ケアンズ通信

6. 隣人アボリジニ(2)

1788年、オーストラリアに渡ってきたイギリス人は、4万年以上にわたりオーストラリアで暮らしていたアボリジニの多くを虐殺し、彼らの暮らし方や言語を無理やり「イギリス式」に変えようとした。1900年初頭から1960年代までは、アボリジニの子供達を強制的に家族と引き離し、収容所に入れて白人社会に適応させる教育を行った。この子供達はStolen Generation(盗まれた世代)と呼ばれ、その様子は“Rabbit-Proof Fence”(邦題「裸足の1500マイル」)という映画にもなっている。元々遊牧民だったアボリジニは住む場所を限定され、自分達の言葉や文化を奪われて、次第にそのアイデンティティを失っていった。イギリス人によって持ち込まれたアルコールがアボリジニにも広がったが、元来彼らの身体には適していなかったため、アルコール依存症になり、暴力へと走るアボリジニも増えた。政府は彼らが犯罪に走るのを抑えるため、働かなくても暮らしていけるだけの社会保障を与え、アボリジニの多くは仕事の楽しさを見出す機会も与えられず、アルコールに溺れたり軽犯罪に走ったりという悪循環が現在も繰り返されている。白人の中には「自分達が一生懸命働いて収めた税金が、働かずに昼間から酒におぼれているアボリジニに使われているのは我慢ならない」とアボリジニを嫌悪する人も多い。アボリジニ側は、土地や文化、言葉を奪われたという被害者意識を持ち続け、差別される事が多い現代の社会を快くは思っていない。

映画Rabbit-Proof Fence(邦題「裸足の1500マイル」)

私が働いているオフィスは一階部にあり、オフィスと車道の間には2メートル程度のひさし付きの舗道がある。数年前の雨季の時期、その舗道部分にアボリジニのグループがたむろして夜を明かすようになった。彼らはリカーショップで酒を大量に買い込み、タクシーでオフィスの前にやってくる。5人から10人くらいの団体で、一晩中酒を飲み続け、喧嘩し、泣き叫び、翌朝には舗道がごみの山と化す。嘔吐や小便の跡や血が舗道に残っていたことも有ったし、オフィスの窓ガラスを割られたこともあった。ガラスの修理に約千ドル(約十万円)を支払った時には、「こんなのフェアじゃない!」と憤りを覚えた。隣接する店舗と協力して警察やメディアに訴え、平穏な舗道を奪回するまでに数週間かかった。

うちの会社では賃貸物件の管理もしているのだが、大家さんの中には「アボリジニには家を貸したくない」と仰る方も少なくない。「アボリジニには家を貸さない」というのは人種差別にあたる旨を説明させて頂くが、大家さんが心配されるのも理解できる。家族間の繋がりが強いアボリジニは、「家族」が借りている家は自分が借りているのと同じだと考え、大勢の「家族」達がたむろするようになる。アボリジニと話していると「アンクル」「アウンティ」「ブラザー」「シスター」と呼ぶ家族の数が、私達の考える数よりはるかに多い。血のつながりがあるかどうかわからない遠い親戚も、彼らの世界では血縁者と同じ扱いのようだ。

以前、家賃の安い物件の賃貸入居者を募った時、応募してきた人が全員アボリジニということがあった。その中からケアンズに来たばかりの、素直そうな若い女性を賃借人として選んだ。当時一緒に仕事をしていた元パートナーのDが、彼女と膝を突き合わせ、とつとつと話した。「いいかい。僕たちは君を信じたから、君にこの物件を貸すんだよ。家賃をちゃんと払い、物件を大切に扱うことを約束してほしい」。彼女は「約束する」と答えた。それから彼女は家賃を支払うために毎週オフィスにやってきた。いつもアボリジニの友達を引き連れてやってきては、当時受付をしていた白人の若い女の子に気安く話しかけていた。同年代の白人の子と気軽に話せるところを、アボリジニの友人達に見せびらかしたかったのかもしれない。Dのことも慕っていて「ちょっと太ったんじゃないの?」と軽口を叩き、私達も彼女の事を好意的に思っていた。

