Did you know that?

80. 不思議な拾い物

日本で「拾いもの」というと、傘や財布、時に大金の入ったバッグなどがあると思う。雨の天気予報があれば傘を持って出かけるし、雨が上がれば傘をささずに持ち帰る。どこかに置き忘れる。よくあることだ。
 財布をバッグやポケットから出し入れする機会もアメリカより多いように思う。大金の入ったバッグを拾ったという出来事をニュースで知る機会も何度かあった。

アメリカは、州にもよると思うが、車社会であり生活の違いからかこのような拾いものをしたという話をほとんど聞かない。

20数年前のことである。私は家族でワシントンD.C.を旅していた。地下鉄の座席で、夫は子供を抱いてあやしていた。その間、子供の足で蹴りだしたか次第にずれてきたのか、ポケットから財布が抜け出てしまった。地下鉄を降りてから気づいたのだが、既に遅し。財布には、免許証から大学の職員証、クレジットカードなどの大事なものがすべて入っていたので警察に届けた。もちろん見つからなかった。夫の財布を拾った人は、その後身分証明書だけ残して財布を道に捨てた。後日、身分証明書から財布の持ち主がわかり警察に届けられたと連絡があり、郵便でポートランドの我が家に送られてきた。

さて、拾いものというと、アメリカでは日本と違いとても安価だ。「ラッキーペニー」が代表的だ(参照:ラッキーペニー)。

昨年夏のことである。日本に帰国してアメリカに帰るために成田空港に行った。手荷物検査の場所では、機内持ち込みの手荷物、金属製品やコンピューターなどバスケットに入れてX線を通過する。自分の順番がきて、四角いバスケットを取った時である。バスケットの角にピカッと光るものがある。手にとってみて驚いた!アメリカの通貨「ペニー」だったのだ。
 日本で初めて拾った「ペニー」であった。どうしてそのバスケットにペニーがあったのか、なんだか運命的?な出会いのようで、今でも不思議な気がする。
 アメリカの家に帰っても、そのまま私の拾った「ペニー入れ」に入れておくのが心もとなくて、他のペニーと混じってしまうのも残念な気がしたので、初めていつ、どこでどのような状況で拾ったのかを紙に書いてペニーを貼り付けた。

8月末に日本から帰り久しぶりに汚れた車を洗車場に持って行った時のことだ。ドアを開け外に出ようと足場を見たら、10セント(dime)が落ちていた。「ペニーではなくてダイムだ〜」と思い、持ち帰ってこれも紙に貼り付けた。

9月末にカナダのヴィクトリア(Victoria, British Columbia)大学から狂言の公演に招聘され、狂言や舞踊に出演する学生たち、三味線奏者のミッチーさんと荷物を大型車に満杯積んで行った。ポートランドからヴィクトリアに行くには、ワシントン州のポート・アンジェルス港(Port Angeles)からフェリーで行く方法が便利だ。公演が終わり帰りのフェリーに乗った。フェリー内で車を降り、全員で上階部に行きベンチ型の椅子に座ろうとした時のことだ、椅子の上にペニーがピカ〜と光って落ちていた。
「あ〜、1ヶ月の間に3回目。アメリカ以外の国で2つ目の『ラッキーペニー』だ!」と思い、拾った。このペニーも家に帰って同じように紙に貼り付けた。

 

私はその後何も拾っていないが、先日夫が日本から帰った私を空港に迎えにきた時、駐車場で小銭がバラバラと落ちていて、それを全部拾ってきた。
「寿美、びっくりだよ。これ見て!ラッキーペニーどころか1ドル分ぐらいあるかもしれない」と、嬉しそうにみせた。私も以前、砂場でたくさんの小銭を拾ったことがあったので、こんなに小銭を落とす人がいるのだと驚いた。もちろんこのようなお金を届けるような交番などアメリカにはない。「ラッキー!!」

さて、もう20年も前のことである。中学生だった甥が入院した。手術もできない状態で、治癒しないかもしれないという状況だった。甥のことを考えない日はない。家族のことを思うとさらに心が痛んだ。

甥が入院していた時、私は日本に見舞いに行った。ある日東京のJR小岩駅で階段を登って行こうとした時のことだ。下ばかり向いて歩いていたのかもしれない。3段目ぐらいの階段に何か落ちているのが目に入った。手にとって拾った。

手塚治虫氏の漫画「ブラックジャック」の主人公「ブラックジャック」のフィギュア(小さな人形)で、親指ぐらいの大きさだった。私は、「なんでこのようなところにブラックジャックの人形が落ちているのだろう」と不思議に思った。しかし「ブラックジャックは医者だ!」とすぐに拾い、ハンカチに包みバッグに入れ大事に家に持ち帰った。

その数日後、私は千葉に住む友人の家に招かれた。駅から彼女の家まで一緒に歩いていたときのことだ。またきっと下を向いて歩いていたに違いない。前方に何か赤っぽい小さなものが落ちている。友人は気づかない。近づいていって拾ってみると、「ウルトラマン」のフィギュアであった。こちらは人差し指ぐらいの大きさだった。

