セネガル通信

第32回 亡命(後編)

どうか孔雀に気づきませんように…などと願うのは浅はかな人間のすることだ。
 フィーユもだけれど、孔雀君にしても、“事態の変化”を悟ったのであろう。茂みから姿を現し、美しいコバルト色の首筋を思いっきり伸ばすように、凛として、通路の真ん中に立ちはだかった。フィーユはその威厳に圧倒されたか、いつもはピンと上に立たせている尻尾をまさに巻いて、でもしっかりと睨み返しながら孔雀に言った(と思われる)。
「あなた誰よ。うちの鶏よりきれいじゃないの」

その時、テオもアンネも私も、多分同じことを考えていたと思う。「孔雀よ、飛んでくれるな」だ。今度飛んで塀を越えてしまったら、そこはまた別の隣家、エジプト大使公邸――ママンが以前はよくお邪魔していた――である。
 でも、おそらく、孔雀にしてみたら、いやなのは人間との接触であり、猫の一匹や二匹、なんということもなかったのであろう。オランダ公邸にだって、近所の野良たちがやって来ることもあるのだから。猫は小鳥や小鳩はハントするけれど、自分より体の大きな鳥を襲うことなどまずないのだから。
 孔雀殿は優雅に佇んでいた。
 それから、フィーユが見守る(!?)中、通路のど真ん中を静々と別棟に沿って歩き始めた。そして、ふと、洞窟のような場所があるのに気づき歩を止めた。
 そう。そこは私たちのガレージ。「入ってくれますように」と願いながら、先ほどシャッターを半分下ろしたところだった。

今度ばかりは、人間の知恵が利いた。孔雀殿はコバルト色の首を低くしてお辞儀をするような姿勢で薄暗いガレージの中をしばらく点検していたが、「ここなら安全」と判断したらしく、また優雅に歩を進め、ガレージの暗闇に消えた。
 数分前に到着していたオランダ大使夫妻の友人の合図ととともに“それっ!”とばかりに、白い網がガレージのシャッターの下に張り巡らされた。
 後は孔雀殿が表に出てくるのを待つだけである。峠は越えたのだ。

ところが、一難去ってまた一難。
 騒ぎに気付いたからなのか、私の姿を認めたからなのか、今度はママンが、こちらを目指して公邸の厨房の辺りを歩いている。厨房裏の辺りは、ママンとフィーユのテリトリーなのだから、当然と言えば当然のことだけれど……
 孔雀をこれ以上刺激するのは賢明ではない。私は、フィーユに「行くわよ」と声をかけると、庭を通って再び別棟の反対側を回って、ガレージ一歩手前までやって来たママンの前に躍り出た。
「二人ともいい子ね。さぁ、ご飯にしましょ」

このせりふはなかなか効果的だ。
 ママンもフィーユも、私に従って庭仕事や散歩に付き合えば、美味しいものにありつけることを重々承知しているので、すぐについてきた。フィーユなど、さっきの“事件”をもうすっかり忘れてしまったかのように、私の足にまとわりつきながら、いつものように、尻尾をピンと立ててギャロップしている。
 いつもは、勝手口の横の食器で食事をするのだが、今回は、食器を持って、“現場”から一番遠い正面玄関まで行った。そこでいつもより多めのごはんを与えられた彼女たちは、その後、事件終了までガレージで何が起きたのかは知らずに済んだ(らしい)。

さて、時間は少し戻って網を張られたガレージだが、孔雀殿は暗がりにすっかり安住してしまい、一向に外に出る気配がない。結局、テオと警備員がガレージの中に入って、外へと誘導することになった。
 しかし、そうは問屋が卸さない。
 ガレージの中で、孔雀殿が――人間からは遠ざかりたい、でも外は白い網がある、と悟ったかどうか――バタバタと大きな羽根を広げて慌てている様子が感じられた。人間が近づきすぎると、そのバタバタは盛んになり、とうとう車の屋根に乗ってしまったらしく、カタカタという金属を叩くような乾いた足音がしていた。
 テオの「ゆっくりね。ゆっくり近づいて」とガードマンに指示する声が何度か聞こえた。 孔雀がガサガサ、バタバタ、カタカタと、車の屋根やボンネットの上を乗り降りしている音が続いていたと思ったら、一瞬静かになり、テオの声が響いた。
「よくやった! 素晴らしい!!」
 日本公邸を警備するガードマンの一人が、意気揚々と孔雀を抱え、テオと一緒にガレージから出て来た。
 かくして観客数名の大捕り物劇は、一件落着を迎えた。“取材班:アンネとちづこ“のカメラがパシャパシャと鳴った。

後から聞いたことだが、その朝オランダ公邸では「オランダ語試験会」(日本の子供たちもダカールで一生懸命「漢検」にトライしています!)が予定されていた。そのために、10数名の小中学生が集まっていたのだそうだ。
 子供たちの常だけれど、試験が始まるまでの時間、彼らは庭で大はしゃぎしていたらしい。
 オランダ公邸の芝生の上にはブランコもトランポリンもあるし、大人だってちょっと浮かれてしまう空間だ。中には雌の孔雀を追いかけまわす子たちもいて……。
 庭の喧騒を逃れたくなった孔雀殿が、日本公邸への亡命(!?)を試みたとしても、それもまた何ら不思議はないのかもしれない。

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