しかし数か月後、彼女の家賃の支払いが遅れるようになった。そして隣の住人から「彼女の部屋から怒鳴り声やガラスの割れる音が聞こえた」と通報が有った。彼女に電話をしても繋がらず、部屋に行ってみると、ビール瓶の破片が飛び散り、窓ガラスが割られていた。数日後、彼女はオフィスにやってきた。アンクルから継続的に暴力を受けていたアウンティが、耐えきれずに自ら命を絶ってしまった。それがあまりにも悲しくて、悔しくて、部屋でお酒を飲んで、怒りを抑えられず、ビール瓶を窓ガラスに投げつけて窓を割ってしまったことを説明した。Dから「悲しい思いをしたのはわかるけど、あの部屋は君の持ち物じゃない、オーナーさんの持ち物だとわかってるよね?人の持ち物を自分の感情で傷つけてはいけないよね?」と諭されると「申し訳なかった」と涙をこぼした。

アルコールによるドメスティックバイオレンスは、アボリジニ社会において深刻な問題だ。彼女のおばさんが、配偶者からの虐待に耐え切れずに自ら命を絶ってしまったという話は、私達をやりきれない気持ちにさせた。ケアンズで自立をしようと出てきた彼女を応援し続けたかったが、壊した窓の修理代や滞納した家賃を支払うために、彼女は生まれ故郷に帰ることを決めた。彼女は故郷から毎週数十ドルづつの送金を続け、数か月かけて滞納金を全額返済した。

オフィスにぼろぼろの洋服を着たアボリジニの若い女の子が飛び込んできたこともある。「携帯電話を充電させて欲しい。もう少ししたらXXXから電話がかかってくる。もし私が電話を取らなければ、子供を返してもらえない」どうやら彼女の子供は政府団体に保護されていて、彼女が養育できるかどうかを見極めるために、定期的にその団体から彼女に電話が入るようだった。ホームレスらしき彼女の携帯の電池が切れているので、うちのオフィスで充電させて欲しいというのだ。Dが「今日は充電してあげるけど、今回だけだからね」と言うと、彼女は喜び「ありがとう。ここは涼しいし、良い匂いがするから、充電が終わるまでここに居させて」と受付の応接用の椅子に座りこんだ。長い間シャワーも浴びていなかったのだろう。彼女からは強烈な異臭がした。Dが「これはお客さんが使う椅子だから、ここにはおいてあげられない。充電が終わったら電話を持って行ってあげるから、前の公園で待っていなさい」と言うと渋々出て行った。しばらくすると彼女の電話が鳴り、Dが出ると政府団体からの電話だった。「本人にすぐ変わるから」Dは電話を持ってオフィスの前の公園に走った。当の本人は、他のアボリジニ達と公園で円陣を組んでお酒を飲んでいたらしい。電話を彼女に手渡すDに、他のアボリジニ達が拍手喝采したという。その後、彼女の姿を見かけることはないが、彼女は子供と一緒に暮らすことが出来たのだろうか。

2008年、当時の首相ケビン・ラッドは、アボリジニに、特にStolen Generationに向けて、政府が行った不当な行為を歴史上初めて公式に謝罪した。“We say sorry” を三度繰り返すスピーチは、オーストラリア全土に衝撃を与えた。謝罪会見に立ち会った高齢のアボリジニ女性は「自分達が初めて人間として認められた」と涙を流した。白人社会は「差別のない社会に向けての第一歩」と好意的な受け止め方と、「あんな謝罪は必要なかった」と批判する人達の両極端に別れた。

ケビン・ラッドの謝罪スピーチ

スピーチ文 (オーストラリア政府ホームページ) ◆ スピーチ映像 (YouTube)

あのスピーチから11年経った今も、白人社会とアボリジニの間の軋轢はあまり変わっていない。アボリジニに対する差別発言は一向に減らないし、泥酔して警察のお世話になるアボリジニも後を絶たない。

ケアンズは暖かい気候のためか、他の都市に比べてアボリジニの数が多く、彼らの独特の文化に触れる機会も多い。世界的にも有名なアボリジナルアートはもちろん、彼らが創り出す独特の音楽やダンスには、ただただ感嘆せずにはいられない。自然の中で暮らしてきたアボリジニは、私達が持っていない特殊能力を持っているように思える。「世界で核戦争が起きたら、生き残れるのはアボリジニだけ」との説を聞いたこともある。そんなアボリジニが自分達のアイデンティティを失わず、現代の社会で共存していくにはどうすればよいのだろう?本当の意味で、彼らと共に平等な社会を構築することは出来ないのだろうか?外国人の私が一人で考えて、答えを見つけられるような簡単な問題ではない。私達が個人レベルで出来るのは、まずはアボリジニを私達の隣人として、心から受けいれることかもしれない。

盲目のアボリジナルミュージシャン Geoffrey Gurrumul Yunupingu(2017年没)の歌声には、歌詞がわからなくても心を揺さぶられた。

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