「ブラックジャック」も「ウルトラマン」も私が幼少の頃から中学生ごろ流行った漫画やテレビドラマの主人公の話だ。20年前は、ちょうどポケモンの人気が出てきた頃だった。ポケモンの人気は、それはすごかった。1970年代からず〜っと現在まで子供達の人気を得てきたキティちゃん人形も巷に数多く出ていた。他にもたくさんの子供向けフィギュアはあるはずなのに、なぜ今「ブラックジャック」と「ウルトラマン」が道に落ちていて、アメリカから一時帰国している私に拾われるのか・・・。

アメリカに帰って1ヶ月ほど経った時のことである。
近所のスーパーに出かけ買い物を終え、駐車場の車に戻っていたときのことだ。何か小さなうす茶色いものが落ちている。近づいてよく見て驚いた!スティーブン・スピルバーグ監督の大ヒット映画、「E.T.」のフィギュアだったのだ。周りを見たが誰もいない。子供が探している様子もない。結局この「E.T.」も私に拾われる運命にあるのだと思い、大事に我が家に持って帰った。

それから半年ほど経った頃だったろうか。甥は10ヶ月近くの闘病から治癒し自宅に帰る見通しがたっていた。私はアメリカで、娘の友人の誕生パーティに参加させるために遊園地に娘を連れていった。遊園地の入り口で何か緑色のものが雨後に泥まみれで落ちている。近づいてみると、カエルの小さなぬいぐるみだった。あまりに汚れていてきたなく、誰も拾わなかったのだろう。
「あれまあ、こんなに汚れてかわいそうに・・・」と拾い、タオルに包んで持ち帰った。しかし、私でさえ、もしそれまでにいろいろなフィギュアを拾っていなければ、雨水の中で踏み潰されたようなこのカエルを拾って帰ることはなかったかもしれない。私はこのカエルを見たとき、これもまた運命の出会いのような、私を待っていてくれたような気がしたのだ。
 家で汚れを落とし、網に入れ洗濯機で洗うと、にっこり笑ったカエルになった。

「ブラックジャック」は、1973年、手塚治虫氏の漫画やアニメの主人公だった。無免許ではあるが、神業の技術を持ち、どのような怪我も難病も絶対に治す闇外科医を描いた傑作であった。

「ウルトラマン」は、1960年代、幼少の頃楽しんだテレビドラマで、私も夢中になって観た。自分の不注意で死なせてしまった日本人への罪の意識から、地球の平和を守るために戦う宇宙人。正義の味方だ。

「E.T.」は、1982年、スティーブン・スピルバーグ監督の超ヒット映画。宇宙から地球に来た異星人「E.T.」が地球の子供との友好関係を築く。「E.T.」には特殊な能力があり、その人差し指の指先で傷口に触れると傷が完全に治癒してしまうのだ。その後「E.T.」は事故で死んでしまうが、蘇生して宇宙へ帰っていくという心温まる話だ。

緑色のカエル君は、ちょっと不細工だが、甥が病院から「家に帰る」を意味しているような気がした。

私は、この当時、特に甥が病に苦しんでいる時どうしてこのような不思議なフィギュアを拾ったのか、今でもわからない。この後、ペニーを拾うことはあっても、このようなフィギュアを拾ったことはない。
 甥は、私がカエルを拾った後退院した。
20年後、甥は素晴らしい女性と出会い結婚し、一昨年、可愛い男児を授かった。(参照:LGBTと共に生きる

私はこの不思議な拾いものであるフィギュアのことを17、8年間誰にも話さなかった。フィギュアを拾うたびに甥の病気と関係付けたのは、私だけの「祈り」だったかもしれない。フィギュアは、我が家の暖炉のマントールの上にず〜っとまとめて置いていた。
 科学の発達した今の時代、拾い物の人形が何か奇跡を起こすとは思いもしない。しかし、これらを拾ったことは、今考えても私の人生の不思議な不思議な出来事だった。
今、この3人と1匹は私自身の大事な宝物になった。

数年前日本に帰った時のことである。私は東京の山手線に乗った。昼間だったので結構空いていた。乗った入口の真ん中に何か丸くて光るものが落ちている。「500円玉」だった。車内の乗客は、その500円玉から遠ざかるように位置している。私もそこからちょっと離れて立ち、500円玉の行方を見守った。「私が拾ってもいいけれど・・・、なんと思われるか?」「これ駅員に届けます」と宣告して拾うこともできたかもしれない。残念ながら拾う勇気はなかった。乗客のほとんどがそう思っていたかもしれない。
 5つぐらいの駅を通過して私の降りる駅になった。しかし、500円玉は、まだ誰からも拾われることなく乗降口の真ん中で静かに輝いていた。

このサイトは翻訳学校サン・フレア アカデミーの運営です。

PAGETOP