ケアンズ通信

3. ケアンズ アイアンマンレース

ケアンズでは毎年6月にアイアンマンレースが開催される。ビーチで3.8キロ泳ぎ、自転車を180キロこぎ、42.2キロ走るという文字通り鉄人レースだ。このレースには世界中から参加者が訪れ、今年は日本からも約300名の方が参加されたそうだ。

レースが行われる日曜日には働いていることが多い私は、これまでレースを応援に行ったことはなかったのだが、今年初めて日本人の友人二人と、夕方マラソン部分の応援に行くことが出来た。日本人選手を応援しようと日本語のプラカードを持参したが、懸命に走っているアスリートを見ると、国籍にかかわらず応援せずにはいられない。「頑張って~!」「Go! Go! Go!」「Looking good!」「たけしさ~ん!」「You can do it!」「Go Chinaaa!」「もう少し~!」 日本語、英語ごちゃまぜに声を張り上げた。

アイアンマンレースの最後はケアンズエスプラネード沿いのマラソン。

このレースには、毎年、驚くような境遇の人達も参加している。今年は、5年前に心臓と肝臓移植を受けたという30代の女性が参加していた。「私の体にある最も重要な臓器二つは人から譲って貰ったもの。もし5年前に移植を受けていなければ、今、私はここに存在していない。移植からの5年間は私に与えられた新しい人生。5年目の記念と、臓器を提供してくれた方への感謝を込めて、このレースを走りたい」新聞で読んだ彼女のコメントだ。心臓、肝臓移植という、それだけで十分に大変な経験をした人が、体に大きな負荷をかける鉄人レースに挑戦する。何が彼女を駆り立てるのか。

4年前にオーストラリアの全国テレビで放映された、アスリート二人の話は忘れられない。オーストラリアのニューサウスウエルズ州に住むシャーンは患者さんからも慕われる看護師で、トライアスロンにも挑戦する健康美人。ハーフ・ アイアンマンを完走し、次はフル・アイアンマンを完走することを目標にしていた。その彼女が突然、筋萎縮性側索硬化症(ALS)だと診断される。この病気は運動神経が障害され、体を動かすのに必要な筋肉が徐々にやせて力がなくなっていく難病だ。体の動きが鈍くなり、言葉を出しにくくなっていくにも関わらず、シャーンは看護師の仕事を辞めようとせず、笑顔で患者さんを励まし続ける。そんな彼女のフル・アイアンマンを完走する夢をかなえさせてあげたいと、友人で消防士のクレイグがアイアンマンレースで彼女と一緒に走ることを申し出る。クレイグは既に3度フル・アイアンマンを完走しているアスリートだが、自分では泳ぐことも、自転車をこぐことも、走ることも出来なくなってしまったシャーンとフル・アイアンマンレースに参加するというのは無謀すぎる試みだ。だが二人は家族や友人たちのサポートを受け、トレーニングを始め、アイアンマンレース出場を果たす。

4年前のその日、二人のレースはパームコーブビーチでの3.8キロの水泳からスタートした。クレイグはシャーンが乗ったカヌーにつけたロープを引っ張りながら泳いだ。25メートルしか泳げない私には、3.8キロ泳ぐというだけでも想像を絶するが、人を乗せたカヌーを引っ張りながら泳ぐというのは、どれほどの力を要するものだろう。これは映画のワンシーンではなく、実際に一般人がやってのけた事なのだ。クレイグにとってもチャレンジだったが、カヌーに乗っているシャーンにとっても苦しい時間だった。同じ姿勢で長時間いることは、彼女の体にとって大きな負担となる。特にその日のケアンズは雨が降っていて、気温が下がり、シャーンの体は冷え切っていった。それでも二人は3.8キロを泳ぎ切った。

そして次の自転車コース。クレイグの自転車の後ろにはシャーンが乗る特別仕様の二輪車が付けられた。二人のペダルが連動するようになってはいたが、シャーンには自転車をこぐ力は殆ど無かった。ケアンズからポートダグラスという高級リゾート地までの海沿いの道を走るのだが、この道は起伏が激しく、車でも走りやすい道ではない。そんな山あり谷ありの180キロのコースを、クレイグはシャーンの体重分引っ張て自転車をこがなければならないのだ。気が遠くなるような困難なチャレンジであるのに、二人には更に予想外の試練が続く。タイヤが途中で何度もパンクしてしまったのだ。また距離を確認するために使っていたGPSが故障し、距離感や時間の観念がわからなくなってしまう。そのうえ雨が激しくなって視界が悪く、身体は冷え、シャーンも体を震わせていた。さすがのクレイグも「もう駄目だ。諦めるしかない」と思ったという。でもその時に、クレイグがこぐペダルにシャーンが一生懸命ペダルをこいでいるのが伝わってきた。「諦めないで。一つづつ山を越えて行こうよ」シャーンの言葉にクレイグは奮い立つ。クレイグはペダルをこぎ続け、二人は過酷な自転車レースも完走した。

