セネガル通信

第40回 女将さん(その2)

公邸の、長方形のサロンの一辺は庭に向かっていて、そこにはテラスに通じる大きな窓がある。窓には当然のように、アイボリーの厚手のカーテンと、レースカーテンがダブルでかけられている。
 ある日「美しい庭を見せないサロンなんて!」と私は思った。カーテンとは、そもそも、外からの視線と必要以上の光線を遮るためにあるのだ、と私は信じている。 公邸のように、そのどちらもほとんど気にせずにすむ条件下で、なんで、こんなものをしめておく必要があるのかしら、ということで、私はスタッフに「これからは、昼間はレースのカーテンもあけましょうね。美しい庭が見えるように」と宣言した。

庭が見たい

そして、テラスの窓のカーテンが大きく開け放たれたその時、前に広がる光景に私は言葉を失った。
 いや、光景ではない。光景を遮る、汚れた窓ガラスに、愕然としたのである。
 テラスを前にした、透明ガラスのはずの大きな窓はまるですりガラスだった。
 あっけにとられる私を横に、スタッフもすぐに事の重大さに気づいた。「マダム、ただちに掃除します!」
 皆、最初は、サハラの砂嵐のせいだと思っていた。だから、いつものように、窓ガラスをぴったりと閉めて、テラスの向こうからホースで水をかけ始めた。
 そういえば、“水を使った掃除が大好きな”――これは公邸スタッフに限ったことではない。近代的なビルの掃除人たちも、大理石や石の床に、洗剤をまき、水をじゃばじゃばと流してモップで掃除する――人たちで、砂塵を流すのは水に限ると信じているから、季節によっては毎日ザバーッという音がどこかでしている。
 ところが、この窓ガラスは、そんなことでは全く変化しなかった。相変わらずすりガラスのままの窓を見ながら、スタッフは次に、「ジャベル(漂白剤)で拭きます」と言った。 この“ジャベル信仰”も、私には通用しない。
「そんなことしてもきっとだめ。お鍋用の粉クレンザーとスポンジを持って来てガラスを傷つけないように、こすってみてちょうだい」
 それでも、汚れは半分も落ちなかった。おそらく、長年、もう定年で辞めてしまった昔のベテランスタッフが何十年もの間水をかけっぱなしにする掃除をしてきたに違いない。その“指導”を受けたまだ若いスタッフたちは、それをひたすら真似ていたらしい。
 ホースの水をジャバジャバとかけるだけで、その後きれいに拭きとることをしなかったために水垢と砂埃がないまぜになってシミを作ってしまったのだ、と私は踏んだ。

ネットであれこれ調べ、カルキ分を落とすためには、トイレ用の洗剤がよく効くという情報を得て早速試してみたりした。若い男のスタッフ3人が、毎日毎日交代で、クレンザーとトイレ用洗剤ですこしずつ磨いて、1週間くらいかかって、どうにか妥協できるところまでは行ったのだが……透明の美しいガラスに戻すことは叶わなかった。
 こういった、“苦労話”“呆れるエピソード”はまだまだたくさんある。豪快と言えば豪快だが、丁寧さには程遠い公邸スタッフの仕事ぶりに、何度も笑わされた。

在セネガル日本大使館ナショナルスタッフ

人当たりが良くて頭のいいゴラ君は、日本語の挨拶などもどんどん覚え、その後メートルドテル(バトラー)として研修すべく、チュニジア出張に出てもらった。オスマン君は、セネガルの地方によくある、幼少期から学校に行かず(行かせてもらえず)働いてきた青年で、フランス語は結構話すにもかかわらず読み書きができなかった。しかし、その記憶力は素晴らしく、努力家で、根っからの働き者。“おしん”のような彼には、それこそ、公邸維持のための細かい仕事をたくさん覚えてもらい、またそれを忠実に実行に移す態度には本当に感心させられた。
 ベテランお手伝いのキャロさんが定年退職した後に、大勢の候補者の中から選ばれたエリさんは、お手伝いさんには不相応(?)の高学歴で、採用の時から、掃除洗濯のみならず男性と同じように接客や備品の管理にも携わるように条件をつけた。カトリック信徒らしいまじめな性格で、彼女もまた公邸のなんたるか、日本とはどんな国かを、どんどん学んだ。彼女が、「マダムは忙しいから」と、頼まれてもいないのにサロンの小さな花のデコレーションを作り始めた時には、感激して皆に吹聴したりしたが、最長でも5年という若い公邸スタッフの教育係もまた女将さんの大切な仕事だったのだ。

カロリーヌさん定年退職の日

大きな体(1メートル90はあるだろうか)でとても優しい大使館官房班のエマさん――私たち夫婦は彼に「気の弱いジャイアン」とあだ名をつけていた――は何かあるといつもすぐに飛んできてくれて、事務所サイドから私を手伝ってくれた。最後の一年庭師として勤務するようになったコネさんもまた働き者。大使車が出勤のために門を出る時、彼はいつも外回りを掃除していたが、直立不動で丁寧な朝の挨拶を彼からもらうと、私は元気が出た。

“大使夫人の日常”は、皆に支えられてこんなふうに過ぎていったのだが、何はともあれ、3年4か月、夫、私、津久井シェフの“三人四脚”は、転ぶことなく、息切れで止まることもなく続き、無事に任務を終えた。
 4冊にもなったリーブルドール(ゲストノート)は、公邸を訪れた人々のサインのみならず、料理の素晴らしさや公邸の雰囲気を褒める文言で溢れている。津久井シェフは、帰国後、「優秀公邸料理長」として外務大臣表彰を受けた。

シェフ鮪を買う

リーブルドール

長かったのか短かったのか分からないダカールの日々。思い出として“封印”するにまだ早すぎるけれど、長い海外生活から9年振りに帰国して1年余、私が少しずつ“日本人”に戻るのに沿うように、西アフリカの日々に懐かしさを覚えるようにもなっている。

<編集部より> 北原千津子さんの「セネガル通信:パリ狂ダカールに行く」は今回で終了します。長い間、ご愛読いただきありがとうございました。次回からは新連載「パリ狂日本に帰る」が始まります。どうぞお楽しみに!

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