セネガル通信

第27回 出会いの妙(続)

セネガル大会のパンフレット

いろいろな国の人たちと協力して何かを成し遂げる…ということが今までもなかったわけではない。お国が違えば考え方も違う、で、それぞれの常識が通用しないことなどは、百も承知である。
 こども俳句コンテストを通してもまた、さまざまな場面で、文化の違いやお国柄による勘所の違いを感じ、とても興味深く思った。

例えば、応募要項の記載されたポスターを作る時点になって、ンジャイ氏は応募者年齢制限の「2月15日現在15歳以下」要は、締切日に15歳の子供なら応募資格があるのだが、そこにとても拘り、従来仏語版では「moins de 16ans à la date du 15 fév」、英語版が「under 16 years old on 15 fev」と記載している項目を、「ここはmoins de 15ans にすべきだ」と主張したのだ(と、後になって知った)。
 結果、セネガル大会のポスターは、フランス語で作るにもかかわらず、フランス大会のポスターとは異なることになった。
 私自身、フランス語の〈moins de〉は、「未満」であって、「以下」ではないと認識していたのだが、もしかしたら、セネガルフランス語では、「以下」なのかもしれない。

セネガルと日本(やフランス)との違いは、さらに思わぬ所にも存在した。
 応募要項によれば、「作品は、締切日までに必着のこと」とある。すでに出来上がっていたフランス向けのフランス語版パンフレットにはさらにかっこ書きで「郵送」という言葉も加えられていた。
 この「郵送」という文言のために、(後になって分かったことだが)ンジャイ氏はとんでもない勘違いを起こした。その締切日は「セネガル大会」のものではなく、「世界大会をとりまとめる日本」と思い込んでしまったのだ。

珍しい郵便物。グリーティングカードや様々な招待状など、今まで何百と届きましたが、セネガルの切手の貼られた封書は、これがたった一通だけ。大切なのは住所ではなくて、B.P.(私書箱)の数字です。

サンゴール財団は、《世界こどもハイクコンテスト》を成功させるためにダカールを中心に、公立私立を問わず有名な小中学校など、セネガル内の教育機関に直接働きかけていたが、作品を寄せてくれそうな学校に、「締め切りは1月15日」と宣言してしまったのだ。
 そして実際、年が明けた1月15日に、100近い応募作品をサンゴール財団は“回収”していた。
 そう。作品は、郵送によるものではなくて、学校側が財団に届けたり、財団自らが受け取りに出向いたりして集めたのである。

セネガルには、郵便局はあっても、郵便物宅配システムは存在しない。あるのは私書箱だ。
 郵便物宅配システムを本当に誇れるのは、日本などごく一部の先進国のみで、実は、かつて私が住んだパリやロンドンでさえ、いくつもの笑い話がある(そして、私は過去にもそれをネタにエッセイを書きましたけれど!)ほど“脆弱な”システムなのである。
 まして、アフリカで、もともと現地語は文字をもたない国にあって、宅配システムがあると想像するほうがお門違いというものかもしれない。
 外国への郵便物はいざ知らず、国内郵便のために郵便局へ行くという習慣もほとんどないのだと思う。
 ちなみに、日本大使館では、運転手という職種で雇用されている人たちが、メッセンジャーボーイを担っていて、さまざまな招待状(ナショナルデーとなると、600名近くに招待状を送るのであるから大変な騒ぎである)を配り“走る”。
 グリーティングカードの季節には、各国大使館のメッセンジャーボーイがダカール中を走り回って、それはそれは忙しい。

閑話休題。
 要するに、セネガル人にとって、ンジャイ氏のように在外経験のある人でさえ、「郵送のこと」という一文を勘違いするのは、全くもって責められることではないのだが…。
 何回目かの審査員ミーティングの席で、コンテスト参加者にとって本当の締め切りは2月15日であることを私がこんこんと説明した時の、ンジャイ氏のまん丸い目を、私は忘れることができない。

セネガルで一番古い、そして一番大きな規模のキリスト教系私立学校クール・サント・マリ・ドゥ・アン。生徒の国籍はなんと70か国にも! この学校からはコンテストに200以上の応募がありました。校長先生も熱心に日本文化を教育に取り入れてくださっています。

一方で、審査員会は、1月の末からどんどん進められていた。審査員団の末席を汚す私は、いつも公邸を審査員会会場として提供して、審査員の皆さんと、とても楽しい審査のひと時をもった。
 審査委員長は、大使館のコンクールでも長年審査員を務めてくださるセネガルの詩の専門家、ダカール大学のリィ教授で、私とは“旧知の”間柄。
 子供たちのハイク(規定では、厳密な俳句ではなく短い3行詩)を審査するときの、言葉に対する教授のコメントはとても厳しくて、「**という言葉の後に++と続けてはおかしい」とか「活用が間違っている」とか…。
 他の審査員から「でも子供ですから~」という声が上がって、私たちは何度も笑った。
 公邸にほど近い名門高校の校長を務めるコリー女史は、これがご縁で知り合ったのだが、子供たちの絵画教育にも熱心な教育者で、ハイクに添えられた絵の審査に厳しかったのは、彼女と私。セネガルの素敵な女性の友達がまた一人増えた。

ンジャイ氏とは、コンテストが終わった後も何度もメールを交わしたり、別の機会にお目にかかったり、さらに親しくなった。
 最近、彼からのメールは、「親愛なる北原大使夫人」ではなくて、「こんにちは、ちづこさん」で始まり、私は「ラファエルさん、メールありがとうございます」と答える。「さん」が日本での一番ポピュラーな敬称であることを教えたのは、もちろん、私だ。

最優秀賞の少年も、クール・サント・マリの中学生です。

惜しくも選には漏れたのですが、イラストがとっても上手だと思って、特別に「大使夫人賞」をあげた作品。
14歳の少年のものです。

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