パリ狂日本へ帰る

第4回 野苺(その3)

今回の旅行の最大の目的は「俳句による両国の交流」である。 “両国の交流”はセネガル時代からお手の物だが、「俳句」という枕詞がついてしまったからそれは大変! まだまだ未熟な私としては、ベテランの俳人の皆さまを見様見真似で、句帳片手にあちらこちらを見学することになった。

とはいえ、特に今回は、自分で旅程を立てる必要もなく、いつもたいていお迎えのバスがいて、おまけに名所旧跡日本語ガイド付きという、今までほとんど体験したことのない“海外団体旅行”なのだ! 私は、使わずに済む神経をごそっと切り捨て、できるだけ自分を空っぽにして、なんでもかんでもとりあえずは溜め込もう、と思った。

そうして、どん欲にメモ書きを進めていたら、俳句作りにはさして役に立ちそうもない、やや資料めいた固有名詞や単語や年号などがノートに溢れてしまい…… いやはや、吟行も難しいものである。

ウプサラの街

「吟行」とは、俳句(や和歌)の題材を求めていろいろな場所に出かけることだが、それはさておき、初めての土地を訪ねるのはとても楽しい。

デジカメ、ことに、携帯電話の写真の機能が“進化”してからは、ついパチパチと撮ってしまうことが増えたが、本当はじっくりじっくり、自分の目と脳とに焼き付けておきたいものだ。だから、いつも一生懸命目をこらすことになる。

ストックホルムから北に70㎞ほど、スウェーデン第四の都市(それでも人口は22万だけ!)であり、大学町であるウプサラに行くまでの車中でも、そんなふうに窓からの景色を眺めていたら、同じような大きな木がたくさんあるのに気づいた。

リンネ博物館の門のところには、もちろん大きな菩提樹

でも、それはプラタナスじゃない。マロニエでもない。私の知らない木であった。住宅街の並木道や郊外のちょっとした集落の、建物の側の広場にもこの大きな木はあり、居心地よさそうな緑蔭を提供しているのだった。

ガイド女史が、それは菩提樹だと教えてくれ、また偉大な博物学者であるリンネは、その姓をこの木からもらった――当時のスウェーデン人の多くは姓を持っていなかった――のだと説明してくれた。

リンネのことを知ったのはいつの頃だろう。小学生? 中学生? いずれにしても、いつの間にか学校で教わっていたこの“有名人”がスウェーデン人だということを、私は今回の旅行まで知らなかった。

というよりも、「なにじん?」ということを意識する必要もないほど、“当たり前の偉い人”だったのだ。だから、たくさんの植物を命名した学者がこのように北の国(もう少し温暖な地方のほうが植物の種類も多いだろうに!!)で生まれたことに、少なからず感動していた。

屋敷とリンネ像

“実際に使われていた家”を見学するのが私は大好きだ。だから、石の文化で建造物のたくさん残る欧州に長く住んだのは、本当にラッキーなこと! 今まで数多くの“そのまんまの記念館”を訪れてきた。

なぜ“そのまんま”が楽しいのか、というと、それは、城であろうと百姓家であろうと、当時の人々の姿を感じとれるからである。そこに住んだ人々の残したものがあればこそ、彼らの暮らしも想像しやすい。

何を考え、どんなふうに毎日を生きていたのだろう…。何十年、何百年の時を経たものが、たくさんのことを語っているような気がする。

リンネ夫人の部屋

ウプサラの《リンネ博物館》もそういった意味で、私を大いに刺激してくれた。そこは、植物のみならず、動物、鉱物を研究し、ウプサラ大学で教鞭をとり、分類学を確立した業績で叙爵した彼、後世世界中から「分類学の父」と呼ばれるようになるリンネが1778年に亡くなるまで35年間住んでいた屋敷と庭園である。

それなりに立派ではあるが、とんでもなく大きいわけではない家屋。糸巻が置かれたリンネ夫人の部屋や、大学者の割には小さな書斎と机、研究書類をクラス分けしたと思われる棚などに質実剛健な彼らの姿が見えた。

また、手書きの壁紙のモチーフにスウェーデンらしさを感じ、タイルの張られた大きな暖炉には北ヨーロッパの寒い冬がしのばれた。

タイルの張られた暖炉

一方、庭には、リンネの研究の概要を伝えるべく、多くの植物が番号をふられ、グループ分けされて植わっていた。

俳人たちは、植物園が大好きだ。ここで一行を迎えてくれた、もう一人のガイドさんと一緒に散策しながらもいろいろな質問が飛び交う。私はその答えに耳をすまし、知っている花、知らない草をひたすら見つめ続け、リンネ分類のローマ数字を一生懸命読んだ。

彼の名前を冠したリンネ草は、残念ながら季節が違ってその可憐な花の姿を実際に目にすることはできなかったが、その手前に、野苺が明るい緑の葉を広げ、可憐な白い花を咲かせているのに気づいた。

その中のいくつかは、すでに赤い実をつけていたが、これがまた本当に小さくて可愛らしく、私のその日の一番のお気に入りとなった。

植物園

野苺

ガイドさんから「リンネは野苺の成分が肝臓によいと信じて、たくさん植えていたようです」と聞き、なんだか大博物学者の普段の顔が見えるような気がして、なおのこと親近感を覚えたのだった。

野苺のリンネの苑に実りけり

スウェーデン俳句旅行で、団長である有馬朗人先生にご選句いただいた私の一句である。(おわり)


彼はその頃欧州でも作られ始めた陶磁器が好きで、コレクションしていたようですが、リンネ草をモチーフに食器セットを作らせたそうです。私もレプリカの水差しを買いました。パリの5区に植物園があるのですが、その横の道は、リンネ通りと名付けられています。

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