第154回 『翻訳勝ち抜き道場』 出題文と試訳、解説

出題文The most important day I remember in all my life is the one on which my teacher, Anne Mansfield Sullivan, came to me. I am filled with wonder when I consider the immeasurable contrasts between the two lives which it connects. It was the third of March, 1887, three months before I was seven years old.
On the afternoon of that eventful day, I stood on the porch, dumb, expectant. I guessed vaguely from my mother's signs and from the hurrying to and fro in the house that something unusual was about to happen, so I went to the door and waited on the steps. The afternoon sun penetrated the mass of honeysuckle that covered the porch, and fell on my upturned face. My fingers lingered almost unconsciously on the familiar leaves and blossoms which had just come forth to greet the sweet southern spring. I did not know what the future held of marvel or surprise for me. Anger and bitterness had preyed upon me continually for weeks and a deep languor had succeeded this passionate struggle.
Have you ever been at sea in a dense fog, when it seemed as if a tangible white darkness shut you in, and the great ship, tense and anxious, groped her way toward the shore with plummet and sounding-line, and you waited with beating heart for something to happen? I was like that ship before my education began, only I was without compass or sounding-line, and had no way of knowing how near the harbour was. "Light! give me light!" was the wordless cry of my soul, and the light of love shone on me in that very hour.
I felt approaching footsteps, I stretched out my hand as I supposed to my mother. Some one took it, and I was caught up and held close in the arms of her who had come to reveal all things to me, and, more than all things else, to love me.
総合評価道場が終わるにあたって、たくさんの嬉しいコメントをいただきました。喉の奥が詰まって、涙が出そうになりました、本当に。2007年10月に開講してから7年と3か月、みなさん、続けてきてくださって、ありがとうございました。最後に3点、お願いです。

一つ目。わたしは、文法に基づいて原文を理解することと辞書を丁寧に引く(読む)ことを、講評の中で何度も繰り返して強調してきました。この二つは翻訳の基礎である、というのが持論です。文法や辞書を使って原文を理解する→原文のイメージを頭に描く→イメージを日本語に置き換える。この順番は決して間違えないでください。訳していてつじつまが合わない、意味がわからない、というときは、一番目の「文法や辞書を使って原文を理解する」に戻りましょう。翻訳で大事なのは日本語表現力だ、と言う人もいますが、おそらく、原文の正確な理解は大前提の土台部分、言わなくても当然のこと、と思っての発言(のはず)です。
 二つ目。英和辞典の訳語は参考資料です。この単語のイメージはこんな感じですよ、という意味。中には訳文にぴったり当てはまる訳語もありますが、必ずしもそうではありません。複数の英和辞典、英英辞典でイメージをつくり、国語辞典で確認してください。
 三つ目。文芸翻訳は、原著者の「情」に触れる世界でもあります。原文の空気、色、匂いなど、文字に現れないものを感じる力が必要です。いろいろなジャンルの本を読み、映像作品も楽しみ、家族や友人とのふれあいを大事にして、人間としての感性を磨いてください。

道場での年月が、みなさんの今後の学習・仕事の役に立ちますように。機会がありましたら、どこかで、もしかしたらリアルな世界で、また会いましょう。


①Have you ever been at sea in a dense fog, when it seemed as if a tangible white darkness shut you in, and the great ship, tense and anxious, groped her way toward the shore with plummet and sounding-line, and you waited with beating heart for something to happen? ②I was like that ship before my education began, only I was without compass or sounding-line, and had no way of knowing how near the harbour was. ③"Light! give me light!" was the wordless cry of my soul, and the light of love shone on me in that very hour.

【試訳】
濃い霧の中を船に乗ったことはあるだろうか。まるで壁のような白い闇に閉じ込められているようで、緊迫感と不安に包まれた大きな船が水深を測りながら陸の方角を探る中、ドキドキしながら何かが起こるのを待つ――教育が始まる前のわたしは、そういう船と同じだったが、コンパスも水深を測る道具もなく、港まであとどれくらいか知るすべはなかった。「光をください、どうか光を!」わたしの心は言葉にならない叫びをあげていた。愛の光がわたしを照らしたのは、そんな折だった。

