コーヒーブレイクde翻訳
出版翻訳や、翻訳道場を始めとする翻訳指導など、日々の業務で感じたことをつづっています。
三島由紀夫(18/07/02)
このところ「三島由紀夫」に縁がありました。お世話になっている河野一郎先生の講座では文体の話で、先日参加した越前敏弥先生のトークイベントでは「三島の文章は美しい」という言葉で。

比較的短い期間に「三島由紀夫」の名を続けて聞いたので、これは読まねばならない、と思い、以前から気になっていた『金閣寺』と、短編集『花ざかりの森・憂国』を買ってきました。

え、三島を読んだことがないの?と驚かれるかもしれません。三島が市ヶ谷で割腹事件を起こしたのが1970年、中学1年生でした。三島が演説する場面や割腹した現場写真がテレビのニュースで繰り返し流され、思想云々ではなく、単純に怖いと思いました。そのせいにするのは怠慢ですが、とにかく三島作品は手にできませんでした。

で『金閣寺』と短篇集、硬軟入りまじり、意外に興味をもって読めました。三島を敬遠してもしかたない、と思う作品もあれば、これが三島なの、と先入観を(いい方へ)覆す作品もありました。『金閣寺』では、お坊さんの世界の言葉が次から次へと出てきて、戦前の言葉もごく当たり前に使われ、しかも哲学的な問答や美術書や歴史書の解説のような文章が、これでもか、というほど漢語を交えてページを埋めています。そういう見かけの問題に加えて、「私」を含めた登場人物はどの人も癖があって、気分よく読めるものではありませんでした。でも読めた! 難解な表現と人間臭さと屈折した心理に辟易しながらも、一気に読めた。怖いもの見たさ? 本当はこういうのが好み? わかりません。読めたことに感動です。

そんな『金閣寺』の中で、場違いな空気が流れるところがありました。「私」の母親のセリフです。

「そうか。そりゃまあよかったなあ。方丈さんにようお詫びせなあかへんえ。うちからもようあやまっといたけれど、しんそこからお詫びして、お許しいただかなあかへんえ。方丈さんはお心のひろい方やで、このまま置いといて下さると思うけれど、今度こそ心を入れかえなんだら、お母さん死んでしまうえ。ほんまえ。……」(新潮文庫、P.253)

ひらがなを多用して、普段遣いの言葉をそのまま映しています。漢語だらけの緊張感あふれる作品の中で、わたしの目と頭を休ませてくれました。「私」の重い心理と、息子には鬱陶しいと思われてしまうほどの老いた母の愛情――内容だけでなく文字面でも明確に対比させています。

三島由紀夫は難しい、という先入観は、短編集を読んで覆されました。自分の感性に合う作品もあったのです。中でも『橋づくし』は気に入りました。これは四人の女性が願掛けのために銀座界隈の橋をめぐる話で、軽やかで滑稽です。

「まあ、お嬢さん、粋ねえ。黒塗りの下駄に爪紅なんて、お月さまでもほだされる」
「爪紅だって! 小弓さんって時代ねえ」
「知ってるわよ。マネキンとか云うんでしょう、それ」
満佐子とかな子は顔を見合わせて吹き出した。(新潮文庫、P.184~185)

とても昭和的でノスタルジック。セリフがまた、粋じゃないですか(かな子と小弓は芸者)。「ほだされる」「時代ねえ」なんて、そうは使えません。ふと幸田文の作品に似ているなあ、と思いました。谷崎潤一郎も思い出します。そういう作品もあるんですね、三島には。

たまたま言及が重なったため、読んでみようと思った「三島由紀夫」。新しい発見ができました。

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