コーヒーブレイクde翻訳
出版翻訳や、翻訳道場を始めとする翻訳指導など、日々の業務で感じたことをつづっています。
気になる訳文(17/02/09)
知り合いに面白い本だと紹介されて、『わたしはこうして執事になった』(ロジーナ・ハリソン著、新井雅代訳、白水社)を読みました。英国の貴族社会とお屋敷で働く人々の様子がよくわかるノンフィクションです。2016年2月9日付の本ブログで『英国貴族の全て――「ダウントン・アビー」の世界をより楽しむ!』を紹介していますが、この種のノンフィクションは興味をそそります。それに装丁も素敵。

さてこの本、最初の数ページで訳者と相性がよさそうな気がして、翻訳であるという意識を持たずに読み進めそうだと思いました。ところがそう思った直後、ある箇所で意味の分からない文と出くわしました。そこまで一度も出てこなかった「ジャック」という人間が登場するのです:
 
…いまでは事情が変わり、ジャックはご主人と対等になったため、ご主人はもうジャックに対してなんの責任も感じません。

もう一度、先行する数段落を読み直しました。もしかしたらこの後出てくる人かもしれないと思って、しばらく先を読み進みました。でもわからない。どうしてここでジャックが出てくるのだろう。

アマゾンで原書を見つけ、「立ち読み」で追ってみたら、すぐ該当部分が見つかりました(それくらい最初の方でした)。原文はJack is as good as his master, so his master feels no responsibility towards Jack. そこで辞書でJackを調べてみました。するとリーダーズに「使用人、召使」とあり、さらにJack is as good as his master.「《諺》召使は主人に劣らず; 人はみな同じ」と出ている………。

これ以降、少しでもひっかかる訳文がでてきたら、付箋を貼ろう、と思いました。そして見つけた9か所の「気になる訳文」。そのうち7か所は通り過ぎてしまってもかまわない程度のものでしたが、2か所は原文通りであっても意味のわかりにくい表現でした。

相性のいい訳文でも、多少はひっかかりがあるもの。たまたまJackが見つかったので付箋を貼るようになってしまいましたが、この作品は満足できる翻訳の部類に入ります。最近では柴田元幸さんの『日々の光』、土屋政雄さんの『日の名残り』がよかった。このお二人の作品は、誰が読んでもそう感じることでしょう。それで思い出したのが、数年前に読んだK・T氏訳の『テンプル騎士団~』という作品。K・T氏には申し訳ないのだけれど、気になるどころではなく、辞書を調べてないのかしら、機械翻訳かしら、と思うくらいの悲しい訳文が続いて、最初の数章でギブアップしました。とても残念でした。

翻訳書を読むとき、普通は原書と突き合わせては読みません。楽しむために読むのであり、訳文を論評するために読むのではないから。だからこそ、訳者は原著者と同じだけの責任を持って、読者が純粋にストーリーを楽しめるような訳文を書かなければならない。ちょっとハードルを上げすぎたでしょうか。

自分の本につけられる付箋の数が少ないことを祈ります。

 

例年は世間から遅れて咲くわが家の梅の花。今年は遅れることなく、世間並みに咲きました。

このサイトは翻訳学校サン・フレア アカデミーの運営です。

PAGETOP