【解説】
①ヘレン・ケラーが語っていることから、youは読者に向けた言葉になります。「読者」としても「あなた(がた)・みなさん」としてもかまいません。訳出しなくても、前後の関係から「話をしている相手」だとはわかります。「おありだろうか」と敬語を使って、「自分ではない相手」であることを表わした訳もありましたね。
 ここでは原文に合わせて、「be at sea in a dense fogの経験がありますか?」で始めることをお勧めします。話者の思考がそこから始まっているからです。be at seaは「海上にいる」「航海している」など。文脈から「海上」であることがわかるようにします。in a dense fogはbe at seaを修飾する句なので、「霧の中にいたことがあるか」ではなく、「海の上にいたことがあるか」となります。when以下はbe at sea in a dense fogの具体的な説明。どういう状況のbe at sea in a dense fogかというと、it seemed as if…とthe great ship groped…とyou waited…の3つ。
まずit seemed as if…。itは状況のit。「as if…のように見えた、思えた、感じられた」。tangibleは辞書には「手で触れられる」「実体のある」などとありますが、それではわかりにくい。実体があるということは形がある、手で触れることも合わせて考えると、「壁」に相当するでしょう。壁のような濃霧に囲まれて先が何も見えない状態が想像できます。「今回いちばん悩んだのはwhite darknessでした。『白く暗いもや』などいろいろ考えたのですが、darknessに『もや』はやっぱり違うかな、と思い『闇』なのに『白い』というのもどうかと思いながら結局『白い暗闇』にしてしまいました。」そうですね、「闇」と「白」には相いれないイメージがあります。でも、「闇」には「先が見通せない」という意味もあるので、「白い闇」でも不自然ではないでしょう。
次はthe great ship, tense and anxious, groped her way … with plummet and sounding-line、船の様子です。船自体がtense and anxiousであることに注意。霧の中で慎重になっていることがわかります。her wayのherはshipのこと(辞書に〈女性扱い〉とあります。中学生の時に習った記憶もあります)。海の上で視界が効かなくなって、どうやってshoreに向かうかを表しています。shoreは「岸、陸」など守備範囲の広い訳語を当てるといいでしょう。「海岸」や「岸辺」では大型船には縁遠いような。plummet and sounding-lineは訳しにくかった。これがヘレン・ケラーの口から出るということは、あちらの世界では一般的な言葉なんでしょうか? 船が座礁しないために水深を測る道具らしいので、試訳ではそのように訳してみました。
三つ目はyou waited…で、船に乗っている人の様子を表しています。it seemed as ifの部分でshut you inがありました。このyouと同じ人です。with beating heartは心臓がどきどきの状態。wait for something to happenのつながりに注意します。for…がto不定詞の意味上の主語なので、「何かが起こるのを待つ」。
 
②I was…で一文、接続詞onlyを介してI was without…と(I) had no way of…が続きます。まずI was like that shipのthatは前文のthe great ship、霧の中を慎重に進む船を指します。ヘレンもサリバン先生が来るまではそんな風に闇の中にいた、の意。onlyがなぜ接続詞かというと、前文I was like…が独立した文だし、続くI was without…も独立した文だからです。二つの文をカンマだけでつなぐことは一般的にありません。何かつなぐための工夫が必要です。そこで、もしかしたらと思って調べると、辞書に接続詞onlyが。しかも文脈に合う。見慣れた単語もこんな風に考えると、新しい発見になるでしょう。
 船にはplummetやsounding-lineといった前に進むための道具があったが、I was without compass or sounding-line自分にはなかった。だからhad no way of knowing…「~を知る方法がなかった」。how near the harbor wasは、「港はどれくらい近いか」が直訳ですが、「近くの港はどこか、港までの距離はどのくらいか、港まであとどのくらいか、どれくらい進めば港に着くか」などもいいですね。正確な意味をとらえたら、ある程度訳者の自由な表現が許される例です。

③文法的には”Light! Give me light!”は主語、または倒置による補語です。直訳すれば「『光を、わたしに光をください』がわたしの心の言葉にならない叫びだった」または「わたしの…叫びは『光を…ください』だった」となりますが、それがわかる表現であれば、『光を…ください』を独立させてもかまいません。さてwordless、これがcryにかかることに注意してください。「言葉にできない私の魂の叫び」は、「言葉にできない」が「私」にかかるように読めます。「叫び」にかけているつもりで訳しても、そのような誤解が生じるおそれがあるので、たとえば「言葉にできない」ではなくて「言葉にならない」とwordlessの訳を工夫するとか、「私の魂の、言葉にできない叫び」のように置き場所を工夫するとか、何かが必要です。ここでwasをどう訳すか。「『光を、…』が私の叫びだった」と一点の過去を表してもいいのですが、サリバン先生が来るまでは行き先がわからず迷う状態で、「光を…」といつも心が悲鳴をあげていた、と考えることができます。in that very hourのhourは「そんな時期、その時分、その折」の意。闇の中で迷っているときに光が差した、となります。
 それから、「心が叫んでいたのだ。そのとき光が差したのだ。」と「~のだ」を続けるのは避けましょう。「~のだ」は理由や因果関係、強調などの強い意味を持ちます。それが重なると、文が重く(感覚の問題ですが)読みづらくなります。「心が叫んでいた。そのとき光が差したのだ」または「心が叫んでいたのだ。そのとき光が差した」のように片方だけにします。「心が叫んでいた。そのとき光が差した」と「~のだ」を使わないで、さっぱりした印象の訳文にするのもいいですね。

【質問】
前回、 «「被れる」では「被害」と言うくらいなので、悪いことが起きたかのよう。ここは「恩恵を与かる(あずかる)」では?》 というコメントを頂きましたが、たいていの国語辞書には、「恩恵」で引いても、「被る」で引いても、「恩恵を被る」のという例文が出ていると思います。「被害」という語にマイナスイメージがあるとすれば、それは「害」の方に原因があるので、「被」の方は、単に受け身の意味を示すに過ぎません(被保護者、 被保険者、被雇用者など)。
――いつも細かく見てくださってありがとうございました。厳しいご質問・ご指摘には冷や汗をかきながら、調べなおしたり勉強しなおしたりしていました。たしかに「恩恵を被る」は国語辞典に出てきます。かの有名な池上彰さんも「恩恵を被る」とテレビで発言していたそうです。ですから、おっしゃる通り「被」は受け身の意味であり、「恩恵を被る」は正しいのだと思います。一方デジタル大辞泉によると、「被」という漢字の意味を「悪いことがふりかかる」意味と「物事を受ける」意味で分けて説明しています。必ずしも中立的な「受け身」で説明していないことから、マイナスイメージにとることも間違いではないのでは、と思いました。わたし個人としてはやっぱり、「恩恵を被る」はちょっと…という感じです。

以上