Did you know that?

田中寿美
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10.ラッキー・ペニー(1セント)の価値

コップにペニー
この写真は、コーヒーショップのレジ。手前に見える透明のコップにペニーが見える。これは、主にここで働く人たちへのチップとなるが、1、2セントのおつりなど気軽にこの中に入れていく客が多い。気分が良いと1ドル札のチップを弾む人もいる。店員は自然に愛想よく振る舞うわけだ。店によっては、レジに被災地向けの募金箱が置いてあるところもある。——ところで、本稿「ラッキー・ペニー」のために、近所の店でペニーの箱の写真を撮ってもよいかと聞くと、店内はどんな写真も撮ることができないと見事に断られた。いざ探すとなかなか適当なものがないもので、この写真は、大学のカフェテリアで撮った。

アメリカには、「Lucky Pennyラッキー・ペニー」という言い方がある。ペニーとは一セント銅貨。アメリカで使われる、Nickel(5セント)、Dime(10セント)、Quarter(25セント)硬貨の一つである。日本の一円玉と考えればよい。

ラッキー・ペニーとは、「幸運のコイン」「道に落ちているペニーを拾うとその日、運が良いわよ」、という意味だ。この信仰も、落ちているのを拾うだけではダメなようで「表」、つまりリンカーン大統領の顔面が上になっているのを拾わないといけないと聞いたことがある。コインの年代が古いほうが、運がより良いとも言われているが、拾うときそんなことを考える人はいない。見つけたらさっと拾って、「今日はラッキーだ!」と言ってしまい込む。ラッキー・ペニーの収集家もいるが、私の場合、財布の別ポケットに暫くは入れているが、そのうち他と区別がつかなくなり使ってしまっている。

この言葉は、その昔、「ペニー・ローファー」とも呼ばれ、靴の前部分の飾りの隙間にペニーを挟みこんで、日本のお守りのように使うことから言われるようになったらしい。夫は、1960年代位まで、女性がローファー靴にペニーを挟んでいたのをよく見たと言っている。

ペニーは人気者だ。アメリカ映画にも出ている。1959年に音楽映画としてヒットした「The Five Pennies」、邦題「五つの硬貨」で歌われているペニーには、人間の思いを託している。「望み・夢・踊り・笑い・愛」を五枚のペニーにたとえ、五枚のペニーを手に入れたとき、本当に幸せになれると歌う。アメリカ人の1セントにかける思いは強いようだ。

アメリカの観光地には、ペニー・クラッシャーといって、ペニーを入れて潰す機械があり、子どもたちに人気がある。クオーターコインを二枚いれ、機械にペニーを通すと楕円形になって出てくる。潰してフラットになったペニーを観光記念として収集する人もずいぶんいる。驚いたことに、日本では、このラッキー・ペニーも商売になっている。ペニー銅貨をはめ込んだキーホールダーや、硬貨を洗浄し、銀メッキをかけ美しく加工細工したペンダントが、通信販売で買うことができる。八千円もする……。この商売、繁盛すれば「ラッキー・ペニー」に違いない。

ペニーはよく落ちている。道路、駐車場、トイレ、店、車中や家の中など、思いもかけないところで拾う。日本で一円玉があまり落ちていないのはどうしてだろう。

さて、ある日、息子と息子の友人を連れてタコベルというメキシコ系ファーストフード店に行ったときのことだ。私は、お腹がすいていなかったので、子どもたちだけ食べさせようとした。息子は10ドル(約1200円)を持って注文にいった。タコスを買って、席に戻ってきた息子は、おつりの1ドル札を「はい」と言って私に渡した。
「ちょうど9ドルだったの?」
と聞くと、
「8ドル99セントだったよ」
「じゃ、どうして1ドル1セントのおつりじゃないの?1セント落としたの?」
「違うよ。1ドルしかくれなかったんだよ」
「理雄がいらないって言ったの?」
「そんなこと言わないよ。1ドルしかくれなかったんだ。お母さん、1セントぐらいどうでもいいじゃないか」

その一言が「カチン」ときた。ここで私の日本人的律儀さがむくむくと湧きあがってくる。『1円を笑うものは1円に泣く』と教えられて育った世代の日本人だ。この息子の一言は許せない。
「どうでもいいてことはないでしょう。ちゃんともらってきなさい」
「いやだよ」
「もらってきなさい!」

