パリ狂日本へ帰る

第7回 聖人たち(その2)

幼い頃憧れた“私のマリアさま”はルーブルにある
(ラファエロ作)

イエス‐キリストの周囲には、何人かのマリアがいたが、聖人としてもっとも敬愛され、親しみと信頼を受けているのは、やはり聖母マリアだと思う。
 カトリックの幼稚園時代から折に触れ登場した「マリアさま」は、その美しさといいやさしさといい、幼い私の憧れの的でもあった。
 その頃、友達のまりこちゃんが、その聖母マリアの名前を頂戴したものだ、ということは全く知らなかったけれど。

ところで、4月15日に起きたパリのノートルダム寺院の火災は、カトリック信者のみならず、世界中の人々にとっても大変衝撃的な出来事で、その記憶もまだ鮮明だが、私の5月のパリ滞在では、もちろん、ノートルダム寺院を“お見舞いに行く”ことも予定に入っていた。

ベルリン絵画館で見つけたマリアさま
(ラファエロとボッチチェリ)

そもそも、3週間後の出発に向けて、あれこれと、フランス関連の準備を進めていた頃である。パリの友人から写真とともに第一報がもたらされた時、私は俄かにはその出来事を信じられなかった。
 「燃えてます」と言われたって……
 「尖塔が焼け落ちました」と報告されたって……
 慌ててフランスの24時間ニュースをインターネットのサイトで開いた。黒黒とした煙幕の中、時折赤い炎が見え隠れしていた。
 すでに、半日以上も経過した現地パリでは、早々と特別番組が組まれていたりしたが、原因も何も分からないままだ。遠い日本の私にしたら、「ただ燃えるのを見つめているだけ」というイメージでしかなく、マクロン大統領の「必ず早急に再建するから」というメッセージばかりが耳にむなしく残った。
 石造りの街だから、“日本の常識”とは違い、消防車が警鐘を鳴らしながら大慌てですっ飛んでいくという光景は、日常あまり見たことがない。しかもあの狭いシテ島の中だ。教会の横の道などは、中世のままという趣で、大きな消防車が何台入れるだろうか! 消したいという気持ちはもちろんあっただろうけれど、そう簡単に鎮火するとも思えなかった。

火災後のノートルダム寺院

最初に冷たい雨の降る中で見たノートルダム寺院は、なんともわびしく、淋しかった。歩いてすぐの所に泊まっていたので、その後も何度か傍まで行ってみた。行ったからといって、何が変わるわけでもないのだけれど。
 寺院方面は、今までのように正面の広場まで行かれるわけではない。シテ島への道路(橋)が、車も人もブロックされていて、セーヌに沿って南側を走る道しか通ることができない。
 しかし、そこには、観光客――恐らく、彼らは、一生に一度かもしれないパリ旅行なのだろう、“さらに有名になってしまった”ノートルダムを背にピースサインをしながらにこにこと自撮りしている!――が、引きも切らさずやって来る。
 火災の原因がおそらく修復工事中の失火であることや、火災のせいで、大気中に基準値を上回る大量の鉛が発生したことなどがすでに報じられていた。
 何に腹を立てているのか…誰を恨めばいいのか…自分の気持ちを整理できないまま私はセーヌ河畔を歩いた。
 尖塔を失い、屋根も焼け落ちてしまった横からの姿は、なんとも間延びしてみっともなく、ステンドグラスが溶け落ちて枠だけが残った側廊の壁は、黒く焦げた跡も生々しく、出るのはため息ばかり。
 私が大好きだった、東側からの、セーヌの河の流れをやさしく見つめるようなその佇まいは、どこへ行ってしまった……
 こんな姿を本当は写したくなかったのよ、と、誰に謝るわけでもないが、何となく後ろめたい気持ちでシャッターを切った。

10年くらい前にノートルダムを訪れた時(と思われる)、たまたま、模型が展示されていた。あの、真ん中の背の高い尖塔はノートルダムのシンボルでもあったのに。

ところで、「ノートルダム」という教会は、ここのノートルダムだけではない。
 なぜなら、「ノートルダム」とは、直訳すれば、「私たちの女性(貴婦人)」ということで、ずばり、聖母マリアのことなのである。

カトリックの世界では、マリア様を信仰の対象とする教会が数多く作られた。今回の火災の寺院が《ノートルダム・ドゥ・パリ》と名付けられ、あたかもパリ市内にはここ一つのようなイメージを与えるかもしれないが、この他にも四つ五つ、《ノートルダム・ドゥ・何々》が存在する。
 フランス全土を見れば、大きな町だろうが小さな村だろうが、それこそあまたのノートルダム教会があり、そこには、たいてい(たまにはマリア様一人のこともあるけれど)幼子イエスを抱いた美しいマリア様が祭られていて、その祭壇にはいつも花束が溢れているのだ。

現代の社会にあって、フランスでも“宗教離れ”が進んでおり、「教会で結婚式を挙げる若者が3割を切った」というニュースを耳にしたのは、もう15年近くも前のことだが、それでもやはりフランス人のマリア様に対する愛は不変である、と思える。“ノートルダム”の前では、誰もが、幼子になれ、誰もがその慈悲を乞うのだ。その意味では聖人の中でも一番人気と言えるかもしれない。

マリア信仰と関係があるのかないのか、それはよく分からないが、フランスでは女性がとても重要な存在感を持っている…と、私は信じている。(つづく)

パリのサン・シュルピス教会の一番奥の礼拝堂も聖母マリアを祀る。

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