コーヒーブレイクde翻訳
出版翻訳や、翻訳道場を始めとする翻訳指導など、日々の業務で感じたことをつづっています。
良い文章に出会う(15/07/01)
先週だったか、韓国の人気女性小説家が三島由紀夫の作品の一部を盗作した、というニュースがありました。盗作と言われても仕方がないくらい酷似しているそうですが、ご本人は、三島のその作品を読んだ記憶も盗作の意図もないと主張しました。

ニュース記事を読んだ瞬間に、あら、ヘレン・ケラーと同じ、何という偶然、と驚きました。このブログは文芸通信添削講座サイトの一コーナーなのですが、その母屋に、評伝編としてヘレン・ケラーの自伝第14章を載せています。その第14章は、子どものころのヘレンが意図せずに盗作をしてしまった、という話。読み聞かせてもらったお話がとても強く印象に残り、それが彼女の血になり肉になって、知らぬ間に自身の言葉として酷似した物語を紡いでしまったらしいのです。

件の韓国の小説家は、三島の作品を読んだ記憶はない、と言っていますが、直接的にせよ間接的にせよ、どこかで見たか聞いたかしたのかもしれません。そしてそれが自分の感性や言葉と同化して、ごく自然に物語を紡いだのでしょう。盗作を認め謝罪して事態はおさまったと思いますが、指摘されてどんなにショックだったことか。この人の場合も、ヘレンの場合も、良い文章、強く印象に残る文章に出会って、無意識のうちに学習した結果だったのではないでしょうか。

ところで翻訳の上達法の中には、名翻訳家の訳文を原文と照らし合わせて翻訳の仕方を学ぶ、というのがあります。名翻訳家の訳文をそのまま別の翻訳で使うことはあり得ませんが、訳文のリズムや呼吸は真似できます。そうやって自分の訳文の質を高めることができたら、どんなにいいでしょう。

…と思って、翻訳家の東江一紀さんの訳文を原文と照らし合わせてみました。作品は6月初めに紹介した『ストーナー』(ジョン・ウィリアムズ著、作品社)。わたしが好きな場面を数か所、ざっと読み比べただけでも、目からうろこ、です。こんな風に訳してもいいんだ、と思わせる単語単位、文単位の小さな気づきもありますが、訳者が著者に同化しているかのように原文のイメージをそっくり写しているのが、よくわかるのです。訳文が訳文ではなく訳者自らの言葉になっている、という印象すら受けました。

良い文章との出会いは、そのときには気づかなくても、きっと後になってその足跡が見えてくるのだと思います。普段の何気ない読書や本屋めぐりの中にも、その可能性が潜んでいるんですね。目の前の本たち、きみたちを無駄にしないよ。必ず読むから。

『ストーナー』の原書。主人公の地味な印象にマッチする表紙です。

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