問答が繰り返された後、私はついに自分で立ちあがってレジに行った。

「私の息子は、8ドル99セント分のタコスを買ったけれど、あなた、1ドルしかおつりくれなかったじゃないの。おつりに渡すペニーがなかったの?そうだったら仕方がないけど。 子供にはきちんと1セント渡すべきじゃないの?」

レジにいた二十歳ぐらいのヒスパニック系の女性は、私の顔をギロッとにらみ、1セントぐらいで何をごちゃごちゃ言っているんだという顔をして、ペニー硬貨を一つ、私の目の前にポンと投げた。店中の客の視線が私に集っている。「ふん!平気だもんね。じゅうぶんおばさんだから!」

ファーストフードのまずいタコスがますます不味そうに見えた。

家に帰って、長年アメリカに住む日本人の友人に電話で聞いてみた。
「ねえ、タコベルで1セントおつりが足りないって文句言ったら、とっても変な顔されちゃった。おまけにレジの横に並んでいた男性客まで私に、『1セントに困っているならあげようか』なんて申し出るしまつよ。これっておかしいじゃない。その時おつりが足りないのなら、そう言ってくれれば、別にもらわなくってもいいけど、黙ってくれないって絶対変だ!」

私の怒りを静かになだめながら、彼女は、
「アメリカ人って、大きなお金にはこだわるけど、1セントってお金じゃないみたいなとこあるわよね。お店だって、銀行だって1ドル以下のお金は収支が合わなくっても、上司からの苦情はないって聞いたことあるわよ。実際、アメリカは、クレジットカードや小切手社会だから、小銭を扱うことは日本に比べればずっと少ないけれどね……」
「えー、本当なのそれ。店ならともかく銀行でも収支が合わなくていいの?大胆というか大雑把というか……。毎日少しずつ合わないなら、一年では膨大な額になるじゃないの。それってすごいことだと思わない?私は、やっぱり、1セントだろうが1円だろうが価値あるお金だと思いたいけど……」
「あなた、何年アメリカに住んでも日本人ねぇ」

友人は、アメリカ的考えに順応しない私に呆れていた。もし、日本の銀行やお店でその日の収支が百円以下でも合わなかったら、どうなるのだろう。銀行で働いたことがないのでわからないが、たしか1円でも収支が合わないと、合うまで残業して何度も計算すると聞いたことがある。日本の銀行って、行員の1円のお金の間違いにはこだわるけれど、日銀総裁が村上ファンドに投資していた一千万円のような大きなお金には寛容らしい。不思議なところだ。

さて、なんとなく気持ちがすっきりしないまま数ヶ月が過ぎた。そんなある日、私はマクドナルドのドライブ・スルー(Drive Through)に寄った。1ドル99セントのフィレオフィシュを注文して、10ドル札を出した。おつりは8ドルだった。しかし、私はこのとき「1セント返して」とは言わなかった。そして、はっきり悟った。アメリカでは1セントは、お釣りという感覚ではなく返さなくてもよいお金なのだと。

しかしだ。1セントでも千人で10ドル、一万人で百ドル儲かる。これっておかしいではないかと思ったが、ここで私は、逆の場合を思った。

あるとき、アイスクリームとクッキーを買い、レジでお金を払おうとした。3ドル67セントだった。財布の中から小銭を集め3ドルと66セントを出した。あと1セント足りない。4ドル出そうかと財布を探っていると、
「That’s enough.」
と言う。
「1セント足りないのは、よくないよ。1ドルあるから、これからとってちょうだい」
と言うと、
「Oh no! Don’t worry.」

そう言ってレシートをくれた。

1セント足りないとき、レジの傍に置いてあるペニー入れから取り出して、足してくれたこともある。あるときは、2ドル99セントのお釣りをもらうところ、3ドルくれたこともあった。間違っているのではないかと思い、
「おつりは2ドル99セントなんだけど……」

レジの女性にそう確認すると、
「That’s all right.」

にっこりと笑って答えた。
アメリカでは、1セントはどこかで採算があっているのかもしれない。
ペニーは不思議なコインだ。