」の意味を本当に理解した。
 借り物のアルファベットで言葉が綴られることの危うさ――というと、ちょっと深刻に聞こえるけれど! まさに“目からうろこ”であった。
 もともと「文字(漢字)ありき」の私たち日本人は、漢字を見れば瞬時に音や意味が出てくる。
 でも、例えば、とてもくだけた日常会話をすべてカタカナ表記に、しかも、好き勝手に表記されたものを読めと言われたらどうだろう。それがいかに読むのも難しく、意味もつかみにくい、ということが分かるのではないだろうか。

台本

(つづく)

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