懸命に自転車をこぐシャーンとクレイグ(http://ap.ironman.com/より)

最後のマラソン部分は、車いすに乗ったシャーンをクレイグが押して走った。早朝にレースを開始した二人がマラソンを始める頃にはあたりは真っ暗になっていた。水泳、自転車の後、42.2キロを車いすを押しながら走る。クレイグとシャーンの疲れは頂点を超えていたに違いない。ゴール地点では、先頭ランナーが到着する夕方には数百人といる応援者達も、時間とともに減っていくのだが、二人がゴールした真夜中には100名近い二人のサポーターに加え、多くの地元の人達が大歓声で二人をゴールで出迎えた。シャーンはゴールに向かう赤いカーペットの上で車椅子を降り、クレイグと共に歩いて自分でゴールインした。シャーンは夢だったフル・アイアンマンレースを16時間24分かけて完走し、クレイグは「シャーンの夢を叶える」という夢を叶えた。

レースの後、シャーンはテレビのインタビューの中で答えていた。「これからも色々な事にチャレンジしていきたい」彼女の放つ言葉は聞き取りにくくはなっていたが、彼女の笑顔は最高に美しく、力強かった。

レースゴール地点。ゴールした人にはMCが“You are an Ironman!”と言いながらメダルを渡す。

体に障害を持つ男性の言葉がフェイスブックで紹介されていた。「僕は障害者ではない。障害者というのは、『自分にはこれは出来ない』と制限を付ける人のことだ」。

私達は皆それぞれ、色んな試練やチャレンジを背負っている。身体的な試練を抱えている人もいれば、精神的、金銭的、時間的なチャレンジに直面している人もいる。それでも皆、前に足を出し続ける。ある意味では私達の人生はアイアンマンレースのようなものかもしれない。

アイアンマンレースの前、仕事の上で問題が続発し、私は落ち込んでいた。小さな不動産会社をやっている私にとって、仕事上の問題は日常茶飯事で「問題は次に行くためのステップ」と捉えるようにしているが、今回はそうは思えない種類の問題だった。私を心配してくれた友人から言われた。「あなたは、どうしていつも自分をハードな環境に置くの?もっと楽な方向に行ったほうが幸せになれるのじゃないの?そうしないのは何故なの?」彼女の言葉をよく考えてみた。母国語でない言語で働き、ストレスの尽きないかつ競争の激しい業界に身を置き、絶えず経済的なストレスを抱え、仕事に対する価値観が違うオーストラリア人を雇用する。雇用者であることを辞め、仕事を変えれば、私の暮らしは精神的、時間的、経済的、体力的にもずっとラクになるかもしれない。では、なぜそうしないのか?

友人から聞かれた時には答えられなかった質問の答えを、アイアンマンレースの中で見つけたような気がした。今の私はアイアンマンレースの最初の水泳部分にいて、泳げない私は3.8キロの水泳にビート板でチャレンジしているようなものだろう。そしてその後には苦手な自転車とマラソンも待っている。完走できるのは一体いつの日になるのか予想すら出来ない。それでも、私は自分のレースを諦めたくない。シャーンとクレイグがゴールすることを諦めなかったように、私も少しづつでも前に進み続けたい。

アイアンマンレースのアスリート達は、私に大きな勇気と希望を与えてくれた。プラカードをかざして声を張り上げる私達に、日本選手の皆さんは、最後の力を振り絞って走っている最中であるにもかかわらず、「ありがとう」とほほ笑んでくださったり、軽く手をあげてくださったり、小さなガッツポーズを見せてくださったり。皆さんの雄姿には深く感動した。来年のアイアンマンレースも必ず応援に行こうと思う。

ちなみに、アイアンマンレースに参加するアスリートの中には、鍛えあげられた筋肉を持つハンサムな男性が多いことも発見した。来年の応援用プラカードには、“Marry me!”というカードも忍ばせておいて、好みのアスリートを見つけたら、さりげなく出してみようかと友人と密かに計画中である。過酷なアイアンマンレース、これくらいの笑いが有っても許して貰えるよね。2019年6月のアイアンマンレース参加者募集が既に始まっている。日本の鉄人の皆さん、来年6月、ケアンズでお会いしましょう!

アイアンマンレース詳細はこちらです。

このサイトは翻訳学校サン・フレア アカデミーの運営です。

PAGETOP