コーヒーブレイクde翻訳
出版翻訳や、翻訳道場を始めとする翻訳指導など、日々の業務で感じたことをつづっています。
「ことばの食感」より(15/02/16)
朝日新聞の土曜版に、早稲田大学名誉教授中村明さんの「ことばの食感」というコラムがあります。2月15日のコラムでは、大岡信さん、谷川俊太郎さん、辻邦生さんが「奔放に語り合う現場に司会者として立ち会った」ときのことが書かれていました。語感の話なのですが、その中で「生きざま」という表現をとりあげて、「ざま」は「あのざまは何だ」で使うから、ネガティブなイメージの「死にざま」は受け入れられるけれど、「壮絶な生きざま」では抵抗がある、と谷川さんと大岡さんが語ったそうです。ここで、翻訳勝ち抜き道場最後の質問と回答を思い出しました。一部を引用します。

Q. … «「被れる」では「被害」と言うくらいなので、悪いことが起きたかのよう。ここは「恩恵を与かる(あずかる)」では?》 というコメントを頂きましたが、たいていの国語辞書には、「恩恵」で引いても、「被る」で引いても、「恩恵を被る」のという例文が出ていると思います。「被害」という語にマイナスイメージがあるとすれば、それは「害」の方に原因があるので、「被」の方は、単に受け身の意味を示すに過ぎません(被保護者、 被保険者、被雇用者など)。
A. …たしかに「恩恵を被る」は国語辞典に出てきます。かの有名な池上彰さんも「恩恵を被る」とテレビで発言していたそうです。ですから、おっしゃる通り「被」は受け身の意味であり、「恩恵を被る」は正しいのだと思います。一方デジタル大辞泉によると、「被」という漢字の意味を「悪いことがふりかかる」意味と「物事を受ける」意味で分けて説明しています。必ずしも中立的な「受け身」で説明していないことから、マイナスイメージにとることも間違いではないのでは、と思いました。わたし個人としてはやっぱり、「恩恵を被る」はちょっと…という感じです。

質問者の語感では「恩恵を被る」はごく自然な表現ですが、わたしはちょっと…、なんです。「ことばの食感」の記事によると、ソルボンヌ大学で講義をしたことにある辻邦生さんが、フランス語は「社会的・歴史的なコンテクスト」や「生理的な多層性」としてつかめないことを実感した、と述べたそうです。この「生理的な」次元で、谷川さんは「生きざま」という語は使いたくない、と言ったとありますが、わたしの「恩恵を被る」問題も、この「生理的な」次元なんですね、きっと。生理的な理由もありなんだ、とホッとしました。

寒い毎日ですが、春の兆しも。横浜三溪園の紅梅。

 

同じく横浜三溪園の白梅。「梅」は日本人にとっての「歴史的・社会的コンテクスト」のひとつですね。

このサイトは翻訳学校サン・フレア アカデミーの運営です。

PAGETOP