コーヒーブレイクde翻訳
出版翻訳や、翻訳道場を始めとする翻訳指導など、日々の業務で感じたことをつづっています。
河野教室 その2(17/11/29)
10月から通う河野一郎先生の「翻訳家をめざす講座」@神奈川大学生涯学習・エクステンション講座から。
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前回は「辞書をひく」話を書きました。今回は「女性のセリフ」について。

その前に…。今読んでいる本から、不思議に思ったセリフを引用します。

「わしは絵を持っている」彼は……。「マルは年寄りではなくて母親の背中にしがみついているわ。ここに水がよけいあるばかりではなくて、わしらが通ってきた道にもあったわ。一人賢い人間がいてな。倒れている木を他の人間に持ってこさせて――」
(『後継者たち』ウィリアム・ゴールディング著、小川和夫訳、早川書房)

上のセリフの主は男です。ところが「…いるわ」「…あったわ」となっているので、読みながら混乱しました。語尾に「わ」がつくと、どうしても頭の中に女性の声が聞こえてきます。実際にはイントネーションを下げ気味に「…するわ」と言う男性もいるので、そう考えて読み直しましたが、それでも違和感はぬぐえない。読者を惑わせないために、ここは訳し直した方がいいと思いました、僭越ながら。

さて、河野先生の講座の課題に、神経質でノイローゼ気味なS夫人と病院の女性職員との会話がありました。両方とも女性ですが、立場が違う。S夫人はヒステリックで高飛車な患者、職員はそれに対応する側です。そこでS夫人には「…してちょうだい」「…するわ」「何時なの?」「…しないわ」「……なの(よ)」などを使い、女性職員には「…ですか」「…しております」「…ですが」など丁寧で性別に関係ない言葉を使って区別しました。でも二人が使うIは、中性的な「わたし」にしました。語尾で人物像はわかるだろうと判断して。ところが先生から、Iの訳にも違いを出すように、と朱字を入れられました。たとえばS夫人に「あたし」、女性職員に「わたし」を当てると、二人の違いはより明確になる、と。たしかに「わたし」では冷静過ぎてS夫人に合いません。でも「あたし」では幼稚に感じられて、できれば使いたくない……。「あたくし」なら幼稚さは消えるでしょうが、前時代的な印象になります。Iを訳さない方法を考えるしかないかな、と悩みます。

セリフを訳すのは簡単そうで実はとても難しく、著者が想定した人物像と違ってしまうケースもあるようです。河野先生はエミリー・ブロンテの『嵐が丘』の訳で、主人公のキャサリン・アーンショーに「……だわ」「……なのよ」と語尾をつけて、女性であることがわかるようにしました。しかし英語は中性的な言葉で綴られていたので、もしかしたら「女らしすぎる女」になったかもしれない、と思ったそうです(1976年3月読売新聞夕刊「翻訳 この美しき裏切り」より)。

女性の話し言葉はずいぶん変わりました。最近は中性的な言葉や、場合によってはかつての男言葉を使う人も増えています。わたしも女言葉より中性的な言葉が好きです。とはいえ翻訳者としては、どのような人物にも対応できるように、セリフの在庫を多く持っておかなければなりません。上の世代の作家による作品も、若い作家による作品も、幅広く読んで仕入れる――これも翻訳者の仕事ですね。

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