セネガル通信

第33回 庭師1

2017年4月3日。私はポトマック河畔、タイダルベイスンの遊歩道を歩いていた。
 20年来、「いつかそのうちに」と思い続けた“ワシントンの桜”、である。ワシントンでは、日本より1週間ほど早く“開花宣言”があり、3月の最終週末が見頃であると日本でも報道されていたし、現地に住む友人からは、数日前に雨が降ったことも聞かされていたから「もう終わってしまっただろうか…」と半分諦めてのワシントン入りだった。

 だから、日本と同じように桜を愛でる人たちで溢れる散歩道に少なからず驚き、また桜もごく一部に青葉が出始めてはいたものの、「今が満開」と言えるほど多くの木に花が残されていたことに、純粋に感動していた。夫の仕事がらみの訪米に同行しただけなのだが、本当に、来た甲斐があった。
 1週間ほどをワシントンで過ごし、東京に戻ると、今度は東京が、まさに“満開”の時であった。

確か、去年の同じ頃にも一時帰国で東京にいた。しかし、正直を言えば、その時の限られた滞在時間の中では雑事に追われ、桜をゆっくり鑑賞する暇はなかったのだ。たまたま東京の家の庭に山桜の木が一本あるので、あの時は、ソメイヨシノが終わってから少しして薄茶色の小さな葉をつけた後に淡く咲き始める、この“私の桜”だけを横目で見ての数週間だった。
 だから、今年、9年振りに見ることができた満開の桜に、私は懐かしさと嬉しさとで言葉では言い尽くせないほどの感動を覚えた。“圧倒された”という表現のほうがふさわしいかもしれない。
 日本の桜は、これほどまでに美しく、豊かで、そしてなんといとおしいものであったことか!
 東京の街のあちらこちら、谷中で、深川で、四谷の土手で、中野通りで目にする桜並木は、ワシントンよりももっともっと私の心の奥に沁みこんだ。涙がでそうなほどに。
 今年の早春、私は9年振りに、海外での生活を終え、日本に帰国したのであった。

東京の街中の桜。太い幹から若い枝が出て花をつけているのにびっくり

桜一つでこれほどまでに心震わすことのできる自分を、私は少し嬉しく思った。
 9年振りという時間のなせる業なのだろうか。…いや、違う。30代の初めの頃だって、「7年振りに帰国する」という体験を踏んでいるのだ。インターネットという言葉もなく、非常に高い料金の国際電話か手紙、という通信手段しか持たなかったあの頃のほうが、21世紀の今よりもずっと“浦島太郎”で帰国したのだから、日本的なるものへの憧憬はもっとあってもよかったはずだ。しかし、さほどの感激はなかった。

としたら、それは年齢のせい?
 …確かにそれもあるだろう。友人たちの間で、「この頃涙腺がゆるくなっちゃって」という話題も持ち上がる。
 でも、それだけではない気がする。なんだか理由をうまく説明できない何か…。大げさに言うと、今までの人生の中でもことのほか“自然”を意識したダカールでの3年4か月が、少なからず関係している、というような。

四季と縁遠い(というか、それは全く存在しません)西アフリカ最西端の街で、私は“大使夫人”という立場を与えられた。そこでの生活は、それまでの通算15年の欧州での生活とは“全く違う”と言っても過言ではない。
 「ダカールでの生活はどう? 何をしているの?」と誰かに問われると、私はしばしば「庭師している」と答えていたが、ダカールの自然を相手に奮闘する日々であった。「庭師になるべく勉強していた」と言うのが正しいかもしれない。

ダカールのフランボワイヤン。年に一度、6月から7月、裸木に真っ赤な花が溢れ出ます。並木道の美しさは圧巻。桜のような繊細さは全くありませんが。

ダカールに住んだから、今まで見たこともなかった南洋の植物をたくさん知ることになった。ブーゲンビリア、フランボワイヤン、フランジパニエ、アラマンダ…
 公邸の庭だけでも70種類くらいの植物があり、もちろん、中には日本や欧州で見知ったものもあったが、実際に育てたことのあるものは決して多くなく、まずは庭師(本物の)に木の名前を教えてもらうことから始まった。

公邸の庭師は一応教育を受けた――しかも専門の学校にも通ったと聞いた――50代のセネガル人だったが、「スペルを教えて」と言うと、すぐには答えられないことも多かったし、綴りを時々間違えたりするので、「本当の名称」を知るのもなかなか容易なことではなかった。 いくつか見知っていた観葉植物――日本や欧州では、“観葉”としてほとんど屋内で育てられている――が、ごく当たり前のように、庭木や垣根に使われているのにも驚かされたが、日本での通称とフランス語の通称が違うので、これも一から覚え直さなければならなかった。 ようやくインターネットの植物図鑑のようなページに行きつき、さらに、それが日本でも生息しているらしく“和名”を見つけることがあったりするととても嬉しかった。が、しかし、だいたいは、「南米やアフリカ、東南アジアにみられる」という説明のみで、“育て方”に到達することは、まずない。旧宗主国であるフランスのネットのほうが、やはり情報もたくさんあった。しかし、それとて、「冬は室内に入れろ」だの「夏に花が咲く」という程度の説明に終始した。
 いずれにしても、ダカールの天候での育て方を書いたものは、本屋を探してもなくネット上にも見つからず、いやでも、「実践から入る」という努力を余儀なくされたのである。(つづく)

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