ケアンズ通信

5. 隣人アボリジニ(1)

オーストラリアの永住権を取得するために、それまで暮らしていたメルボルンからケアンズへ移ってきたのは12年前。ケアンズへ来て間もないある日、街へ出るために自宅近くのバス停に来てみたものの、道を挟んで両側のバス停に共に「シティ行き」の表示が有るのを見て迷った。どちらのバス停で待つのが正解なのだろう。手前のバス停でバスを待っているらしき二人の白人女性は自分たちの話に夢中になっていたので、少し離れて一人で立っているダークな肌の若い女の子に声をかけた。
 「シティに行くのは、こちらのバス停? それとも道の反対側?」彼女は驚いたように私を見て「ここで大丈夫」と小さな声で教えてくれた。安心した私は「良かった。私、メルボルンからケアンズに引っ越してきたばかりで慣れてなくて」とペラペラ話すと、その女の子は「出身はどこなの?」と聞いてきた。「日本」と答え「あなたは?」と聞くと、恥ずかしそうに「私はアボリジニなの」と答えた。メルボルンに居た頃は、オーストラリアの先住民「アボリジニ」と出会う機会が無かった私は嬉しくなり「そうなの? 私、アボリジニと会うの初めて!」と興奮して答えた。すぐに来たバスに一緒に乗り、隣同志に座ってシティに着くまでの二十分程度、おしゃべりを楽しんだ。彼女はバス停の近くの植物園で働いていて、私が借りていたアパートのすぐ側に住んでいた。彼女のお兄さんはアボリジナルアートの画家で、お兄さんのように上手ではないけれど、自分も絵を描くのが好きなのだ、とバッグから小さなスケッチブックを取り出して、自分が描いた絵を見せてくれた。私達は電話番号を交換し合い、次はお茶でもしようと言って別れた。

ケアンズから車で約4時間のLauraはアボリジニの聖地のひとつ。ここにはアボリジニが古代に描いたという壁画も残っている。

新しい友達が出来たことに気をよくした私は、翌日、会社でその話を同僚達にした。すると、皆が顔をしかめた。「ミホ、気をつけなさい。アボリジニでしょ? 付きまとわれて、お金をせびられるわよ」。
 思ってもいなかった反応だった。「どうして? 彼女はちゃんと働いて自立しているし、お兄さんはアボリジナルアーティストなのよ。悪い子じゃない!」私の事を心配してくれているのだろうが、同僚達の意見はショックだった。

その後、彼女から連絡が有り、土曜日の午後にお茶でもしようということになった。私は、お互いのアパートの近くで、当時そのあたりでは一番お洒落だと言われていたカフェで会うことを提案した。待ち合わせの時間に行くと、彼女はカフェから道を隔てた所で私を待っていた。「待たせてごめんね。カフェの中で待っててくれればよかったのに。外は暑いでしょ?」と言うと、彼女は肩をすくめ「大丈夫」と言って笑った。カフェに入ってすぐ、どうして彼女が外で待っていたのかを理解した。カフェの中は白人のお客さんばかりで、お店に入ってきた私達、特に彼女に対しての視線はきつかった。白人とアボリジニの間の軋轢を、当時の私は全く理解していなかった。

カフェでお互いの近況を報告し合い、その後、街に行く予定だという私に、「私もお兄さんに車で送ってもらうから、乗っていけばよい」と誘ってくれた。アボリジナルアーティストのお兄さんは、今にも壊れそうな青い車でカフェの前に乗り付け、妹が「友達」と紹介する私を見て驚きを隠さなかった。「妹の友達が日本人だなんて、夢にも思わなかったよ」歯の抜けた口を大きく開けて笑った。

その後、彼女が「また会おう」と誘ってくれた日時が都合が悪く断ってしまった。しばらくして彼女はまた誘ってくれたのだが、当時のボーイフレンドDと付き合い始めたばかりの私は彼との予定を最優先にしていて、彼女の誘いをまた断ってしまった。それ以降、彼女からの連絡が途絶えた。数か月後に連絡してみたが、彼女の電話番号が変わっていて、二度と連絡を取ることが出来なかった。

彼女と連絡が取れなくなり残念に思っていたある日の夜、Dと街の中の公園を散歩していた。公園には私達の他に、ベンチに座った白人のお年寄りカップル、芝生の上に座って談笑する韓国人らしき二人の若い女の子、サックスを練習する若い白人男性、それから円陣を組んで歌っているアボリジニのグループがいた。上手ではないサックスと、音程がわからないアボリジニの歌が不思議に調和していた。月がきれいな夜で、絵に描いたような平和な光景だった。
 それが突然、大きく変わった。警察の車が公園に乗り入れてきて、アボリジニのグループに向けてライトを照らしたのだ。一瞬、何が起こったのかわからなかった。隣でDが憮然として言った。「あいつら、アボリジニを連れて行くんだよ」。
 理解できない私は「どうして? 何のために? アボリジニが何をしたの? 警察はどうして私達にはライトを向けないの? どうしてアボリジニだけなの?」猛烈に怒りがわいてきた。
 そんな私に「今は酒を飲んでなくても、この後飲むかもしれない。そして問題を起こすかもしれない」Dはそう説明した。円陣の中から一人のアボリジニが走って逃げようとし、警察官が追いかけて捕まえ、車の中に無理やり押し込めた。別のアボリジニは声をあげて泣き始めた。公園に居た他の人達は公園から出て行った。私達も後味の悪い思いで、公園を後にした。

ケアンズに来てすぐの頃は、アボリジニに対する白人社会の態度に我慢がならなかった。白人だけでなく、ケアンズに住む日本人の集まりに行っても、アボリジニを明らかに卑下する発言を耳にする機会が多く、「あの人たちのほうが、私達より、白人よりずっと長くここで暮らしているのに、どうしてもっと尊重しないの?」と純粋に反感を持っていた。でもケアンズでの暮らしが長くなるにつれて、アボリジニとの関係は、私が思っていたほど単純なものではないということを次第に理解していくことになる。(続く)

2年に一度開催される、Laura Aboriginal Dance Festival。異なる部族が集って披露されるダンスには強烈なエネルギーを感じる。

ケアンズ市内から車で30分、観光地にもなっているキュランダのアボリジニによるヒクイドリ(カソワリ)を模倣したダンス。

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