パリ狂日本へ帰る

第6回 聖人たち(その1)

Le joli mois de mai à Paris … 美しい5月のパリ …
と、シャンソンにも歌われ、慣用句とさえ言えるような、その5月にもかかわらず、今年は酷かった。

日本が令和という新時代を迎えた、その特別の大型連休が明けるのを待って、夫と私はパリ入りをしたのだが、到着以来5日間、毎日毎日雨が降っている!
 おまけにとても寒い。お年寄りはオーバーをしっかり着ていた。もちろん、暖房も。
 私たちがよく知っていた5月のパリはどこへ行ってしまったのだろう……
 たくさんの用事を抱えて、あちらこちらへと走り回る日々だったが、折りたたみ傘を持たない日はなく、それどころか、折り畳み傘でなくて大きな雨傘を持って外出しなかったことを後悔することも多かった。中には、「集中豪雨」と表現したくなるような午後のひと時もあった。
 本来は「台風」とか「スコール」という気象は存在しない街である。天気予報でも「にわか雨」とかせいぜい「雷雨」くらいの表現しか耳にしないのだが、、、
 いやいや、これではまるで雨季のセネガルだ、と、変なところでアフリカを懐かしんだりもしていた。

5月8日は第二次世界大戦戦勝記念日。 どしゃぶりの雨、例年通り凱旋門で式典が行われた。たまたまシャンゼリゼに出かけていた私たち。

大きなスクリーンのあるカフェで、寒さをしのぎながら式典を見たが、いつもなら見物客でごったがえすシャンゼリゼにほとんど誰もいない。

次の週に会うことになっていた古い友人のマルグリットに、私は、メールを入れた。
「パリに着いたわよ。嬉し~い!! でも、なんて天気なの!!」
マルグリットからすぐに返事が届いた。「仕方ないわよ。だって、《氷の聖人たち》ですもの。それが過ぎたら、私たちが会う頃には少しは良くなっているわよ、きっと」

氷の聖人?? 誰? そんな聖人いたかしら…

毎日毎日雨。桐の花も美しさが今一つ。

キリスト教文化圏のカレンダーには、1年365日、誰か聖人の名前がついている。「聖人」と言っても、私たち日本人には無縁の世界だからピンと来ないかもしれないが、それでも例えばサンタクロース(これは、聖ニコラ、がモデルらしい)が世界中の子供たちに愛されるように、何人かの聖人たちはそれなりに有名人かもしれない。
 それらの聖人の名前は、一般の人々の名前としてもよく使われる。カレンダーに書き込まれているから、子供が誕生すると、その日の聖人の名前をそっくりいただいてしまう、という親も多いのだそうだ。
 「その日」でなくとも、文化、伝統、そして習慣の中に聖人たちが溢れているので、好きな聖人の名前を子供に命名する、というのもとても“一般的”である。

それではいったいどんな聖人がいるのだろう?

聖人と言われるからには、キリスト教において意味のあることを成し遂げた人たちに違いない。しかし、日本人には見当もつかない。西洋からもたらされた絵画とか音楽などを通じて何となく知るだけなのだが、たまたまカトリックの学校で育った私には、聖書に登場する人物の名前だけは子供の頃から耳になじみがあった。
 例えば、イエスの一番近くにいた人々、つまり、聖書を書いたマタイだとかヨハネだとか、そして一番最初の弟子と言われるペトロなどの十二使徒。彼らは聖人の代表のようなものだ。
 そして、聖母マリア、マリアの夫ヨゼフ、いとこのエリザベト、キリストに洗礼を授けたはとこのヨハネも聖人に名を連ねる。

最後の晩餐(シャンペーニュ)。もちろん、イエスと使徒たち

ところがこういった“超有名聖人”であっても、その名前は、国(言語)によって大きく変わるので、戸惑うことばかりだ。日本で当たり前のように通用する聖人の名前は、ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語系の音から成るものであり、フランスではフランスの音に変わってしまうのである。

赤ん坊のイエスと洗礼者ヨハネ(ルーベンス)

友人のピエールは、温厚で真面目でしっかり者で、「まさにサン・ピエール(聖ピエール)だ」と皆に言われていたが、その意味するところが、「十二使徒の筆頭、ペトロのことで、キリストから天国の鍵を預かった重要人物」だと気づいたのは、お恥ずかしいことに、フランスに何年も住んでからだった。

サン・ピエトロ寺院

ペトロはイタリアに行けば、ピエトロ(そうそう、カトリックの総本山、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂ね)であり、ドイツならペーター、英語圏ならピーター・・・こうやって並べていけば何となく納得するものの、フランス人のPierreとアメリカ人のPeterは、私の中では一致しない! 思慮深いピエールに対して、ちょっと軽目のピーター君、、、現実の友人たちの顔ばかりが思い出されてしまう。

ロンドンにセント・ジョンズ・ウッドという高級住宅地があるが、これは直訳すれば、「聖ヨハネの森」。英語圏のジョンはヨハネ。で、フランス語ならば、それはジャンである。ジョンにしても、ジャンにしても、典型的な男の名前で、つまりとっても平凡。ロンドンの町で「ジョン!」と呼んだら一体何人が振り向くだろう? もしかしたら、フルネームで呼ばれない限り誰も答えない? そのくらい大勢いるはずだ。

ダ・ヴィンチもマリアとイエス、エリザベトと洗礼者ヨハネを描いている

「フランスに多い名前百選」というような資料を読んでいたら、今でも総数としては、男性はジャン、女性はマリが飛びぬけて多いらしい。もちろん、時代の変遷で、赤ちゃんの“人気の名前”の統計ではさすがに一位ではないけれど、まだまだ社会全体としては、古い由緒正しき(!?)聖人の名前、というわけだ。そして命名法としては「聖人の名前をもらう」というよりは、「聖人の名前しかない」という考え方もなりたちそうである。(つづく)

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